苦労人クロック(2)

三人が窓を見ると、そこには桜の木があった。桜の木は、桜が満開に咲いたかと思えば、十秒後には葉桜になり、緑の葉が生い茂った。約二十秒後には紅葉が始まり、あっという間に葉っぱを散らしていく。

「おい! これ、何が起こってるんだよ⁉」

「多分、すごいスピードで時間が過ぎて行っているんだ。ほら、こっちもそうみたいだぞ」

 混乱する陸に、仁が冷静に説明した。

 そして、陸に部屋の中を見るように、目で訴えた。つられて、耀も窓から目を逸らし、さっきまでアツシがいた場所を見る。

 そこには早送りで動くアツシの姿があった。

 彼には自分たちの姿が見えていないらしく、部屋の中で浮いている耀たちの姿に気づく気配に全く気づかない。

 早送りで動く彼は何度も部屋の中に入ってきては、机に向かい、時計を作り続けた。彼が作ったシンプルで素朴で、でも味のある置時計は、机、そして床の上にどんどん増えていく。

 そして、窓の外には雪が積もり、かと思えば桜の花びらが舞い、何度も季節が廻った。

 その間、早送りで動く彼のもとに、何度かさっきの森先生が来た。

 だが、森先生は彼の作った時計に首を振ると、それをアツシに返し、また部屋を出て行った。

 その度に、アツシはしばらく俯いたが、すぐに机に向き直った。

 何度かアツシ以外の他人が部屋にやってきて、師匠に認められ時計を褒められるシーンがあったが、それでもアツシは手を止めることはなかった。

 耀たちは無重力空間の中、彼のひたむきな様子を黙って見守り続けた。

「あいつ、すげぇな。あんなに夢中になれるなんて…」

「しかも、森先生に認められなくても、全然諦めてないですもんね」

「ああ。夢の中とはいえ、すごい」

 陸たちは空間にふわふわと浮かびながら、改めて彼の姿に心を打たれた。

「でも、この状態、いつまで続くんだ?」

 陸が自分の思うように体を動かせないこととに多少苛立ちを感じたのか、浮いたからだをジタバタさせながら言った。

「っていうか、悪夢の核がやっぱりまだ見当たりませんね…」

「それに、この夢が部活で悩んでいることとの関係性が全く見えてこないんだが」

「たしかに…これってどう悪夢になるんだろう?」

 窓の外の景色が三回目の春になったとき、耀たちはその場にいきなりドスンと落ちた。

 突然、この部屋が無重力空間ではなくなったのだ。

 近くにあった時計を見ると、最初に来た時と同じ速さで時を刻んでいる。どうやら、この夢世界での時間の速さがもとに戻ったのだ。

「あいたたた…」

 耀たちはぶつけたところをさすりながら、のろのろと起き上がった。車酔いの症状がまだ残っており、頭がくらくらする。

「あれ、君たちは…?」

 時間の流れがもとに戻ったせいか、アツシにも耀たちの姿がまた見えるようになったらしい。机に向かっていた彼は自分たちのことを、椅子に座りながら不思議そうに振り返った。

 彼の顔はさっき見た時よりも少し大人びていた。

 まさに、耀たちよりも年上の高校三年生らしい顔つきである。

 そう思ったとき、耀はハッとした。もしかしたら今の彼が、現実での姿なのかもしれない。

 しかし、せっかく大人っぽくなったというのに、彼の顔はひどくやつれていた。

 そりゃあそうだろう。毎日毎日寝る間も惜しまず彼は机に向かって時計を作り続けていたのだ。そんな生活を続けていれば、こんな風に頬がこけてしまうのも無理はない。

 だが、耀は彼の目に覇気がないことに気づき、何か不穏なものを感じた。

 アツシは何かを思い出すそうと目を瞑り、顎に手を当ててうなった。

「あっ! 君たちは、二年前にここにきた旅人の子たちじゃないか!」

「二年前、ですか…?」

 耀たちは驚いて絶句した。

 ここにきてから、夢の世界でのアツシの時間は二年経過していたらしい。

「懐かしいなぁ。君たちのことを見ると、あの日のことを思い出すよ」

 アツシはそう言いながら、ギシ、と軋む椅子から立ち上がる。そして、静かに窓のほうへと歩み寄った。

「君たちがいなくなってからも、俺、時計を作り続けたよ。でも、やっぱり駄目だった。師匠には、一度も俺の時計を売り物として店に出せてもらえなかったよ。師匠が売り物として認めたのは、同い年のタカヤ、俺の後から弟子入りしたケイタ、それにまた入ってきた新人のカズキたちが作った、最先端の時計ばかりだった」

