店長からの大切なメッセージ
ソファの上で目を覚まし、耀はばっと体を起こした。
珍しいことに、今日は向いのソファに、羊人間姿の店長がいなかった。
「アツシ先輩、とってもいい人でしたね」
「ああ、本当にいい人だったな。どうせなら、もう少し仲良くなりたかった」
直生がそうぽつりと言った台詞に、仁が大きく頷く。
仁の本音は、耀の本音と全く同じだった。たった一夜、夢の中の世界を共有するだけの関係だとはわかっていても、一緒に悪夢を乗り越えた夢主と別れるのは少し寂しい。
耀が少しセンチメンタルな気分に浸っていると、向かい側のドアから店長がバタバタと入ってきた。
「み、みんなごめ~ん! 遅くなっちゃったぁ」
「あっ、店長!」
店長はワゴンをゴロゴロと引きながら部屋に入ると、耀たちの前に氷のたくさん入ったカフェオレといつものクッキーを並べた。
そして自分もどっか、とソファに沈み込むと、ふぅと小さく息をついた。
「いや~、ちょっと仕事が長引いちゃってね。それにしても、今日も悪夢の浄化、お疲れさま! みんな、かなり仕事が早くなってきてるね。ほら、まだ勤務時間内だよ」
「えっ? うわっ、ほんとだ!」
例の鳩時計を見ると、時刻はまだ五時四十分だった。いつもはちょうど六時くらいに夢の世界から抜け出してくるので、今日は普段より早い現実世界への帰還である。
正直、耀は今回の悪夢浄化が一番長く時間がかかった気がしていたので、少し意外だった。
「いやぁ、ほんとうにお疲れさま。このクッキー、今日作った試作品なんだ。ぜひ食べて、感想を聞かせてよ」
「じゃあ遠慮なくいただきます」
腹を空かせていた仁が、店長が言い終わるや否やすぐにクッキーを口に放り込む。
それに続いて、陸も直生もおいしそうに、お花型のクッキーをサクサク食べ始めた。
「どう、おいしい?」
「ふほふおいひいへふ」
「すごくおいしいみたいです」
仁のセリフを、直生が冷静に訳す。
「よかったぁ! じゃあ明日から早速、お店のテイクアウトコーナーに出そう!」
店長はそう言うと、自分もカフェオレをゴキュゴキュと飲み干した。
(もしかしてこの人、自分が食べたり飲んだりしたいから、わざわざ俺たちのところにお菓子や飲み物を持ってきてるんじゃ…)
耀はそんなことをふと思った。
「あれ、耀くんは食べないの?」
店長にクッキーが盛られた皿を手前に持ってこられ、耀ははっと我に返った。
「なんだお前。さっきから妙に辛気臭い顔してるな」
耀のいつもと違う様子に気づいた陸が、怪訝そうな顔でこちらを見る。
「もしかして、向こうの世界でなにかあったの?」
横長に伸びている店長の瞳孔に見つめられ、耀は少したじろいだ。こうして見ると、草食動物の目も案外迫力がある。
「いや、別に何もないんですけど…ちょっと寂しくて」
「寂しい?」
「はい…」
耀はカフェオレグラスについた水滴を指で拭いながら、そう答えた。
店長は耀の方を黙って見つめている。陸たちは不思議そうにその様子を眺めていた。もちろん、クッキーを頬張りながらであるが。
『俺、君たちのこと忘れないから!』
アツシの声がもう一度、頭の中で再生される。耀は思い切って、店長に尋ねてみることにした。
「あ、あの」
「ん? なんだい?」
「夢の中の世界で出会った人たちって、本当に俺たちのこと忘れちゃうんですか?」
店長はふわふわした顎の毛をさすりながら、少し黙った。どう答えるべきか考えているのだろう。
「…そうだね。ほとんどの人は、夢の番人のことは忘れてしまう仕組みになっている。だから、今日耀くんたちが助けた夢主の子も、夢から覚めた時には、君たちのことを忘れている可能性が高いとしか言いようがないね」
「…そうですか」
耀は少ししゅんとした。やはり、店長は前に耀たちにこの仕事を説明してくれた時と同じような回答をした。
(そうか。やっぱり俺たちって、夢主の人たちから忘れられちゃうんだ。俺たちは覚えたままなのに…)
耀はただ、夢で助けたことを覚えていてほしいなどという考えではなく、一緒に悪夢を乗り越えた仲間として、現実世界でも単純に友達になれたらと思ったのだ。
