第14話 灰色の神々の神殿へ。
「ともあれ、状況は理解しました。この状況では、やはり中立神の神殿へと赴いて話を伺わなければならないでしょう。そこの彼女についてもですね。」
そう言いながら、アーデルハイトはじろり、とアルシエルを睨みつける。
この状況になってしまっては、専門家、つまり中立神、灰色の神々に使える神官たちに助けを求めるしかない。この状況では最早彼女たちに成すすべがないからだ。
封じるにせよ、力を弱めるにせよ、彼らにアドバイスをもらうしかない。
「それは、つまり中立神の神殿に案内状を書いてくれる、という事でいいですか?」
「事ここに至っては仕方ないでしょうね。これは私の領分を超えていますから。」
「そ、それではついでですが、そのぉ~。いくつか頼みたい事がありまして……。」
そこで、エルネスティーネは自分のプランについて説明する。
つまり、中立神の聖書を木版印刷によって生産を行う事によって、中立神の神官勢力を自分の側に引きずり込む計画である。
現実世界で最初に活版印刷を行ったグーデンベルグが最初に活版印刷を行ったのは、グーデンベルグ聖書と呼ばれるようになった、ラテン語聖書「ヴルガータ」である。
それは当時最も広く普及していた聖書であった故だが、このように印刷物と教会とは切っても切り離せない間柄である。
そもそも、最初の出版物とも言える写本などは、中世では教会や修道院のみ行われる技術だった。これは教会が神の知識や教えを保護し、それを広く一般に広める必要があったからである。
中立神の神殿も、神の教えを伝えるという部分では教会と変わりはない。
つまり、広く中立神の教えを皆に広める、そのためには中立神の教えを説く聖書は極めて重要である。その聖書を大量生産できる新しい印刷技術は、向こうも喉から手が出るほどほしいはずである。
「まあ、ついでですから、その程度はいいですが……。私が行うのは、あくまで案内状を書いたりして手助けするだけ。自分の望みがあるのなら自分の力で行いなさい。
それが辺境伯の血筋たる者の務めです。」
「では、これからすぐに馬車を用意させます。向こうにも緊急で話は通しておきますので、大至急神殿へと向かう事。これは辺境伯領主としての命令です。」
「え?これから……ですか?いますぐ?」
「当然です。何か不満が?後、ティネ、貴女混沌の加護を受けているわね?
と、いうよりは……貴女、本当にエルネスティーネですか?」
その言葉と共に、アーデルハイトの目がすっと細くなり、鋭い光を放つ。
アッ、やべぇ、これ大姉様ガチだ。ふざけた答えを出すと例え妹であろうと首をたたき切られる、と今までの長い付き合いで直感的にエルネスティーネは悟っていた。
「貴女の胸に混沌の象徴、八方向に向けられた矢の印が刻まれた事は知っていました。そして、貴女の言動がおかしくなってきたのもちょうどその頃。
貴女、エルネスティーネの肉体を乗っ取った混沌の眷属ではなくて?」
そう言いながら、アーデルハイトは砕けたロングソードを再び構え直す。
もしかしなくても、下手な返答を行ったら首を撥ねる気満々である。
ましてや、相手は辺境伯領主。いかに妹とは言えど虚言、嘘を見抜く術に長けている。ここは大人しく真実を語った方がいいだろう。
そして、エルネスティーネは自らの知る真実を語りだした。
元々は異世界で労働を行っていた一般人であり、その魂が転生した事によってこのエルネスティーネになった事。そして、それを行ったのはそこの混沌神であるアルシエルであるという事。
床に正座しながら冷や汗をかいてエルネスティーネはアーデルハイトに何とか説明する。
実際、エルネスティーネ自身も、もう自分のメイン人格がエルネスティーネという少女だったのか前世の一般人だったかはっきりと断言できないのだ。
本人の自意識としては、あくまで異世界の記憶は前世であり、エルネスティーネ自身が唐突に解凍されたその記憶を思い出したという感覚である。
現実世界で一昔前に流行った「ムーの前世少女」いわゆる戦士症候群というのが一番適切なのかもしれない。
