第15話 中立の鉄槌
灰色の神々に仕える神官を束ねる神官長オーレリア。
だが、そんな彼女は、まだ年若い女性であり、アーデルハイトとほとんど同世代の年代だった。
中立神の神殿のみならず、このノイエテール国では、「全て物事の均衡を取るべし」という教えが根付いており、そのため女性の社会進出が進んでいる。
アーデルハイトは辺境伯領主になれたのも、そのノイエテール国の国風が大きい。
このオーレリアと名乗る女性のみならず、神殿では数多くの女性が神官として働いている。だが、これほど年若い女性が神官長に選ばれるなど、やはりこの国であっても特異である。
それほどの速さで神官長になったのは、ただのお飾りか、よほど優秀であるか、の二つだろう。
彼女は、エルネスティーネとアルシエルの二人を大神殿の内部へと案内する。
神殿内部の儀式用の大広間。灰色の神々の神像が並べられたその広間は、大神殿の中央部に存在しており、
灰色の神々の象徴である灰色のローブに身を包み、異常なほどの神力を放つ杖を手にしているオーレリアは、アルシエルをまるで敵であるかのように睨みつける。
「さて、貴女の事は話に聞いています。名もなき堕ちた中立神。
まさかこの地に化身を下すとは、流石に我々にも予想外でしたが。」
警戒心を露骨に露わにしながら、オーレリアはそう呟き、手にした杖をエルシエルに向けると、音も立てずにアルシエルを取り囲むように、杖を手にした同じく灰色のローブを身に纏い、手に杖を持った男女の神官が現れる。
同時に、彼らはエルネスティーネを庇うように自らの後ろへと案内する。
辺境伯領主の妹であるエルネスティーネは、彼らにとっても庇護対象なのだろう。
その自らを取り囲む男女の神官たちの姿を見て、アルシエルは彼らをせせら笑う。
「おいおい、まさか私を封じるっていうのか?
引きこもりの中立神の下僕共が?はっ、笑わせるなよ。
これでもこちらも元は中立神だぜ?テメェらの手の内は知ってらぁ。」
取り囲む男女の神官たちをせせら笑うアルシエル。
確かに混沌神の化身と、並みの人間である彼らでは到底相手になるはずもない。
だが、彼女たちも勝機がなくこんな事は行わない。
「ええ、でしょうね。けれど、ここ大神殿は我々、灰色の神々のテリトリー。
そして、元は中立神であろうとも、今の貴女は混沌神。
混沌の属性が強い今の貴女ならば縛り付ける事も可能です。」
そう、この大広間は、灰色の神々の大神殿の中心部であり、最も灰色の神々の加護が強い場所。事実上の神殿の心臓部とも呼べる場所である。
ここは完全なる中立神の領域。例え法の神であろうが混沌の神であろうが、その力は大きく削ぎ落される。ましてや、不十分な器に封じられた神の化身ならば言うまでもない。
大神殿内部には、長年かけて地脈から吸収してきた魔力と、灰色の神々の蓄積された神聖力が存在されている。
そして、この大神殿自体が巨大な術式回路を構成しているのだ。
その巨大な術式回路に伝える魔術式は『封印』
この膨大な神聖力を用いた大術式回路で、エルシエルを封印しようという試みである。
確かにそれは成功しただろう。全うな神ならば。
だが、アルシエルは普通の神でも全うな神でもない事を、彼女はもっと考慮すべきだったのだ。
アルシエルの周囲の空間を埋め尽くす無数の魔術文字と魔法陣で構成されている空間に浮かび上がっている立体積層型魔法陣。
伝統的な魔法陣とは、そもそも召喚した存在をそこから出さないように縛り付けるための一種の結界である。
それに加え、この魔法陣には『退去・送還』の効果も付属されている。
この魔法陣を狭めていく事でアルシエルを封じ込み、そのまま混沌界へと押し戻そうとする魔術式である。
肉体を持ったまま多次元への放逐は、下手をしなくても受肉した肉体は粉微塵になるだろうが、オーレリアたちにとっては好都合である。
高次元の存在たちがこの世界に本格的に干渉してくるのは、依り代である肉体がなくてはならない。
肉体を失い、高次元に放逐されれば、この時空間に干渉するのは難しくなる。
だが、それにも関わらず、アルシエルはにやり、と狂気に満ちた獰猛な笑みを浮かべると同時に、術式を編み上げ、混沌文字で編み上げた魔法陣を自らの周囲に構築する。アルシエルの作り上げた魔法陣は、オーレリアたちの作り上げた立体積層型魔術陣を侵食し、喰らいつくしていく。
それは文字通り、神聖力自体を喰らいつくして吸収し、己の物へとしているのだ。
「くっ……!これは!?」
「あっははっは!バーカ!!だから言っただろうが!今の私は中立神どもの力を吸収して混沌の力へと変換できるんだよ!つまり、お前たちのやった事は私に力を供給した事に他ならない!お前たちお得意の封印やら調律やらは私には通用しないんだよ!不意を突かれりゃそりゃアレだが、予め来ると分かっていれば術式は組めるわ!」
そう、予め灰色の神々由来の力で封印なりなんなりが来ると予期していたアルシエルは、中立神の力を吸収し、混沌の力へと変換する独自の術式を組み立てていたのである。
アーデルハイトのように不意打ちで食らえば、元は中立神とはいえ、今は混沌神である彼女には影響は与えられるが、予め予期できていればその特異な出自から中立神の力を吸収できる術式をくみ上げる事はできるのである。
