店長の思惑

「お! 無事に戻ってきた! みんな、おかえり~!」

 ゆっくりと目を開けると、そこは地下室のソファの上だった。

「店長!」

 羊の顔が、嬉しそうに目を細める。

「ミウちゃんの悪夢、ちゃんと浄化できたみたいだね。みんな、本当にお疲れさま」

 店長は耀たちの前に、あたたかい紅茶とクッキーを置いた。

「疲れたでしょ? これ、用意しておいたから。良かったらどうぞ」

「いいんですか? じゃあ、いただきます!」

 もとの世界に戻ったので、制服はもちろん濡れていない。だが、あちらの世界ではびしょ濡れになりながら行動していたので、熱い紅茶が心に沁みる。体は冷えていないのに、こんな風に熱い飲み物がおいしく感じるのが不思議だ。

 壁に掛けられた鳩時計が鳴り、見ると時刻はちょうど六時だった。

 耀たちは各々紅茶をすすり、クッキーをかじる。

 四人は思っていた以にお腹がすいていた。なので、飲み物以外にクッキーも用意してくれていたのはありがたかった。店長は耳をぴくぴく動かしながら、四人の様子を静かに見守っていた。

 だが、クッキーを食べ活力を得た陸は開口一番店長に抗議し始めた。

「おい、あんた! 今日の悪夢、すっげぇ大変だったんだからな!」

「そうだ! ほんとだよ店長! 俺たち、死にかけそうになったんだから!」

 耀も今回の悪夢のン下でのハードな出来事を思い出しながら、陸の加勢する。

「あれ、そうだったの? でも君たち、ちゃんと浄化できたじゃない」

「それはまぁ、そうですけど…」

 直生がマグカップを両手で持ち、紅茶をフーフーしながら渋々認める。

「でも、あんな大変な悪夢の世界に、いきなりアルバイトの俺たちだけで浄化させようとするのは雇い主としてどうかと思う」

 仁が全員の意見をズバン! と店長にぶつけた。

「ごめんごめん。あれねぇ、実はわざとなんだ」

「わざと?」

 四人の声がシンクロする。

「割とハードな悪夢の世界に、まだ悪夢の世界に慣れていない君たちだけで行かせたのは悪かった。でもねぇ、これは君たちがいったいどれほどの悪夢に対抗できるかを知るために、必要なことだったんだよ」

「え? どゆこと?」

 耀は意味がわからず、目をぱちくりさせた。

「つまり、俺たちの実力を試したってことだろ」

「そう! そゆこと~!」

 店長はそう言いながら、おどけて舌をぺろりと出した。羊姿の店長の舌は、きれいな桜色だった。

「な、なんじゃそりゃあ! じゃあ、あの夢は、やっぱり俺たちみたいなアルバイトが解決するようなレベルのもんじゃなかったってこと⁉」

「そういうことになりますね…」

 直生は耀の隣で苦笑いした。

「もー! 勘弁してよー!」

 耀は座っていたソファのクッションに顔をうずめた。

「もちろん、君たちが本当にピンチになったら、助けに行くつもりだったよ」

「いや、ピンチならいっぱいあったわ! でも、アンタ来なかったじゃねぇか!」

「え~? あれはピンチに入らないよ~」

「マジか! 悪夢の世界、怖すぎんだろ…」

「まぁまぁ。ちゃんと渡すものは渡すからさ」

 店長は羊のマークのシールがついた茶封筒を、四人に順番に渡した。

「なんですか、これ?」

 シールを丁寧に剥がし、中のものをそっと出す。中から出てきたのは、千円札だった。

「今日の分のお給料だよ」

「えっ、三千円もくれるんですか⁉」

 千円札は全部で三枚あった。三毛野町のアルバイトの最低賃金は、たしか八百五十円程度だったはず。それなら、現実世界で約二時間働いただけで、これだけの額がもらえるのはかなりおいしい。

