苦労人クロック(1)


 目を開けると、そこは中世ヨーロッパのような街並みの中だった。周りにはレンガ造りの家やお店が立ち並び、細い路地のいたるところにおしゃれな看板がぶら下がっている。その看板に書かれている文字は、どれも英語のような外国語だった。

「すげー! なんか海外にいるみたい!」

 耀はそう言いながら、道路ではしゃぐ。

「なんだ? 今回の悪夢はいつもと比べてファンシーだな」

 陸が当たりをきょろきょろしながらそう言った。

 空には青空をバックに白い雲がふわふわと浮かんでいる。どうやら今、この悪夢の世界での時刻は昼間らしい。気温も暖かく、とても居心地のいい気候だ。

「でも、今のところすごく平和な夢だな」

 仁が大きく伸びをする。

 その時、彼から一番近いレンガ造りのお店から、若い青年が顔を覗かせた。

《ん? 誰だこの子たち?》 

 心の声が耀たちの脳内にこだまし、四人はぎょっとした。まさか、こんなに早く夢主の人物と出会ってしまうとは。これまでの悪夢とは違い、今回の夢は展開が早い。

「えっと、君たち。そこで何してるの?」

 おそらく夢主である少年は、怪訝な顔をして耀たちにそう尋ねた。店長の情報によれば、たしか夢主は耀たちよりも二歳年上だったはずだが、彼は自分たちと同じくらいの年齢に見える。

 四人がなんと答えればよいか迷っていると、

「君たち、もしかして迷子なんじゃない? とりあえずうちに入りなよ」

と心優しい少年は、少し困惑の表情を浮かべながらも、耀たちを自分が出てきた建物の中に案内した。

「えっ、いや別に迷子ってわけじゃ…!」

「いいからいいから! 道に迷ってるなら、とにかくここで休んでいきなって!」

 少年は耀たちの言い分を無視して、ほとんど無理やり建物の中に連れ込む。

 耀たちは、ガラス窓がはめ込まれた木の扉を通り抜け、中を見て驚いた。

「すごい、時計がいっぱいだ!」

 少年が出てきたのは、なんと時計屋さんだった。お店の中には、置時計に掛け時計、さらには鳩時計に、耀たちの背とほとんど変わらないくらいの大きさの時計がたくさん飾られている。

 時計はそれぞれ違った時間を指しており、秒針の音や、鳩時計の鳩が飛び出す音、それに時間を知らせるオルゴールの音などが小さな店内に響いていた。まるで小さな演奏会が行われているようだ。

 窓からは日の光が差し込み、商品の時計をやさしく照らし出していた。

「そう、うちは時計屋なんだ。この町じゃあ結構有名なお店だと思ってたけど、驚いた。君たちみたいに知らない人もいるんだね。あ、そうだ。自己紹介がまだだったね。俺の名前はアツシ。ここの見習いの時計職人なんだ」

 アツシは近くにあった、光沢のある木の枠がはめ込まれた壁時計を指差し、「この時計を作ったのは、俺なんだよ!」と少し自慢するように言った。

「へぇ~、すごいですね!」

 耀はその時計をまじまじと見ると、アツシの方を振り返って尊敬の眼差しを向けた。

「へへ。そう言われると照れるなぁ~。実は、俺の作品はほかにもたくさんあるんだ!」

「え! どんなのですか! 見せてくだ…ぐぇっ!」

 耀がすっかりご機嫌になったアツシの方についていこうとすると、後ろから誰かに制服からはみ出るパーカーをつかまれた。

 フードを引っ張っていたのは陸だった。

「ちょっと、なにすんの?」

「なにすんの? じゃねぇよ! お前が夢の世界になじんでどうすんだ!」

 陸は耀に顔を寄せ、ひそひそ声でそうツッコミを入れた。

 それに合わせ、直生と仁もアツシに聞こえないように会議を始める。

「そうですよ、耀くん。なんかこの人、今までの夢主の人と少し違う気がしませんか?」

「え? それってどういうこと?」

「アツシ先輩は、この夢を現実だと勘違いしているんじゃないのか?」

 仁にそう説明され、耀ははっとした。たしかに、さっきから彼は自分で時計職人であることを名乗りだしたり、夢の世界に存在する時計を自分が作ったと言い出したり、現実の出来事ではないことをさも自分がしたかのように話している。

「な、なるほど。でも、それってなにかまずいの?」

「いや、特になにかまずいことがあるわけじゃないと思いますけど…」

「でも、もし俺たちの正体を聞かれても、俺たちが夢の番人としてこの世界に来たことは、まだ明かさないほうがいいと思う」

「ここまで時計職人になり切ってるようじゃ、俺たちの話なんて信じてもらえなさそうだもんな。しっかし、いくら夢の世界とはいえ、あそこまでなり切れるとはなぁ。なんか逆に感心するわ」

