アツシ先輩の試合

会場の大雁高校のグラウンドに到着すると、もうすでに一回戦の試合が始まっていた。各チームの声援や、審判の笛の音などが、砂埃が混じった風とともに聞こえる。試合をするには最高のコンディションの青空が、耀たちの頭上に広がっていた。

「おお~、もう始まってる!」

 耀は必要最低限のものを入れたリュックを揺らしながら、グラウンドを見渡した。

「うわぁ、すごい! こんな感じなんですね! 僕、スポーツ観戦をするの実は初めてなんですよ!」

「ええっ、そうなの⁉」

「はい! だから昨日の夜はあんまり眠れませんでした…」

 直生はそう言いながら、恥ずかしそうに手でパタパタを顔を仰いだ。

 大雁高校は、カフェの最寄り駅から二駅ほどの位置にある公立高校である。四人はカフェで合流した後に、電車に乗り、駅を降りて徒歩五分でここに到着した。五月に入るとさすがに気温も高くなり、ちょっと歩いただけで自然と汗ばんでくる。

「てかさ。お前、荷物多すぎないか?」

「え? そうですかね?」

 陸の言う通り、直生が背負っているリュックは耀たちと比べて特別大きく膨らんでいる。

「何持ってきたんだ?」

「みんなとそんなに変わらないと思いますけど…。あ、でも、こういうのもちゃんと持ってきましたよ! ほら!」

 直生はリュックをなにやらガサゴソやると、『アツシ♡』と蛍光ペンでデコレーションされたうちわを取り出した。どう見てもこの場にふさわしくない物体に、陸が盛大に顔を引きつらせる。

「げっ! な、なんじゃそりゃ!」

「なんじゃそりゃって、うちわですけど…」

「お前なぁ~! アイドルのコンサートじゃねぇんだから、そんなもん必要ねぇんだよ!」

「えぇっ、そうなんですか! せっかく作ったのに…」

 そんなやりとりを見ながら、仁が「直生って意外と天然だよな」と言ってきたので、耀は「そうだね」と苦笑いして見せた。でも、直生のそういうところも、おもしろくて耀は割と気に入っていた。

「ねぇ、とりあえずもうちょっと近くまで行こうよ! ここからだとあんまり見えないからさ!」

 耀はそう言うと、そのままずんずんと応援席の方へと進んでいく。

「おい! ちょっと待てよ。万が一アツシ先輩にバレたら良くねぇから、そこらへんにある木の陰とかにしといた方がいいんじゃねぇの?」

「え? でも、アツシ先輩は俺らのこと覚えてないから大丈夫じゃない?」

「いや、万が一ってことがあるかもしれない。それに、あそこはアツシ先輩たちの関係者も多いと思うし、俺たちだけだと怪しまれる可能性もある」

「た、たしかに…」

 仁の正論に、耀はぐぬぬと頷いた。

 耀が行こうとしていた応援スペースは、保護者や後輩たちですでに陣取られている。もしそこに自分たちがのこのこ出て行って、誰の関係者か聞かれたら面倒だ。

 結局、四人は試合が行われている場所から少し離れた、グラウンドの隅を陣取ることにした。ここなら応援席からも距離があるし、何より木陰があるので涼しい。

「で、肝心のアツシ先輩は今どこにいんだよ」

「同じクラスのサッカー部の友達に聞いたんだけど、三毛野高校と梅宮高校の試合は二回戦からだから、まだ時間あると思うよ」

 耀の予想通り、アツシはやはり三毛野高校の生徒だった。そして、森先生はサッカー部の顧問だったことを思い出したのだ。

 それから昨夜、仁たちに電話する前に、クラスのサッカー部の友人に先輩と同じ人物がいるかどうかを確認し、アツシという人間がいることも判明したのだ。また、その友人から、三毛高のサッカー部の試合が明日あることも教えてもらい、彼がアツシに違いないと確信したのだ。その後、彼に試合会場が大雁高校であることも教えてもらい、今に至るのである。

「あのさぁ、すげぇ言いづらいんだけど…。三毛高の試合、もう始まってね?」

「へ?」

 陸が苦々しげに、グラウンドを顎でしゃくってみせる。

「ほら、あそこで試合やってる選手のユニフォームに、三毛野ってでっかく書かれてんだけど…」

「ああー⁉ ほんとうだ‼ えっ、嘘⁉ なんで⁉」

 耀は慌ててスマホをチェックする。

 レインを開き、友人とのチャット画面を開いた。そこにはちゃんと、試合は一回戦からと書かれてあった。

「うわぁ~、最悪! 俺、勝手に一回戦を二回戦だと見間違えてたみたいだぁ…」

 がっくりとうな垂れる耀に、仁が遠慮がちに伝える。

「耀、追い打ちをかけるようで悪いが、試合ももう後半に入ってるみたいだぞ」

「うそーん⁉」

「しかも、三対〇で相手チームに負けてるみたいですね…」

「ええ~っ! そんなぁ!」

 目を細めて遠くにある得点版を見ると、確かに大雁高校の得点は〇点だった。

「でも、相手は私立の梅宮高校だ。たしか県でも上位の実力を持つサッカー部だったはず。なら、これくらいの点数が開くのは仕方ないだろうな。三毛高は強い部とは言い切れないみたいだし」

「そう言えば、アツシ先輩もそんなこと言ってたなぁ…」

 耀は仁の説明を聞きながら、一人納得した。だが、すぐにぶんぶんと首を振って正気に戻った。

「って! そんなことは今はどうでもいいんだよ! とにかく、こんなところでコソコソ応援してても仕方ない! やっぱり近くで応援しに行かなきゃ!」

(そうだ! 正直、勝ち負けは今は俺にとってどうでもいいんだ! 肝心なのは、アツシ先輩が試合に出れたのかどうかってとこなんだよ!)