「でも、なんで俺たちは忘れられる仕組みになってるんだ? 別に、夢主にとって俺たちは有害な存在ではないはずだろ?」
陸が店長の方へ、ずいっと身を乗り出す。店長は近づいてきた陸にクッキーを無理やり頬張らせると、話し始めた。陸は「ふごっ⁉」と奇声を上げたものの、おとなしくそれを食べながら耳を傾ける。
「夢の番人は、夢主にとって、あくまで夢の中の人物にすぎない。もし夢の番人が現実世界にいるとばれてしまえば、彼らは君たちに興味を抱かざるを得ないだろうね。ましてや君たちが担当するのは、君たちと同年代、もしくはそれよりも若い子どもたちだ。若い子は現実離れした世界に特に興味を抱きやすい。夢主の子は、君たちが夢の番人だと知れば、君たちを通して夢の世界に依存してしまうかもしれない。そんな危険性があるから、夢の番人のことは、夢主から忘れ去られるような仕組みになっているんだよ」
「…な、なるほど?」
耀はまだ店長が言っていることをうまく呑み込めないまま、頷いた。
「店長さん。夢の世界に依存してしまう可能性があるって、どういうことですか?」
直生がカフェオレグラスを両手で上品に持ちながら、尋ねた。
店長は直生をちらりと見ると、グラスをテーブルの上に置きなおした。
「君たちくらいまでの年齢の若い子たちは、現実世界と夢世界の境界線をはっきりさせておかないと危険なんだ。というのも、夢世界から出ることを自ら拒む子が、一定数いるんだよ。夢世界と現実世界を比較すれば、若い子たちにとって楽しいと感じるのは、やっぱり夢世界であることが多い。そりゃあそうだろうね。夢の中の世界では、現実ではできないことがたくさんできるんだから」
店長はそこで言葉を切ると、一息ついた。だが、真剣な眼差しで耀たちを見据えると、きっぱりとこう言い切った。
「でも、君たちが生きなきゃいけないのは、現実だ。それだけは、絶対に間違えちゃいけない」
耀たちは店長の言葉に、全身が痺れる心地がした。
自分たちがうっかり忘れてしまいそうな大切なことを、店長に改めて認識させられ、四人は背筋を伸ばす。
「夢の番人という仕事は、夢世界と現実世界を自由に行き来できる、特別な仕事だ。もし、君たちが夢主と関わりを持ったとして、彼らにもう一度夢の世界へ連れて行ってほしいと頼まれたら、どうする?」
「そ、そんなこと聞かれても……」
陸がいつもより真剣な様子の店長に辟易しながら、目を宙に泳がせる。
陸と同様、直生も仁も今の店長に真っ向から返事を返す自信はないようだ。それどころか、少し怖気づいている。そのくらい、いつも優しいイメージの彼とはかけ離れた雰囲気を、今の店長は醸し出しているのだ。
「……どうするのが、正解なんですか?」
四人を代表して、耀は店長に恐る恐る尋ねた。
「…そうだね。もし、君たちが彼らを望み通り夢世界へと連れて行けば、夢主はおそらく現実世界へは戻ろうとしないだろう。それが長引けば、彼らは永遠に夢の世界へひきこもることになる」
「ってことは、まさか現実世界では…」
「夢主は寝たきりってことか…?」
一足早く結論にたどり着いた直生と仁は、青ざめた顔で店長を見つめた。
店長はそんな二人に、顎を乗せている手を組み替えながら言った。
「そのまま夢主が、夢世界から現実に出ることを望まなければ、ね」
「そ、そんな…」
陸がソファの背もたれに力なくもたれる。
耀はまさか自分がなにげなくした質問で、これほどシリアスな展開になるとは思ってもみなかった。
なので、予想だにしなかった話の重さに、心臓を直接殴られた気分である。
それに、店長もこんなことを自分たちに告げるのは、きっと辛かったに違いない。彼はテーブルの前でずっと俯いたままだ。
耀は居心地の悪さに胃がキリキリと痛む思いがした。
だが、店長は突然開き直ったかのように、ペロリと舌を出しておどけて見せた。
「ま! 今は簡単にそんな事件が起きないようなシステムになってるんだけどねっ!」
「えっ?」「は?」「へ?」「はい?」