最も、彼女からしてみれば、どちらも「自分自身」であり、決してアーデルハイトが危惧しているように、混沌の存在に魂を乗っ取られたとかそういう事ではない。
「あー、一応言っておくが、コイツの言う事は本当だぜ?前世の記憶を持ってはいるが、コイツはコイツ自身であり、混沌の存在が乗っ取ったという訳じゃない。
まあ、信じるか信じないかは知った事じゃないが。」
ベッドの上で無作法にも胡坐をかきながら、一応アルシエルも口を出す。
もっとも、混沌神のいう事をアーデルハイトがどこまで信用するかは分からない。
彼女も散々混沌の怪物との激戦を潜り抜けてきた戦士。
そんな彼女が、その親玉とも言うべき混沌神の一柱の言うことなど聞く可能性は低い。
しかし、ともあれその説明にある程度納得したらしく、アーデルハイトは砕けた自らのロングソードを下す。
「……分かりました。まだ完全に納得した訳ではありませんが、一応証明のために中立神の神殿で魔術的な検査を行ってもらいます。
魂に混沌の汚染がなければそれで良し。貴女のいうことを信用します。
後、肉体の方もきっちり見てもらいなさい。
今は大丈夫みたいですが、混沌の魔力がパワーソースならば、いずれ肉体が混沌に侵され、無秩序に変化してしまう。法と混沌のバランスを取る天秤の力ならば、そういう肉体のバランスを保つための専門家なはずです。
混沌に汚染されて変化する前に見てもらいなさい。」
何だかんだ言いながら、エルネスティーネの肉体の心配までするとは、やはり何だかんだ言いながら身内には甘いらしい。
ともあれ、アーデルハイトの命令で休む暇もなく大至急中立神、灰色の神々の神殿へと馬車に乗って向かう事になった。
本当は、エーファもついてきたかったらしいが、そんな暇もないほど、彼女たちは急いで馬車に詰め込まれた。
エルネスティーネも、何とか聖書用の版木を掘ってもらうために羊皮紙に書いた試作用の版木の説明書を持ち出すだけで精一杯だったほどだ。
木版印刷というのは、比較的手軽である反面、掘るという性質上修正は不可能に近い。そのため、中立神の神官たちに、教えが間違っていないかアドバイスをもらい、その上で版木を完成させる予定である。
何せモノは中立神の教えを説く聖書である。一応手に入れた中立神の教えを説く手書きの写本の聖書を元にはしたが、細かい微調整など必要になってくるかもしれない。
後になって修正は効かないのだから、その前に専門家である神官たちにきちんと添削してもらおうという魂胆である。
「はぁ。まさか体を調べるために灰色の神々の神殿に赴け、とはなぁ。
まあ、紹介状も書いてもらったし、作った聖書用の版木なども見てもらえるように言ってくれるとの事なので、ありがたい限りなのですが……。」
ガタガタと馬車に揺られながら、エルネスティーネは思わず愚痴を言う。
実際、彼女も、自らの肉体については不安がある。
冒険者になったとは言え、まだまだ駆け出しのひよっこである彼女は、混沌領域の本の端っこの部分にしか足を運んでいない。
噂に聞いただけだが、混沌領域に入れば入るほど、混沌の影響が肉体に侵食される可能性が高く、肉体の異形化や怪物化が容易く進むらしい。
そんな混沌から魔力を引き出している自分の肉体が不安なのは当然の流れである。
下手をすれば、いきなり自分の肉体が異形に変化するか、肉塊になって永遠に苦しむ可能性も十分ありうる。
それを考えれば、灰色の神々の神官たちに体を見てもらうというのは、エルネスティーネ自身にもありがたい事だ。
さらに、版木に彫り込む用の灰色の神々の聖書なども、仕様を詳しく羊皮紙に書いて、灰色の神々の神官に見てもらって許可を貰う予定である。
何せ木版印刷の版木というのは、一度彫り込んでしまったら変更がほぼ不可能と言ってもいいぐらいである。
そして、一度失敗したらまた掘りなおさなければならない。
それならば、きちんと灰色の神々の神官にチェックを入れてもらって、確認してから擦り始めるのが一番確実である。
そんな風に大人しく馬車に乗っていると、エルネスティーネの脳内に声が響き渡る。
(よう、私だぜ。)
いきなり脳内に響き渡った鈴のような涼やかな声に似合わぬ乱暴な口調(?)
