第5話 懺悔の値打ちもない
とうとう、結婚することになったんだな。
上機嫌で香織が帰っていき、部屋は、急に寂しくなった。
大学に進んでから、8年ほどを過ごしたワンルームマンション。駅に近くて便利と、引っ越しは考えなかったが、じきに出ていくことになる。
香織の両親の許可が出たら、適当な部屋をみつけて一緒に暮らすか。式はそれからでも遅くないかも。
次々に、新生活へのビジョンが浮かぶ。
蓮のことを、俺は、ようやく思い出した。
ちゃんと伝えるべきだ、遊びはおしまいにしようと。
4年近く、関係を続けてきて、電話一本でサヨナラ、は、さすがに気が引ける。ずいぶん楽しませてもらったし、仲良くもしてきたのだから。
香織の両親への挨拶は、無事に終わった。どうにか俺は気に入ってもらえたようで、ほっとした。実家へも、香織を連れて顔を出した。
結納の準備、結婚式はいつ頃、どこで、などなど。時間がどんどん過ぎていき、気づけば12月。蓮のことは、年内に決着を付けたかった。
年も押し詰まった、ある夜、俺は蓮の部屋に行った。
「話がある」と伝えておいたから、察しはついたと思う。話がある。と、あらかじめ言っておくなんて、はじめてだった。《《》》
「松橋。あのさー、俺。結婚、することにしたよ」
そう告げると、蓮は、
「おめでとうございます」
素直に祝福してくれた。
「いままで、ありがとうな。楽しかったけど」
俺は腰に手を当て、
「えっと、その。遊びは、このへんで終わりにしよ」
蓮の顔を見ずに言った。
そうですね、結婚するんだから、けじめなくちゃすよね。
当然、そんな答えが返ってくるものと思ったが、蓮は、何も言わない。
さらに沈黙が続き、
どうした。まさか、続けたいのか?
顔を上げた俺は、信じられないものを見た。
蓮の目に涙が浮かんでいた。と思う間もなく、一筋の涙が頬を伝う。頬から首筋へと流れていく。
あふれる涙をぬぐおうともせず、蓮は、
「そうですよね、先輩にとっては」
声を震わせた。
「でも、聞きたくなかった、その言葉。俺、俺は、本気だったから。ずっと、ずっと、先輩が、好きでした」
「ええっ」
ほとんど、悲鳴のような声だった。
本気だった?
蓮が、俺を好きだった、ずっと?
まさか、ウソだろう。
蓮はベッドに突っ伏し、肩を震わせて、泣き続ける。
そんな辛そうに、泣かないでくれ。
苦しい。どうすればいいんだ。
蓮の方に手を伸ばしかけ、あわててひっこめる。
もう二度と、触れてはいけない。いや、最初から、触れてはいけなかったんだ。
「すまない」
それだけ言うのが、やっとだった。俺は、蓮に背を向けた。
ドアに手をかけたとき、かすれた声が聞こえた。
「プロポーズ、うれしかった」
逃げるように部屋を出た。
師走の街に、冷たい風が吹いていた。華やかなイルミネーションの中を、茫然と歩く。
プロポーズ。
まえが女だったら、プロポーズしちゃうよ。
あんな軽薄な言葉が、蓮は、うれしかった、と。
「俺も、興味あるから」
はじめてバックを許した時、なんでもなさそうに蓮は言ったが、本当は、
「好きです。俺と、一線を越えてください」
そう言いたかったのだ。
もし、そう言われていたら?
ドン引きだ。俺は、その場で、もう会うのはやめだ、と告げただろう。
遊びだったから。蓮もそうだと、思い込んでいたから。気楽に関係を続けてきたのだ。
彼女が居るときは疎遠で、関係が悪化したり、ふられたりしたときだけ、はけ口を求めて会った、蓮を利用した。
なんて身勝手だったんだ。蓮の気持なんか、考えたこともない。
あいつは、どこまでも都合のいい遊び相手、それだけだった。
蓮は分かっていた、俺が同性と向き合うことは、絶対にない、と。
俺は根っからの女好きで、酔った勢いでもなければ、男と、なんて有り得ない。
心が掴めないなら、体だけでも、と思ったのか、「遊び」のふりをして、付き合ってくれていたのか。
遊びだった、と言ってほしかった。
そう言ってもらえていたら、俺は、気分よく、帰路についていただろう。
鼻歌でも歌いながら。来年は香織と結婚、新生活が始まる、と。
おそらく。最後まで、蓮は遊びのふりをするつもりだった。
本心を告げたら、俺が悩むからだ。受け入れることはできないが、蓮の気持ちを思いやり、葛藤するに違いないから。
しかし、涙が心を裏切った。抑えようとしたが、あふれてしまった。
関係を持って3年数か月、もしかしたら、5年以上。こんなを、慕ってくれていたのか。
そんな資格、俺にはないんだ。
おまえを
あれから数年がたつ。俺は香織と結婚し、父親になった。ひとり娘は来年、小学生になる。
俺は、絶対に離婚しない。
それが、蓮を
今も思い出す、あの夜の、蓮の涙を。
自分を愛してくれた男の涙は、重かった、あまりにも、重すぎた。
蓮。
一度も、名前で呼んでやれなかった。
遊びだったと言ってくれ~あいつと俺の罪な日々 チェシャ猫亭 @bianco3
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