ブロークンハートドラゴン(1)

 どすん、と地面にお尻をぶつけ、耀は痛みに顔を歪めながら辺りを見渡した。

「あいたた……もうこれで何回目だよ…」

 耀たちがいたのは、車道の真ん中だった。自転車屋やレンタルビデオ店、それに塾やコンビニなどが車道の脇に並んでいる。一見、どこにでもあるような道路だ。

「今回の悪夢も、結構現実的ですね…!」

 直生が建物の造りなどに目をやりながら、感心した。

「ってか、この夢の中だともう夕方なんだな」

 陸の言う通り、オレンジ色の太陽が、道の遠くのほうに見える山の影に沈もうとしている。その太陽の周りには、グレーの分厚い雲がいくつかたなびいていた。雲の輪郭だけが太陽の光を反射し、サーモンピンクに輝いている。

 その時、耀は太陽がある方角に、歩道橋が建っているのに気がついた。歩道橋の上に、少女が一人佇んでいる。

「ねぇ、あそこに人がいる!」

 耀は彼女を指さしながら、そう言った。

 仁も気がついたらしく、「ほんとうだ」と彼女を用心深く見ている。

「あの子が夢主なんじゃない?」

「たしかに。その可能性が高いですね」

「とりあえず、バレないように行ってみりゃいいんじゃねぇの?」

「そうだな」

 意見が揃うと、四人は歩道に移動して、彼女に見つからないよう歩道橋に近づいた。

 車道はさっきから車が一台も通らず、辺りはしーんとしている。聞こえる物音といえば、ときどきカラスの鳴き声が聞こえるくらいだ。耀たちは足音を立てないように、慎重に歩みを進めた。

 幸い、おそらく夢主である彼女は、耀たちがいる方向とは反対の道路をずっと見つめていた。四人は歩道橋の途中まで登り、彼女の姿が見えるギリギリまで近づく。

「とりあえずここまでで様子を見よう」

 耀が身振り手振りで伝えると、三人はこくりと頷いた。

《はぁ、イシカワ先輩、遅いなぁ…》

 夢主の声がふいに耀たちの脳内に響き、四人は顔を見合わせた。そして、歩道橋の上の彼女を見る。彼女は誰かを待っているかのように、夕日をじっと眺めていた。

 心に直接響くような声を出せるのは、夢の世界だけでは夢主だけだ。店長の長い説明の中に、そんな内容のものがあったのを思い出す。

 さっきのセリフと彼女の表情はリンクしているし、あの少女が夢主であるマキで間違いないだろう。彼女は三毛高とも海王寺学園とも違う制服を着ていた。おそらく三毛野町に住んでいるが、この学区に通っていない高校生なのだろう。

《今日こそ、先輩が部活から帰ってくるところを待ち伏せして、告白するんだから!》

 マキは頬を赤く染め、緊張をほぐすためか、ふーっと長く息を吐いた。

「あれ? 夢主って失恋で悩んでるんじゃなかったっけ? あいつ、もう次の恋に進んだのか⁉」

「あの、これは僕の推測なんですけど…。この夢はマキ先輩の過去の記憶が混ざっているんじゃないでしょうか。夢の中だと、記憶が曖昧になりやすいって言うし…」

「なるほど! ってことは、今から…」

 耀はそこまで言って、慌てて口をつぐんだ。三人も察したのか、気まずそうに黙る。

 彼女の悩みが失恋で、そしてこの場面が過去の出来事であるならば、彼女はこれから意中の相手フラれるのではないだろうか。耀は、告白しようと気合を入れるマキのことを見るのが辛くなってきた。