それは目の前にいる、混沌神の化身であるアルシエルである。
エルネスティーネの服を纏っている彼女は、外見だけみれば深窓の令嬢ではあるが、その乱暴な口調や物腰が全てを台無しにしている。
まあ、元々混沌神である彼女(?)が礼儀作法など気にする訳もなし。それは仕方ない。
彼女はにやにやといやらしく笑いながら、エルネスティーネの脳内に直接声を送ってくる。
(オマエさんに刻まれた混沌の象徴、八方向の矢の紋章を通してお互い声を通じ合わせるようにしたのさ。何か内緒話があるときにこちらの方が好都合だろ?
まあ、気に入らない時にはカットできるようにしてやったんだから、感謝しろよ)
口調こそ乱暴ではあるが、エルネスティーネの事を気遣っているのが何となく察せられてくる内容である。
そもそも、神は人間の事情など全く気にしない。
神の巫女は、常に神の声を聴き続けて発狂したりする事は珍しくもない。
ましてや混沌神となれば、人間など駒程度にしか考えていない。
それなのに、エルネスティーネの事を配慮してくれるとは、やはりアルシエルは混沌神としては例外的な存在であるらしい。
まあ、せっかくテレパシー的能力があるのなら、気になった事を聞いてみよう、とエルネスティーネは脳内で問いかける。
(ところで、中立神って私よく知らないんだけどどんな神なの?)
中立神の国に生まれたエルネスティーネと言っても、自分たちの神の教えを詳しく覚えている訳ではない。
ましてや、教えというのはどんどん都合よく歪められていく物。
同じ神の事ならば、神に聞いた方がいいだろう。
(引き籠りで日和見のコウモリ野郎どもさ。もっとも、世界の均衡が法に大きく崩れたのであいつらも大分焦っているらしいな。ざまぁみろだ。)
ゲラゲラと愉快そうに笑いながらアルシエルは答える。
灰色の神々は基本的に閉鎖的な神だ。自分の領域さえ守れればそれでいいという性格が強い。昔はもっと酷かったらしいが、最近では、積極的に法と混沌のバランスを取るべきと言う勢力が大半を占めており、昔に比べれば積極的にバランスを取るべく神官たちも活動を行っているらしい。
(そういえば、混沌と言えばこの世界の怪物たちは大体混沌から生まれた存在なんでしょ?そいつらを動かして法に戦いを挑むとかはやらないの?)