 陸が少し呆れたように、アツシの方をちらりと見る。それをフォローするように、直生が慌ててこう付け加えた。

「まぁでも、夢の中だと、現実の自分とは全然違う姿になっていたり、できないことができるようになったりしますもんね!」

「まぁな」

 陸がはぁとため息をつくと、さっきまで不思議そうにこちらを見ていたアツシが、耀たちの方にやってきた。

「君たち、さっきからなんの話をしてるの?」

「いや、別になんでもないです!」

 四人は一斉に首を振った。

「そう? まぁいっか。それはそうと、君たちはいったいどこから来たの? この辺じゃ、見慣れない格好をしてるけど…」

 アツシがそう言って、耀たちが来ている高校の制服をしげしげと眺める。それを見て、陸が思わず口を開く。

「はぁ⁉ これ、お前がいつも着てる制服じゃねぇか…むごご!」

 耀は慌てて陸の口を塞ぎ、自分たちの正体がばれないようにした。

「俺たちはえっと、別の国? から来たんです。だから、アツシ先輩はあんまりこの服を見たことがないのかも…」

「ああ、そういうことか。君たち、異国からの旅人なんだね?」

「あ、まぁ、そんな感じです…」

 耀は自分の腕の中でまだ少しジタバタする陸をなだめながら言った。

「なるほど、そうだったのか。なら、ここでしばらく休んでいきなよ。そうだ、せっかくだから、君たちには俺が時計を作っている工房を、特別に見せてあげるよ!」

「えっ、いいんですか!」

「うん! 君にはさっき、俺が作った時計のことを褒めてもらったしね。ただし、特別だよ、特別!」

 アツシはそう言うと、鼻歌交じりにお店の奥のほうへと耀たちを案内し始めた。四人はそれに困惑しながらも、おとなしくついていく。

「アツシ先輩、この夢の世界観に相当支配されてますね…」

「ほんと。それ、俺も思った」

「今までの夢主が、夢の世界でも現実的だった分、彼のメルヘンさが際立つな…」

 耀たちは小声でそんなことを話しながら、アツシの後をおとなしくついていった。

 少し暗い廊下を渡り、右側に曲がると、図工室のような部屋に出た。

 そこにはたくさんの傷がついた大きな机が真ん中にどん、と置かれていた。

 その上には、のこぎりやトンカチ、それに釘、小さな歯車、あとはたくさんの道具が詰め込まれた工具箱が置いてある。

 床には完成したばかりだと思われる時計が何個も置かれてあり、光沢のある木の枠がきらりと光った。

 床も壁も木材でできたその部屋は、入ると砂埃と木の匂いが混ざったような香りがした。

 その部屋にもきちんと窓はあり、そこから入る日の光に照らされて、空気中に飛んでいる埃がキラキラと輝いている。光は机の上にスポットライトのように降り注いでいた。

「ここがうちの工房だよ。この部屋でいつも、お店に出す時計を作っているんだ」

 アツシは誇らしげに胸を張ってみせる。彼は自分の職業(夢の中の世界でだが)を、自慢に思っているようだ。

「うわぁ、すごい!」

 いつのまにかアツシの話のリアクション担当になってしまった耀が、四人を代表して声を弾ませた。

 実際、耀はこの部屋に少し興奮していた。小学校の頃も図工の授業が好きだったのもあり、見たこともない工具が並ぶ机の上に、つい視線がいってしまう。

 さっきまでアツシの夢の世界への入り込みようにドン引きしていた陸たちも、興味深そうに自分の周りにあるものを手当たり次第に見学し始めた。

「あの、アツシ先輩。もしかして、この時計は作りかけのものですか?」

 机の上に置いてあった針のない時計を見て、耀はアツシに尋ねた。

「ん? ああ、それか。それは三か月前から作り始めたものなんだよ」

「ええっ! 三か月も前からですか!」

 近くにいた直生も、驚きの声を上げる。いつのまにか、アツシと耀がいる机の周りに、陸と仁も集まってきた。二人も彼の作成途中の作品が気になったのだろう。

「うん。時計って手作りだと、一つのものを完成させるのにすごく時間がかかるんだよ」

「へぇ~、そうなんだ…」

「ふふ。結構奥が深いだろ? ほかにも作るときにいろいろ工夫をしなくちゃいけなくて…」

 アツシが少し得意げに話し始めたとき、廊下から足音が聞こえた。それは耀たちがいる場所まで重く響いてきて、五人はぎょっとして振り返った。

「なにしてるんだ、アツシ」

「し、師匠!」

 部屋の入口に、五十代くらいの強面の男性が立っていた。アツシと同じように中世の町人の恰好をしたその男性は、こちらを不機嫌そうに睨んでいる。

 だが、耀と陸はその男性を見て驚愕した。

「も、森先生ーー⁉」

「なんだお前ら、いきなり大声を出すんじゃないっ!」

「す、すんませんっ!」

 二人は素直にそう謝ると、そろって彼に背を向けひそひそ声で話した。

「おいっ! なんでこの夢にあいつが出てくるんだよ!」

「俺だってわかんないよ!」

「もしかして、あの方をお二人はご存じなんですか?」

 二人の様子を不思議に思った直生が、こっそりと耀に尋ねる。

「ご存じも何も、あの人、俺たちの体育の先生だよ」

「そうなのか?」

 耀の発言に、仁も小さく驚きの声を上げた。

(森先生が夢に出てくるってことは、アツシ先輩ってもしかして三毛高の生徒なの?)