 その時、耀たちの前に信じられない光景が起きた。

 歩道橋の地面から、黒い液体のようなものがぬるりと出現し、あっという間に男子生徒の姿になったのだ。

「ひっ!」

 直生が悲鳴を上げそうになったので、耀は彼の口を慌てて塞ぐ。

 だが、肝心のマキは、その得体の知れない物質で構築された男子の姿に、全く気がついていない。

「あれ? お前、まだこんなところにいたの?」

 今は普通の人間の姿をしている黒の液体でできた男子が、マキに不思議そうに尋ねた。

「イシカワ先輩! いつからそこにいたんですか⁉」

 マキは彼の姿を見て、驚いた。

「え? ああ、俺はさっきあの階段を上ってきたんだ」

 偽物のイシカワ先輩は、頭を掻きながら爽やかに笑った。

(嘘つけ、階段なんか一段も上がってねぇじゃねぇか!)と陸が小声でツッコむ。だが、とりあえず今は二人を見守る。

「あの! 実はあたし、イシカワ先輩がここに来るのを待ってたんです」

「え? そうなの?」

「はい…」

 マキの顔はますます赤くなり、彼女は偽イシカワから恥ずかしそうに目を逸らした。

 だが、意を決したように、彼の顔をまっすぐに見て言った。

「イシカワ先輩。ずっと前から好きでした。あたしと、付き合ってください!」

 マキは少し大きな声でそう言い切ると、手を差し出した。

 その様子に、耀は恋愛映画でも見ているかのように思わず赤面してしまう。彼女のストレートな告白は、どこまでもひたむきだった。きっと、長い間片思いをしてきたのだろう。

 しかし、マキが差し出した手を、偽のイシカワ先輩が取ることはなかった。

「ごめん。俺、彼女がいるんだ」

「え…」

 マキはそっと顔を上げると、信じられないというように首を振った。

「そんな…。だって先輩、二週間前に聞いた時には、彼女はいないって…」

「うん。たしかに、その時は本当にいなかった。でも、ついこの前できたんだよ。だから、ごめん」

 偽イシカワは申し訳なさそうにマキに謝った。

「もしかして、私を傷つけるのが嫌だから、嘘をついてるとかじゃないですよね? もし嫌なら、彼女ができたなんて嘘つかないで、はっきり言ってください。彼女はいないけど、お前のことは好きになれないって!」

 マキは意外と根性があるらしく、フラれたとわかってもただでは起きなかった。偽イシカワの本心をきちんと確かめるべく、彼に詰め寄る。

「お前、地味にひどいな! 俺だって彼女くらいできるわ! 嘘なんかじゃない。本当だよ」

「なんだ…そうでしたか…」

 偽イシカワはマキに軽くそうツッコむと、少し笑った。マキは泣きそうになりながらも、気持ちを言えてすっきりしたのか、偽イシカワと一緒になって笑う。どうやら二人はもともと友達どうしみたいな関係性らしい。

 だが、イシカワはふいに真面目な顔になると、マキにこう告げた。

「お前のこと、なんでも話せる後輩として好きだ。だから、フッといてこんなこというのもどうかと思うけど、これからも仲良くしてほしい」

「もうっ、しかたないですね! わかりました、これからも仲良くしてあげますよ!」

 マキは少し涙をこぼしながらも、無理やり笑った。

(なんだ。マキ先輩、たしかに失恋しちゃったけど、大丈夫そうじゃん!)

 耀は笑い合う彼女たちの姿を見守りながら、そう思った。お互いのことで簡単に冗談を言い合える関係性なら、これからもうまくやっていけるだろう。初めのうちは少し気まずいかもしれないが、マキもあまり引きずるタイプには見えない。耀はそんな風に二人のことを分析した。

 しかし、ではマキは失恋の何で悩んでいるというのだろうか。まさか、これも全てマキの妄想なのか? 耀はヒントがどこかに転がっていやしないかと周りの景色も気にしながら、続けて彼女たちの会話に耳を澄ませる。

「でも、お前フジワラと仲良いのに、俺たちのこと何も聞いてなかったんだな」

「え?」

 マキの表情が一時停止する。

「えっと…ホノカがどうかしたんですか?」

「俺とフジワラ、ついこの前から付き合い始めたんだよ」

「…え……?」

 それを聞いた瞬間、マキの顔が一瞬で青ざめていく。彼女は後ろに一歩、また一歩と下がった。腰から力が抜けたのか、よろよろと後ずさりしていく。

「お前ら親友だし、もう聞いてると思ったんだけどな。だから正直、お前に告白されて超びっくりした。でも、まさかお前も俺のこと好きだったなんてな~。やばっ、俺二人に好かれるとか、超モテモテじゃん!」

 わははと冗談めかして笑う偽イシカワの声が、だんだん小さくなっていく。

 そして、耀たちの頭に、ゾッとするほど冷たい声が響いた。

《なにそれ。あたし、ホノカからそんなこと聞いてない》

 耀たちはその場で固まった。まさか、これがさっきまで明るく話していたマキの心の声なのか? 