「その金額に見合うだけの仕事を、君たちはしたからね」

 店長は横長の目をさらに細めた。多分これは笑顔なのだろう。

「ありがとうございます!」

 耀は初めて自分で稼いだお金を、大切に封筒に入れなおした。自分の頑張りにお金が払われるのは、認めてもらえた感じがして気持ちがいい。耀は人生での初めてのお給料の胸を躍らせた。

「じゃあ、もう時間だし帰っていいよ。あ、まかない食べてく? うちのバイトはまかない付きだから、夕飯を店で済ませることも可能だけど。ちなみに、どの料理を頼んでもタダだよ!」

 店長は羊の姿の時のほうがテンションが高いのだろうか。人間の時よりも

口調がおどけている。前までは恐怖の羊人間なんて思っていたのに、今は全然怖くなくてなんだかおもしろい。

 耀は少し笑いながらも、断った。

「いや、俺は大丈夫です」

「僕も。家族がもう作ってくれているかもしれないので」

「俺も」

 首を振る耀に、直生と仁も倣う。

「え~、みんなつれないなぁ。陸くんは? うちで食べてかない?」

「……俺も、大丈夫」

 陸は少し迷った後、目を伏せてそう答えた。

「そっかぁ。まぁ、また気が向いたらうちで食べて帰りなよ」

 店長はそう言ってにっこり笑った。


「それじゃあ、気をつけてね」

 店長はお店のドアの札を『CLOSE』に変えながら、手を振った。

「はい! お疲れさまです!」

 耀たちもぺこりと頭を下げる。彼はそれを見ると、満足したようにお店の中へ消えた。

「よし、俺らも帰ろっか!」

 耀は途中まで同じ進行方向の陸と、強引に肩を組んだ。

 前にコンクールから帰った際に気がついたのだが、耀と陸はなんと途中まで同じ道だった。その事実が発覚したのは、彼が自転車で耀の帰り道を走っていったのを後ろから見ていたからであるが。

「いや、俺自転車だから」

「なんだよ、途中まで歩いてくれればいいじゃん!」

 耀たちのやりとりを見ながら、仁が反対側に歩き出す。

「じゃあ、俺らはこっちだから。またな」

「バイバイ!」

 直生も少し遠慮がちに手を振ってきた。

「おお~! またな~!」

 耀は二人に手を大きくぶんぶんと振り返した。

「おい、陸! お前もバイバイしろよ!」

 二人に背を向け、お店の自転車置き場に向かおうとしていた陸が、ギクリと動きを止める。彼はその場でゆっくりと振り返ると、仁と直生に小さな声で「またな」と言った。

 それに気づいた直生が少し驚いた顔をする。仁は「おう。またな、陸」と返し、すぐに駅のほうへ歩いて行った。直生は少し微笑んで、陸に小さく会釈をした。そしてすぐに仁のもとへと駆けていく。

「はは!」

「何がおもしろいんだよ!」

 耀はその様子がおもしろくてつい笑ってしまった。言い返してくる陸の頬は、夕焼けに染まっているせいか少し赤く見える。

「俺、自転車だし、本当に帰るから! じゃあな、耀!」

 彼はそう言い逃げすると、自転車でサーっと行ってしまった。

「うん! また明日、学校で~!」

 耀は恥ずかしがりな彼の背中に大声で叫んだ。

 初めてのアルバイトは大変だったが、四人の距離をかなり縮めてくれた。そういう意味では、店長が無理やり大変な悪夢の世界に連れて行ってくれたのは案外よかったのかもしれない。

(…いや、もしかしてそれも計算ずくなのか?)

 店長の間の抜けた羊顔を思い浮かべながら、それはないかぁと一人笑った。彼は、そこまで考えていない気がする。彼を馬鹿にしているわけではなく、単純にそんな感じがしたのだ。

 耀はそんなことを考えながら夕方の空に浮かぶ一番星を眺めながら、のんびりと帰り道を歩いた。



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