 耀はここに来た当初の目的を思い出しながら、リュックをつかむと一目散に応援席へと駆け出した。

「ああっ、待ってください、耀くん!」

「おいっ! お前は結局行くのかよっ!」

 陸たちは耀に振り回されながら、彼のあとを追いかけて木の陰から勢いよく走りだした。


「はぁ、はぁ……ついたぁ~!」

 耀は首筋に流れる汗をティーシャツの袖で雑に拭った。

 今日は暑くなると予想していたので、体温調節しやすいように半袖の上にパーカーを着てきたのだ。

 耀はパーカーを脱いで腰に巻き付けると、血眼でアツシの姿がグラウンドにないか探した。

「はぁ、はぁ…! 耀、お前意外と足早いんだな! 全然追いつけなくてびっくりしたぞ…!」

 後からきた陸が、直生の重いリュックを代わりに背負ってきながら、耀の横に並ぶ。

 だが、耀には陸の声が聞こえていなかった。

 試合中のグラウンドの上、ローマ字で秋野と書かれたユニフォームに目が釘付けになる。

「いたっ……!」

「へ? お前、どこか痛いのか?」

「違うよ! いた、だよ! ほら見て、アツシ先輩試合に出てる!」

 耀の視線の先には、確かに昨日夢の世界で出会った少年が、サッカーボールを追いかけている姿があった。

 それに気が付いた三人の目にも、耀の感動が伝染したようにきらりと輝く。

「ほんとだ…。なんだ、俺らが心配することでもなかったじゃん!」

「よかったですね!」

「だな」

 いきなり走ってきた見知らぬ四人の姿に、保護者たちや後輩たちは少しざわついていたが、耀たちの耳には全く聞こえなかった。ただ、負けてはいるが試合に出られてうれしそうにしている彼を見て、耀は心の奥にあったなにかがゆっくりと解けていく感覚がした。

(よかった…アツシ先輩の努力、現実世界でもちゃんと報われたんだ!)

 耀は胸の奥底がじんわりと温かくなるのを感じた。それは、カナトがピアノの発表会でちゃんと演奏できたとき、そしてミキが親友と仲良くなれたのを見たときに感じたものと同じだった。

(そうだ。やっぱり俺は、自分と関わったことがある人には、笑顔でいてほしいんだよ!)

 試合には負けているものの、一生懸命ボールに食らいつこうとするアツシの姿を、耀はひたむきに目で追い続けた。

 だが、仁が不思議そうな顔でこちらを覗き込んできたので、耀は我に返った。

「なっ、なに?」

「耀、応援しないの?」

「……ああっ、ほんとだ!」

 耀は自分が先輩に見惚れていたことに気がつくと、一人で恥ずかしくなった。それを打ち消すように、息を大きく吸い込み、「アツシ先輩、がんばれーーーーーっ!」と力いっぱい叫ぶ。

 耀の声に気づいたアツシがぱっとこちらを振り向いた。

 彼は自分たちの姿に見覚えがないのか、小首を傾げるとすぐにこちらから目を逸らした。

「やっぱり、俺たちのこと覚えてないみたいだな…」

「うん。でも、いいよ」

 陸が気遣うようにこちらをちらりと見たが、耀は彼に忘れられていてもショックは受けなかった。耀はすでに、彼が最後の試合に出られたという事実を確認するこができて満ち足りていた。

「まぁ、お前が満足してるならいいんだけどよ」

 陸がそっぽを向きながら、ぽつりと呟く。だが、その声は直生の歓声にかき消された。

「アツシ先輩、がんばれーっ!」

「げっ! お前、だからそのうちわはさすがに恥ずいって!」

 直生はいつの間にかさっきのうちわを取り出しており、それをぶんぶん振っている。

「が、がんばれっ!」

「がんばれー!」

 陸も仁も、最初はあまり声を出していなかったものの、耀につられてどんどん声のボリュームが大きくなっていく。

 その時、耀たちの目の前で奇跡が起こった。

 なんと、ゴール前にいたアツシがシュートを決めたのだ。

 耀たちは一瞬、何が起こったのかわからなかった。だが、すぐに状況を理解すると、四人で抱きあって喜んだ。

「うわっ、マジかよ!」

「まさか、ここでシュートを決めちゃうなんて!」

「アツシ先輩、すごいですっ!」

「ああ、本当に…!」

 アツシは自分が一番信じられない、というような表情で、ゴールに入ったボールを呆然と見ていた。そして、満開の笑顔でガッツポーズをした。

 その瞬間、耀はアツシと目があった気がした。

 彼は自分たちのことは覚えていないはずなのに、四人に向かって「やったぜ!」とピースサインをしてみせた。

 耀たちは顔を見合わせると、彼に向かって同じようにピースサインを返した。

 その光景が、また耀の心のアルバムに刻まれたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る