第13話 混沌神、辺境伯領主に語る。
「———で、そちらは混沌の眷属、混沌神の化身という事でいいですよね?」
プレートアーマーを着たまま、周囲を威圧する雰囲気を放ちながら、アーデルハイトはそうエルネスティーネに問いかける。
ベッドの上でふんぞり返っているアルシエルと異なり、エルネスティーネは固い床に正座させられている。
この領地を守護する辺境伯の地位にあるアーデルハイトにとって、如何に妹であろうとも混沌神を領地に持ち込んだなどという事は許されない事だ。
そのため、エーファから大まかな話を聞いて、エルネスティーネが持ち込んだ少女が混沌の存在だと判断した彼女はまず話を聞こうと彼女の元に赴こうとしたのだが、そこで異質な反応を行ったのは、アーデルハイトのプレートアーマーとロングソードだ。
この鎧と剣には、中立神、灰色の神々の力が込められている。
そして、その力は強い混沌の力を秘めた存在が近づくと震えて反応する。
今回、アルシエルをこの館に持ち込んだ時の反応は、魔神の分霊が憑依したハイオークよりもさらに強力な物だった。
それに危機感を覚えたアーデルハイトは、自らの鎧を纏い、剣を持ってエルネスティーネを救うべく駆け付けたという訳である。
「は。はいぃ……。その通りです……。でも大姉様。何でそれを……?」
「エーファから大抵の事情は聴きました。
混沌神を崇める神殿にいた少女、そして、この中立神の加護が込められた武具がその少女が当家に入ってきた瞬間、反応を示しました。
そして何より貴女の「気配」ハイオークに憑依していた魔神の分霊そっくりでしたわ。ここから推測すれば実に単純。
混沌神の化身がいかに厄介かは、混沌領域に隣接し、大侵攻を行ったこの私が一番よく理解しています。」
そこでじろり、とアーデルハイトは、アルシエルを睨みつけるが、当の本人はどこ吹く風で自分の切られて、傷口を再生してくっつけた腕をじっと見ていた。
いや、よくよく見てみると、アレは戸惑っているという感情が一番だろう。
アルシエルの指はぷるぷる震えるだけで、自由に動かないらしい。
それに一番戸惑っているのは、アルシエル本人だろう。
傷は完璧に直したのに指、というか切り落とされた腕が動かないのはおかしい、と言わんばかりの顔である。
「ふむ?指、というか腕が上手く動かないんだが、何か小細工でもしたのか?」
「この剣には、中立神である灰色の神々、天秤の力が付与されています。
その力は魔神の分霊を宿主から退去させるほどです。
貴女もあわよくば……と思ったのですが、そうはならなかったようですね。」
アーデルハイトのロングソードには、中立神、灰色の神々の加護が付与されている。
天秤に使える灰色の神々の加護は、物質の調和を行う事で混沌の力を一時的に弱める力を持っており、魔神の分霊が憑依したハイオークから分霊を引きはがし、退去させたのもその加護の力である。
そのため、アルシエルもその力で退去できるか、と思ったのだが、アルシエルの分霊は単に憑依しているのではなく、専用の肉体に備えられた、いわば受肉状態である。
それほどの強い結びつきとなれば、中立神の力でも魂を引きはがす事はできない。
だが、その力は毒のようにアルシエルの肉体へと回り、指……というか腕が上手く動かないように阻害しているのである。
傷口は再生できても、中立神の調律の力という毒はそうそう解毒はできない。
無論、時間が立てば自然と消えてしまうのだが、戦闘中にとってそれは大きなチャンスになる。
再生が遅くなって戸惑っている隙に、瞬時に五体バラバラにする事はアーデルハイトの剣の腕前ならば可能である。
いかにアルシエルといえど、五体バラバラにされてしまっては身動きは取れないし、再生に時間もかかる。その間に中立神の神官たちによって、そのバラバラになった肉体を封印してもらう。それがアーデルハイトの計画だったのだ。
「で、私に剣を向けた無礼はどう落とし前取ってくれるんだ?と言いたい所だったんだが。」
そこでアルシエルは自らの言葉を区切って、にやり、と邪悪で獰猛な笑みを浮かべる。
「いやぁ、この私にそんな玩具の棒切れで立ち向かうとは、中々面白いじゃねぇか。
その蛮勇さ、面白さで今回の無礼は目を瞑ってやるよ。
面白い見ていて楽しい玩具は多いほどいいもんな。」
「……それはどうも。」
憮然とした表情で、アーデルハイトはアルシエルの言葉を受け入れる。
もう今の彼女にはアルシエルをどうにかする手段がない。
ロングソードも破壊されてしまった上に、手の内を読まれてしまっている以上、最早五体をバラバラにする事など不可能だろう。
ここでさらに彼女の怒りを買ってしまっては最早抑える手段がない。
「全く、私が混沌神だからって警戒しすぎだっての。この体はいわば端末だ。そいつに、オレ……いや、私の分霊を憑依させた訳だが、いやこれが質が悪い悪い。性能だって最悪だ。
神としての力だってほとんど振るえないし、肉体性能が並の人間に比べてちょっといいぐらいだ。
テメェの危惧するような真似はできんさ。」
そう言いながら、アルシエルは大袈裟に肩を竦める。
だが、そんな彼女をアーデルハイトは鋭い視線で射貫く。
「それでも、この領地を滅ぼす事ぐらいはできる。そうではなくて?」
そう、アーデルハイトの最も危惧しているのは、混沌神である彼女がこの領地を荒し、破壊する事。それが辺境伯当主としては当然最も危惧すべき事だ。
例え神としての力を振るう事はできないと言っても、それはあくまでも神の基準。
人間からすればそれだけでも膨大な被害をこの領地に与えかねない。
この領地は、混沌領域からの侵攻からも、法の国の侵攻からも、ノイエテール国を守護するために存在しており、そのために辺境伯という地位を賜っているのである。
そんな彼女からしてみれば、いかにバランスを重視する中立神を奉じる国と言えど、身近に混沌神が存在するなど、到底許容できる物ではなかった。
だが、そんな敵意を見せられてなお、アルシエルは怯むでもなく、軽く肩を竦める。
「おいおい、随分と嫌われたモンだな。確かに私は今は混沌神だけど、元は法の神だったんだぜ?一応、元は中立の神だった立場として最低限の仁義は守るさ。」
「……中立の神?貴女がですか?」
それはエルネスティーネも初耳である。
彼……もとい、彼女は、自分のことを混沌神としてしか言っていない。
というか、エルシエルの事について何も知らないのだ。
伝承などで調べようとも思ったが。例え辺境伯の家とは言え、そのような神についての伝承がほとんど残されていない。
やはりこう言った事は、それ専門、つまり中立神の神殿に行って蔵書を漁るなり、神官に話を聞くなりするのが一番だろう。
「その通り。全く動こうとしない引きこもり共にも、堅物で世界を秩序で支配しようとした奴らにも愛想をつかして混沌神に鞍替えしたのが私の原型(アーキタイプ)さ。
私の危惧通り、あの蝙蝠野郎どもは日和見をする所か法の神に協力までしやがった。
その結果がこれさ。このままだと、世界は滅びるぜ。」
その言葉に反応したのは、やはりアーデルハイトだった。
エルシエルの言葉に思わず半信半疑のまま問いかける。
「……世界が滅びる?本気ですの?」
「本当だよ。今のこの世界は、混沌の勢力がほぼ滅び、法の勢力が非常に増大している。天秤と中立の神を崇めるお前たちなら、この状況がまずいと理解しているだろう。」
「………。」
確かに、それはアーデルハイトも危機感を覚えていた。
法と混沌とのバランスが取れてこそ世界は維持される、というのが中立を崇めるノイトラール の国是である。
そのため、最後まで法の国々の連合の協力要請にギリギリまで応じなかったのである。しかし、協力しないのならば諸共滅ぼすぞ、という連合の要請により、渋々要請に応じ法の国々に協力したのである。
自らの国の理念に反し、人類のため、自らの国を守るためとはいえ、自らの手でバランスを大きく崩す真似を行ったノイエテール国は、その報いを受ける時を迎えたのである。
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