第3幕 ブレイク・ハート・ドラゴン

京崎直生の憂鬱

 京崎直生の朝は、午前五時から始まる。

 目覚まし時計が鳴る前に目が覚めるほど、この習慣は彼に染みついていた。

「もう朝か…」

 そう言いながら、今日授業で習うところの予習をする。それを黙々を一時間ほどこなすと、下に降りて両親と朝食をとる。

「あら、直生。おはよう」

「おはよう、母さん」

 すでに化粧を終え、きっちりとした身なりの母親に直生は挨拶をした。

 直生のテーブルの前には、すでに栄養バランスばっちりの朝食を置いてある。

「直生。今日の予習はちゃんと終わった」

「うん。ちゃんとやったよ」

「そう。直生は優秀ね。そりゃそうよね、あなたはお父さんの病院を継ぐんだから」

「うん、そうだね…」

 母親のいつもの声掛けに、直生は内心うんざりしていた。

「母さん、そんなに直生にプレッシャーを与えてやるなよ。直生はこの前の入学前テストでも学年一位だったんだから」

「それはそうだけど、でも医大に受かるには学年で常に三十位以内をキープしておかないと厳しいっていうじゃない。だから、油断したら駄目よ」

「うん。僕、もっと頑張るよ」

 直生はサラダをフォークで頬張りながら、心を殺してそう言った。

 彼の心は母親による医者教育によって、一部が壊れてしまった。


「行ってきます」

 身支度を終え、直生は駅へと向かった。

 そして、母親の姿が見えなくなったとたん、どっと疲れが押し寄せてきた。

(いつまで、僕はあの人のいいなりなんだろう)

 直生の父親は開業医で、母親は父の仕事をとても誇りに思っていた。いや、もしくは彼の妻であることを誇りに思っているのかもしれないが。

 そのせいか、小さいころからお前も父の後を継げと耳にタコができるほど言われ続けてきた。最初のうちはそれに素直に従っていたが、最近は自分の気持ちを無視してまで、進路を支配しようとする母親に嫌悪感しか抱かないようになった。

 父のことは母親よりも好きだったが、それでも、直生は医者には絶対になりたくなかった。なぜなら、命の選択を迫られるような重みのある仕事など、死んでもやりたくないからである。

 新しく始めたあのアルバイトは、母親に内緒でやっている。あの厳しい母親にバレれば、辞めさせられるのがオチだとわかっているからだ。

 直生はもう、これ以上母親から何かを取り上げられるのは耐えられなかった。

 今まで塾やら英語やらの勉学の習い事を無理やり受けさせられ、なかなか友達ができなかった直生だが、高校一年生にしてようやく自ら友人を手に入れたのだ。このチャンスを無駄にするわけにはいかない。最初は得体のしれない店長に恐怖が尽きなかったが、今では新しくできた仲間がいる(陸のことはまだ怖いままだが)。どんな摩訶不思議な仕事であろうと、今度こそ失ってきた青春を取り戻すのだ。

 そんなことを考えていると、いつの間にか学校の最寄り駅に到着していた。

 直生は慌てて電車から降りると、改札を抜け、周辺の地図が描かれた特大看板の前でとある人物を待つ。

 すると、案の定声をかけられた。

「おはよう」

「あっ、おはようございます! 仁くん」

 声をかけてきたのは仁だった。彼とはアルバイトで仲間になって以来、こうして一緒に駅から学校に向かう約束をしている。名前で呼び合えるようになったのも、直生にとっては非常に感慨深いことだ。

 この歳になるまで本当に友達付き合いが少なかったので、やはりまだどうしても緊張して敬語が抜けない。だが、仁は特に気にしていないようだ。それは耀も陸も同じだった。

 直生は仁を見つけると、無意識に顔を輝かせた。

「直生、なにかいいことでもあったのか?」

「えっ? いえ、特に何もないですけど…」

「さっき、なんかちょっと嬉しそうな顔してた」

「えっ、ほんとですか!」

 どうやら、彼に会えてうれしい気持ちが顔に思いっきり出てしまっていたようだ。直生は恥ずかしくなり、気を引き締めてそれを封じた。

「そういえば、今日バイトの日だな」

「あっ、はい。そうですね」

「学校終わったら、また一緒にあのお店まで行こうか」

「…はい!」

 直生は再度彼にバイト先まで一緒に行こうと誘われ、感動で胸を震わせた。

 これまでの勉強漬けの日々では、考えられないようなやりとりだ。直生はずっとこんあ会話を誰かとするのに憧れていたのだ。これで彼と同じクラスであれば最高な日々確定であったのだが、仁は三組で直生は五組なので、教室も微妙に離れている。そのことだけがとてつもなく悔しかった。

「じゃあ、授業が終わったら連絡するな」

「はい! 僕もちゃんとスマホを確認するようにしますね!」

 二人はもう、学校に到着していた。直生と仁は下駄箱で靴を履き替えると、お互いの教室へと向かった。

 その日、直生はバイトの時間を待ち遠しく思って過ごした。

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