 あまりの変わりように、耀たちは心臓に直接冷水を浴びせられた思いがした。

 イシカワの声はもう聞こえていないのか、マキはさっきから俯いたまま一言も話さない。すでにイシカワの顔も見ていなかった。

《ホノカ、なんで? この前、あたしが先輩に告白するって言ったら、応援してくれるって言ってたじゃん! 信じらんない! その時にはもう、先輩と付き合ってたってわけ⁉》

 マキの怒りに満ちた声が、脳内でガンガン響く。耀は少しでも痛みをマシにしようと、頭を両手で抑えた。だが、マキの声はどんどん大きくなる。

《なんで…! 親友だと思ってたのに! どうしてあたしに言ってくれなかったの⁉》

「そんなの、あんたが先輩にフラれて落ち込んでるところを見たかったからに決まってるじゃない」

 突然、マキとは違う女子の声が聞こえ、耀たちはいったいどこから聞こえてくるのかと辺りを見渡した。だが、自分たち以外に人はどこにもいない。しかし、耀は偽イシカワの方を見て、固まった。

 さっきまで一人でペラペラと話していた偽イシカワが、その声の主だったのだ。

「ど、どういうこと? どうして先輩からホノカの声が聞こえるの?」

 マキはすっかり腰を抜かしてしまい、その場に膝から崩れ落ちた。そう尋ねる声は震え、唇は紫色を帯びている。

 偽イシカワはにやりと笑うと、またさっきの黒い液体に変化した。

 そして、スライムみたいに粘っこいそれは、あっという間に髪の毛が肩より下まである女子高生の姿に変化した。

「嘘…どういうこと? いったい、何が起こってるの?」

「マキ。この際だから教えてあげる。私よりブスなあんたが、先輩に好かれるわけないじゃない」

「ホノカ…」

 マキは、茫然としながら彼女を見上げた。

 偽ホノカは意地悪な笑みを浮かべ、ミキを上から見下ろす。そして次々と罵声を浴びせ始めた。

「あんたの恋愛相談を聞く度に、心の底でずっとあんたのことをバカにしてた。あんたは親友なんて言ってくれてたけど、正直私はそんな風に思ったことは一度もないわ。それに、あんたとイシカワ先輩なんて、まるで月とすっぽんじゃない。イシカワ先輩は勉強も運動も部活のできるのに、あんたに関しては、勉強はダメダメだし、部活でも注意されてばっかり。そんなあんたを、先輩がどうして好きになるのよ。だからあんたは……」

 気づいたら、耀は歩道橋の偽ホノカをめがけて駆け出していた。手の甲から一瞬で夢道具を出現させ、出てきた剣をパシッと掴む。そして、ミキを侮辱し続ける偽ホノカを、背中からばっさりと切った。

 これ以上、酷い言葉で傷つけられるミキの姿を見ていられなかったのだ。

「ギャアアアアアアアアアアアアアアアア‼」

 偽ホノカはしわがれた声で悲鳴を上げ、黒い煙となって消えた。どうやら偽ホノカは悪夢の核の一部で間違いなかったようだ。さっきの黒い液体に靄がかかっていたことを、耀は見逃していなかった。

 耀は剣を印の中に戻すと、マキに手を差し伸べた。

「大丈夫ですか?」

「う、うん…」

 マキはしばらく何が起こったのかわからず、ホノカが消えた跡をぼんやりと見ていた。だが意識を取り戻すと、耀の手を取って立ち上がった。

「おい! お前、何勝手なことしてんだよ!」

「耀くん、大丈夫ですか⁉」

「怪我してないか?」

 さっきまで階段の陰に隠れていた三人が、慌てて駆けてくる。

「俺は大丈夫。それよりも、マキ先輩が無事で良かった」

 耀はそう言いながら、顔だけで笑った。まだ、怒りが心のうちに渦巻いている。

 あの女は、マキが深く傷つくように意図的に選んだ言葉を、わざと彼女にぶつけたのだ。なんて、タチの悪い。正義感が、耀の心の奥で暴れた。

「ねぇ君、なんであたしの名前を知ってるの? っていうか、君たち誰?」

 マキは耀が自分の名前を知っていることに驚きを見せた。

「あ~、え~っと…」

 陸が(お前が聞かれてるんだから、お前が名乗れよ!)と恨めしげに見てくるので、耀は四人を代表して、彼女に名乗った。

「俺たちは、夢の番人っていう仕事をしてる仲間どうしなんです。そんで、マキ先輩をこの悪夢の世界から救い出しに来たんですよ」

「ふぅん…?」

 マキはイマイチわからないとでも言いたげに、曖昧に返事をした。だが、すぐに耀の前にずいっと顔を近づけた。

「ちょっと待って! 今、悪夢って言った?」

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