四人は全員盛大に頭の上にはてなマークを浮かべる。
「実はこれ、結構昔にあった、僕たち管理人の間では有名な事件なんだよ。今から何十年か前に、夢の番人のアルバイトをしてた男子が、自分が担当した悪夢の夢主の女の子に顔を覚えられちゃってね。それでその子に現実世界でもう一度夢の世界に連れて行ってって頼まれて、結局言う通りにしちゃうっていうちょっとした事件があったんだよ~」
「えっ……え………?」
店長のテンションの変わりようについていけない四人は、ぽかんと口を開けたまま、ただただ話を聞いていた。
店長はそんな耀たちの様子はお構いなしに、饒舌に話し続ける。
「で、そのあと夢主の女の子がぐずって、なかなか夢世界から出てこなくなっちゃったみたいでさぁ。あ、もちろん、その子は僕たちみたいな夢の管理人がきちんと現実世界へ引き戻したんだけどねっ! それ以来、アルバイトの夢の番人は、僕みたいな管理人の許可なしに夢世界へ入ることは禁止されるようになったんだ。あと、顔の忘却システムも導入されるようになったしね。まぁ、まだ試用段階らしいけど…。でも、まぁ要するに、君たちはそんな事件に巻き込まれる可能性はないってことだよ!」
「は、はぁ……」
耀はとにかく話に出てきた夢主が、永遠に夢世界に閉じ込められることがなかったことに安堵した。それはどうやら、三人も同じみたいだ。
さっきまではぽかんとしていたが、話の意味がわかったいま、少し落ち着いているように見える。
「とにかく、僕が伝えたかったのは、君たちもこの仕事に慣れてきたとは思うけど、現実と夢の世界をごっちゃに考えないようにねってこと! まぁ言わば、夢の世界に住む僕からの忠告だよ」
「だったらそう最初から言えよっ!」
「あいたっ!」
陸が少々キレ気味に、店長にツッコむ。
ソファに置いてあった小さなクッションを投げつけられ、店長は後ろに大きくのけ反った。
「ったく! 無駄に深刻そうに話しやがって! 見ろよ! こいつなんかこんなに真っ青になっちまってるじゃねぇか!」
陸は、青い顔でさっきから黙ったままの直生を振り返った。
直生が持っているグラスは小刻みに震え、カフェオレが時々こぼれそうになっている。
「ええ~、僕の話し方、そんなに怖かった? でも、これぐらいインパクトがないと、今の子には響かないかなぁと思って…」
「店長の話、最近見たホラー映画よりも怖かったです。マジで」
仁も少し血色の悪い顔で、店長に詰め寄った。
「えっ! ほんと? そんなにすごかった?」
「だから褒めてねぇよ!」
なぜか照れている店長に、陸はまた噛みつくように指摘する。
「あの話の流れだと、僕、てっきり夢主の方は死んでしまわれたのかと…。それで僕、人を死に近づけてしまう危険性があるアルバイトをしているのってどうなんだろうって思っちゃって…。やっぱり、やめたほうがいいのかな…。せっかくみんなと仲良くなれたと思ったのに…」
直生がそんなことを言い出すので、店長はようやく慌てふためき始めた。
「いや、ちょっと待って直生くん! だから結局、夢主の子は生きてて…」
「やっぱり僕、このアルバイトやめます!」
「えぇっ‼ 嘘でしょ直生⁉」
耀は飲みかけていたカフェオレを盛大に吹き出した。それは店長の白いもこもこの毛に染みこんでいく。
だが、店長もそれどころではない。やっと引き入れた新人の辞職宣言に、ソファから立ち上がらざるを得ない。
「ちょちょちょ、直生くん⁉」
「今までありがとうございました!」
「待って~! ってなんかつめたっ! えっ、いつの間にかカフェオレが僕の毛についてるんだけど!」
「すみません、それ俺です!」
「ああもう! 結局なんかごちゃごちゃじゃねぇか‼」
陸の盛大な叫び声が響き、続いて鳩時計の勤務時間終了の合図が鳴ってその場はお開きになった。
その後、店長は店を飛び出した直生をなんとか説得し、直生がバイトをやめる危機はなんとか免れたのだった。
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