 耀は彼の姿をどこかで見たことはないかと記憶を探したが、結局真相はわからなかった。一応三毛高の生徒であるとは言え、耀はまだ入学したての一年生だ。三年生の顔まで覚えているわけがない。

 アツシと同じく中世ヨーロッパの服装をした森先生は、耀たちにかまうことなくアツシを怒鳴りつけた。

「アツシ! ここには他人を入れるなといっていただろう!」

「す、すみません…」

 アツシはさっきまでの得意げな表情はどこへやら、すっかり怯えきった表情で俯いた。

「おい、こいつらはなんだ?」

「この人たちは、旅人です。道に迷っていたので、俺がここで休んでいかないかって提案したんです」

「ふん、そうか。まぁいい。お前がそういうなら、好きにしろ」

 森先生はそう言うと、耀たちに一瞥くれた。

 そして、さっと踵を返して部屋を後にしようとした。しかし、アツシは彼をすかさず呼び止めた。

「師匠、ちょっと待ってください! これ、この前完成させたものです。この作品を、お店においてもらえませんか?」

 アツシは近くにあった、細かい装飾の施された美しい置き時計を手に取ると、森先生にそれを見せにいった。

 彼は言われた通りその場に立ち止まると、アツシの作品を食い入るように見つめる。どうやら細かい部分まで念入りにチェックしているようだ。

 耀たちは目の前で突然繰り広げられた仕事ドラマのような場面を、息をひそめて見守る。

 その時、今度は軽い足取りで誰かがこちらにやって来る足音が聞こえた。

「師匠! 見てください! 完成しました!」

 部屋にドタバタと騒がしく転がり込んできたのは、自分たちと同じ年齢くらいの無邪気な男子だった。

「…ケイタ!」

 知り合いなのか、アツシが少し驚いた顔で彼のほうを振り返る。もしかしたら、この少年もアツシの現実世界での知り合いなのかもしれない。

「あれ、アツシ先輩。あ、もしかして師匠と何か話している最中でしたか?」

「あ、いや…」

 アツシは歯切れ悪そうにそう答えた。師匠は「アツシ、話は後でいいか」と言うと、彼の返事も聞かずに、アツシが渡した時計を返却した。そして、ケイタが持ってきた時計を見ると、満足そうに頷いた。

 ケイタが師匠に渡したのは、このお店にはあまり似合わない最新のデジタル時計だった。白のプラスチックでできた土台の真ん中に、薄い青色のデジタルの文字が浮かび上がる。画面には気温や日付などの情報も載っていた。

「よくやった、ケイタ。アツシ、すまん。今回お店に出すのは、ケイタが作ったこの時計にする」

「……はい。わかりました」

「やった~! 師匠、ありがとうございます!」

 師匠はそうアツシに告げると、小躍りするケイタとともに部屋から出て行った。

 アツシはしばらく無言でその場に突っ立っていた。耀たちはなんだかいたたまれない気持ちになり、彼になんと声をかければよいのかわからなかった。

 だが、そんな空気を吹き飛ばすように、アツシは急に、耀たちの方を振り返ってにやりと笑った。

「はは。情けないだろ、俺。俺の方が何年も先にここで働いてるのにさ、ケイタの方がもう何個もお店に出せる時計を作ってるんだ。やっぱ俺、才能ないんだろうな~」

 その作り笑いは、あまりにも悲しかった。

 目は笑っておらず、行き場のない悔しさが声の裏側で必死に抑えられている。

 耀はそれを見て、自分の胸まで苦しくなるのを感じた。

「アツシ先輩……」

 耀は彼の名前を呼ぶことしかできなかった。

 その先に続ける言葉が、どれだけ心の中でもがいても、何一つ浮かばない。

 だが、アツシは作り笑いをやめると、すぐに机に向かった。そして、力強い声で自分に言い聞かせるように言った。

「でも俺、まだ諦めないから。俺、時計を作るのが本当に好きなんだ。だから、これからもっといっぱい作って、お店に置いてもらえるように頑張るよ」

「……先輩! その意気です! 頑張ってくださいっ!」

 耀はすっかりアツシの心意気に感動し、声援を送った。アツシは作りかけの時計に小さな歯車を組み込み始め、また作業を始めたようだ。

 その時、耀たちの周りに存在していた完成済みの時計の針が、すべてありえない速さで動き始めた。さらに、四人の体に車酔いした時のようなめまいが襲いかかる。

「な、なんだ…?」

「うっ…! な、なんか気持ちわりぃ…」

 何が起こっているのかわからないまま、耀はとにかく近くにあった机に手を置き、バランスを保った。その時、隣にいた直生が窓を指さし、耀たちに見るように促した。

「耀くん! 見てください、あの窓!」

「え? 窓?」

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