ふとエルネスティーネは、疑問に思った事をアルシエルに向かって問いかけてみる。
確かに、彼女の目的、世界を救う……世界のバランスを取るためには、それが一番直接的で手っ取り早い作戦である。
戦力の大半を失ったとはいえ、まだ混沌領域に混沌の怪物たちは細々ながら存在している。混沌神の化身である彼女がそれらを纏め上げ、戦力を拡大させて、法の陣営に戦いを挑むというのは、最も彼女の目的に近いだろう。
(うーん、まあ、もう法の戦力に立ち向かえないほど弱っているというのもあるけど……。ここは一つ、今までとやり方を変えて絡め手を使ってみようか、と。
怪物たちを動かしたら法の勢力に感づかれやすいけど、君たち人間を使えば向こうも気づきにくいんじゃないか、と。)
(うん、やっぱり混沌の軍勢を動かすのは反感も買うし、旨味も少ない。
これからは法の連中のように、人間をこちら側に引き込んで操るに限るね。
何もテロとか起こさなくても、技術の発展・進歩によって引き起こされる世界の混乱も十分世界のバランスを混沌へと導けるからね。)
そう、法の国の大侵攻によって、混沌の勢力は盛り返すほどが不可能なほどに弱体化してしまっている。例え、混沌の勢力を盛り返すとしても、それには数百年後という長い時間がかかる。それでは到底間に合わない。
法の力による存在凍結は、瞬時に全世界を覆いつくしてしまうだろう。
(で、私はそのテストベット、試験機という訳ですか。)
(正解!いやぁ上手くいけば怪物たちを動かすよりも遥かに効率よく混沌に傾けることができるからね。うまく行く事を祈っているぜ?
そっちは好き勝手にやって自分の願望を満たし、こっちも好き勝手やって自分の願望を満たす。ウィンウィンってやつさ。)
(……そう言えば貴方、本来は中立神、灰色の神々なんですって?
何で混沌に鞍替えしたんですか?)
そのエルネスティーネの問いかけに、彼女は軽く肩をすくめる。
(……まあ中立神なんて言えば聞こえはいいけど、要はただの引き籠りの集団だからな。天秤、世界のバランスの維持に努めているのならいいけれど、それすら放棄している神々すら存在している。それで本当に世界のバランスを保てるのか?というのが理由さ。数は少ないが、俺のような存在は他にもいる。
現在の混沌と秩序の状況を中立神、天秤に報告して、バランスを取るよう活動する。
スパイ……というか監察官みたいな物だな。)
(そんなの他の混沌の神から厄介者扱いされないの?)
(混沌の神なんて皆厄介者みたいな物だし。だいいち形式だった縦の組織図すらないような物だから、俺のことを知らない奴らもいるんじゃないかなぁ)
(それじゃ、法の神にもあなたみたいな存在はいたんですか?)
(いたんだけどなぁ……。真っ先に封じられるか思想が染まったか何かされて連絡が取れなくなったらしい。その地点で中立神どもが反応しておけばここまでにはならなかったろうになぁ。全く仕事もしないとはろくでなし共め。)
なるほど。それなら彼が混沌神でありながら世界のバランスを取るために活動しているのも納得がいく。
他の混沌の神は自分たちの勢力を伸ばす事に躍起になっており、世界のバランスを維持するなんて事は行わない。
元が中立神である彼だからこそ混沌の立場で世界のバランスを気にする特異な立ち位置になっているのである。
そんな風に愚痴りながらも、あっさりと馬車は中立神の神殿へと到着する。
世界の維持のために天秤とバランスを重視する、灰色の神々の拠点。
古代ギリシャのパルテノン神殿を連想させる大理石によって構築された巨大な神殿。
神殿には「灰色の神々」という名前にふさわしく、基本的に灰色によって塗装されている。正直、地味なのは否めないが、それが神の本質である以上、それに従うのが神官たちの役割なのだろう。
そして、その神殿の前に立ち、彼女たちを待っていたのは、中立神の象徴である灰色のゆったりとしたロープ……神官服を身に纏った一人の女性だった。
アーデルハイトとほぼ同世代の艶やかな黒髪の女性。表面上は穏やかでお淑やかな容貌をしているが、その瞳の奥には鋭い光が宿っている。
質素なローブ、神官服にその豊満な肢体を包み、手には灰色の神々の神力の籠った杖を手にしたその女性こそ、アーデルハイトが話を通していたという灰色の神々の神官なのだろう。
「ようこそいらっしゃいました。エルネスティーネ様。
アーデルハイト様から速達の伝書鳩でお話は伺っております。
わたくし、灰色の神々に使えるこの神殿の神官長、オーレリアと申します。
以後よろしくお願いいたします。」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます