第一章 武井信 〜 武井商店

 武井商店

 

 本社会議室。

「どうします? まだ待つんですか? 」

 既に会議開始時刻から、30分が優に過ぎ去っていた。しかしその声にも、重役たちの視線は微動だにしない。一度は立ち上がっていた加治靖男も、そんな様子に元の席へと腰を下ろした。

 週に一度開かれる重役だけの会議の場に、加治は今日主役として出席していた。そして今、なんの連絡もないまま一向に姿を見せない人物の出現を、ここにいる全員が今か今かと待ち続けている。

 武井信44歳――それはこの会社の創業社長であり、ここ最近彼のワンマンぶりは、社内のみならず業界全体で有名な話となりつつあった。

 そんな武井が現れるのは、更に10分ほどが過ぎた頃、彼は無言のまま会議室に姿を見せ、席に着くなり机の上の資料に目を通し始める。辺りはにわかにざわつき、そんな物音でやっと彼は、右手だけで先に始めろという合図を送った。それからしばらくは何事もなく、商品開発部長である加治のプレゼンが続く。しかし具体的な商品説明に入ったところで、武井がいきなり大声を上げた。

「もういい! おまえはそんなものが、本当に売れると思っているのか!? 」

 何がどうダメなのか? その説明はまるでなし。それどころか、加治がいくら理由を尋ねようとも売れるわけないとの一点張りで、とうとう加治の企画は廃案となってしまう。そのような流れに重役たちは、誰1人反対の声を上げようとはしなかった。

 しかしそんな武井の態度に、その顔付きだけで、不信感を露にする人物が1人だけはいた。それはこの会社のナンバー2で、武井が独立前にいた会社で上司だった柴多芳夫という男。10歳ほど武井より年上だったが、武井の訴える新事業に感銘を受け同時期に退社。その後すぐ、武井と共に「武井商店」を立ち上げ今日に至っている。さらに言うなら、武井商店繁栄の基礎を築き上げたのは、柴多の経験とコネクションであると言っても言い過ぎではないのだ。

 そんな彼が会議の後、久しぶりに声を荒げて険しい顔を見せていた。

「なぜあのような発言をなさるんですか!? 他の重役たちがいたから黙ってましたが、あれではいくらなんでも酷すぎる。彼のところはこれまでも、何度もヒット商品を出しているんですよ! 」

 その声に、武井は瞬時に不満げな顔を見せた。しかし柴多は構う事なくさらに続ける。

「社長とわたしが始めた頃とは、今はもう環境が違うんです。競合だって比べものにならないし、とにかく世界がまるで違うんだ。こんな時代に、わたしらの頃のようなヒット商品は無理ですよ」

「馬鹿なことを言わんでくれ。そんな時代だからこそ、高い金を払ってあいつを引き抜いたんじゃないか!? そこそこのヒットでいいなんて考えてたら、すぐどっかに追い越されてしまう。そんなこと、副社長、あんただって充分分かっているはずだろう? 」

 もちろん武井の言っていることは、柴多にも充分理解はできた。しかしネットを覗けば情報が溢れ、何だって買えるこの時代に、独占的なヒット商品など作ろうと思って作れるものじゃない。

 ――昔はここまで……独善的じゃなかった……。

 ここ数年の武井は、明らかにいつも、どこか苛立っているように柴多には見えた。そしてそのせいなのか、こんな言い争いがここ最近何度となく起こっている。

 だからこれ以上何を言っても、無駄であるのは重々承知の上のこと……。

「いいですか? 何がどうあろうと、企画部門の責任者は副社長であるこのわたしです。だから彼をどう評価するのかはわたしの仕事で、その判断がお気に召さないのであれば、まずはわたしをどうにかなさってください! 」

 そう言い切った後、柴多はすぐに社長室を出て行った。そして扉から少し離れて、ほんの一時立ち止まる。いつもであれば、何か一言二言――例えば、〝あんたは甘い! 甘過ぎる!〟といった感じのことを――口にするはずなのだ。ところがその日に限って、武井は何も言っては来なかった。武井はその時、扉が閉まると同時に引き出しから何かを取り出し、それを見つめながら思っていたのである。

 ――確かにあの頃と……すべて同じというわけにはいかない。今や何もかもが、大きく変わってしまったんだからな……。

 そしておもむろに、彼は手にあるものを真っ二つに引き裂いた

 それは、ずいぶん古びた写真で、ずっと机の奥にしまい込まれていたものだった。そこには結婚前の武井と、今よりずっと若々しい柴多が並び映っている。その周りには、のちに武井の妻となる女性と、数人のアルバイトが満面の笑みを見せていた。今やその社名を知らずとも、〝タケショー〟という運営サイト名については、恐らくは知らぬ者などいないだろう。けれど創業当時は、写真に映ったものだけが、武井商店のすべてであった。

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