アーデルハイトの時は、予測できなかった不意打ちのため、術式を編み上げる暇なく一撃を食らってしまったため、その影響を受ける事になってしまったのである。
アルシエルを包み込もうとしていた立体積層型魔法陣は、アルシエルの作り出した魔法陣によって見るも無残に侵食され、獰猛に食らいつくされていき、やがて消滅していった。
「わざわざ私に力を与えてくれるなんて、ご苦労様。
中々美味しかったぜ。アンタたちの神の力。」
そう言いながら、妖艶に舌なめずりするアルシエル。
ぎり、とそれに対してオーレリアは思わず歯噛みする。
それも当然である。封印するつもりが相手に力を与えてしまうなど、明らかに彼女たちの想定を上回っていたのだ。
「さてと、力を与えてくれたお礼をしなきゃな。
安心しな。一撃で消し炭にならない程度に火力は大分落としてやるよ。
運が悪けりゃ半焦げ程度さ。その後死ぬのは責任取れないけどね。」
そう言いながら、アルシエルは腕を無造作に横凪に振るう。
それに応じて、放射円状に劫火が巻き起こり、まるで大蛇のようにその劫火は神官たちへと迫っていく。大気を焼き尽くさんとばかりに燃え盛る豪炎。
だが、その炎は床を通して神殿内部に燃え広がらずに、あくまで神官たちを燃やし尽くさんとばかりに、のたうち回りながら炎の壁となって彼らへと迫りくる。
「―――!!」
オーレリアたち中立神の神官たちは動揺しながらも、とっさに防御の魔術を発動させようとするが、人間と神の力とは違いすぎる。
おまけに、神殿の神聖力もほとんど使い果たしてしまっている。
神の化身の魔術を防御できるほどの力を引き出すことはできまい。
「総員、私の後ろへ!」
そうオーレリアは叫ぶと、自らの杖を前へと突き出す。
その瞬間、灰色の奇妙にねじ曲がって膨大な神力が封じられた杖は、まるで液体金属のようにぐにゃりと変形し、瞬時に大型の長方形の盾へと変形する。
その大盾はアルシエルの放ったこちらに迫りくる劫火を完全に弾き返し、消滅させる。
おまけに、結界のような力も放っているらしく、熱波や爆風による影響すら完全に防ぎきってしまっている。
自分の炎を完全に防ぎ切ったその大盾を見て、アルシエルはいつもの不遜な態度とはかけ離れた信じられない物を見る顔になる。
「……何だそりゃあ。天秤の破片……か?」
「その通りです。これは地上に堕ちた天秤の破片を法と混沌の力で鍛え上げた万能可変神域兵装”中立の鉄槌”
いかに貴女の力であろうとこれを破壊する事は不可能です。
そしてまた、これは混沌神である貴女を滅ぼせる武装でもあります。」
次の瞬間、大盾は再び変形を行い、今度はオーレリアの手に収まるメイスへと姿を変える。
これは、法と混沌のバランスを司るとされる”天秤”の極々一部の欠片が地上に落ちた物とされる。天秤が概念的な物か物質的な物であるかは所説あるが、ともあれそれを回収した中立神の神官たちは、その”天秤”の欠片を法と混沌の両方の力で鍛え上げ、均衡を保つための武器を作り上げたのである。
”天秤”自体には自我も意思もない。だが、その力は人間や神々よりも遥かに上位の存在である。
その極めて小さい一欠片でも、神々に対抗できるほど強大な力を秘めているのである。人類サイドにとって見れば、まさしくこれは切り札であると言っても過言ではない。その力に目を付けたのが、この中立神の神殿であり、この武器は彼らにとって切り札であり至宝であると言っても過言ではない。
それを見て、アルシエルは飽きたように肩を竦める。
「やーめた。めんどくさそうだし。これ以上しても面白くなさそうだしね。どうせ蓄積されてた中立神の神力はほとんど無くなったし、同じ事はできないだろ。」
面倒くさげに、アルシエルはそう軽く言い放つと、興味を無くしたようにオーレリアたちからそっぽを向いて、その辺に適当に腰掛ける。
そんなアルシエルにメイスに変化した中立の鉄槌を向けながら、オーレリアは問いかける。
「……貴女に牙を向いた私たちを放置するのですか?」
「牙を向いた?お前らのやった事は私に力を与えてくれただけだろ?
褒めてやっていいが、罰を与えるなんて事する訳ないだろ?」
にやにや、といやらしくアルシエルはオーレリアたちを嘲笑う。
それが彼女たちにとって最も効果的で屈辱的であると知っているのだろう。
思わずオーレリアも歯噛みしてしまうが、今の彼女たちにアルシエルに抗う手段はない。下手な事をすれば、それはさらにアルシエルを肥え太らせる事になるのだ。
「……では聞きます。堕ちた中立神よ。貴女には、我々やこの領地を害するつもりはないと?」
「まあ今のところはな、こちらにも目的がある。そのためにお前たちやこの領地が滅んでもらっては困るからな。」
すっと目を細めて、オーレリアはアルシエルへと問いかける。
「その目的とは?」
「世界の救済。この世界を法の力から救う事だよ。中立神の教えを説くお前たちなら理解できるはずだが?ほら、私たちは共存できる。どうだ?私の話を聞く気になったか?」
そのアルシエルの言葉に、不承不承ながらも渋い顔をしながらオーレリアは頷いた。
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