「えっ…そうだったんですか…」

 耀はそう答えながらも、(やっぱりそうだったのか…)と肩を落とした。

 さっきの早送りの映像の中でも、アツシが認められているような様子は一度も見られなかった。

 代わりに森先生に褒められているのは、どれもアツシ以外の見知らぬ男子だった。

「やっぱり、俺がめちゃくちゃ努力したところで、最初から才能がある奴や、効率よく物事を進められる奴らには敵わないんだよ…」

「そんなことねぇって! お前、ずっと頑張ってたじゃん!」

 陸がアツシを元気づけるように、強く言った。耀たちもそれに大きく頷いてみせる。

 四人はすっかりこの世界観になじみ、もう夢の中の世界とかそういうことは関係なく、ただ目の前で落ち込んでいる彼を励ましたかった。

「そうだよ! 毎日毎日、頑張ってたよ!」

「はは、ありがとう。まるでずっと俺のこと見ててくれてたみたい口ぶりだな」

 だが、耀たちの言葉は彼に響かなかったようだ。

 アツシは弱弱しい声でそういうと、自分たちの方は向かずに窓の外だけを見つめている。

「でも、結果が出なきゃ意味がないんだよ」

「それは…っ!」

 彼の苦し紛れに絞りだしたセリフに、耀たちはぐっと言葉に詰まる。

「俺はたしかに、時計を作り続けた。でも、作り続けただけじゃダメなんだ。それを誰かに認めてもらえなきゃ、結果を出せなきゃ、それはただの時間の無駄なんだよ。俺は、もう二年という長い時間を無駄にしてしまった…」

 アツシは、深く長い溜息をついた。

 まるで体中の空気を吐き出すような、そんな長い溜息だった。

 その姿が、耀の目に悲しく映る。それが、耀の心の何かのスイッチを押した。

「そんなわけないだろ‼」

 耀が突然怒鳴り、アツシはぱっとこちらに振り向いた。

 陸たちも驚いた顔でこちらを見ている。

「その時間は、絶対に無駄じゃない! もし結果が出なかったとしても、誰にも認められなくっても、今までやってきたことは絶対に無駄なんかじゃないよ!」

「でも…俺は…」

 アツシは一瞬少し泣きそうな顔をした。

 そして、何かを打ち明けようと薄く口元を開く。だが、彼はその先の言葉を飲み込んでしまった。

 というか、そうせざるを得なかったのだ。

 部屋の中の電気が消え、突然真っ暗になったのだ。

「なんだ⁉」

 窓の外からわずかに明かりが見え、耀ははっとした。

 窓から見えたのは、夜空に輝く満月だった。いつの間にか、夢世界は夜になっていたのだ。

「え、なんで? さっきまで真昼間だったのに…」

 アツシも四人と同じく、困惑した様子でいる。

 その時、何か嫌な臭いが耀の鼻をかすめた。それになんとなく、部屋の奥のほうが騒がしい気がする。

「なぁ、なんか焦げ臭くないか?」

 真っ暗で表情がわからないが、陸が隣でそう言ったのが聞こえた。

「たしかに。それに、さっきよりも気温が高いような…」

 頭の中にある考えが浮かび、耀はすぐに漆黒の空間の中、手探りで部屋から出るドアを探した。そして、手に触れたドアを一気に開ける。

 ゴォッ!

 熱風が勢いよく前から吹きつけ、耀は自分の腕を盾にして反射的に防いだ。

 火の粉がパラパラと部屋に入り込み、床を焦がす。赤い炎が耀たちの後ろに長い影を作り、五人はその場に呆然とした。

「か、火事だ……!」

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