透明少女(2)

耀の名乗りに、彼女はぽかんという顔をした。「お前、よくそんな少年漫画みたいなセリフ言えるな」と陸にツッコまれ、耀は思わず顔を赤らめる。

「あの、ここってもしかして、夢の中の世界なの?」

「そうだよ。ミウちゃんは今、悪夢の中にいるんだ。だから、今起きていることは現実じゃないから安心して」

「そっか…。やっぱりそうだったんだ…」

 ミウは呼吸を整えるように、大きく息を吐いた。

「もしかして、さっきまで私のこと見てた?」

「えっと、それは……」

 耀が露骨に口ごもっていると、彼女は苦笑いした。

「やっぱり見てたんだね。私、情けないでしょ。中学に入ってから、友達が一人もできてないんだ。もうすぐ四月も終わりだっていうのに。誰かに声をかける勇気が全然出ないの

それで毎日、クラスでは独りぼっちのまま。こんな自分を変えたいと思ってるのに、どうしても変われなくて…それで…」

 ミウは声を喉に詰まらせると、また泣きそうな顔をした。

「そんな、まだ四月じゃん。友達なんてこれからたくさんできるって!」

「そうだそうだ! お前、そんなことで泣くなよ~!」

 耀と陸は、彼女を必死に励ました。でも、彼女は辛そうな作り笑いを顔に張りつけたままである。

「大丈夫! 俺たちがミウちゃんをこの悪夢から救い出してみせるから! そうすれば、ミウちゃんにも現実世界で友達ができるようになるよ!」

 耀がダメ押しでそう彼女に言うと、ミウは「ほんと⁉」と予想以上の食いつきを見せた。

「うん、ほんとほんと! だから、これから悪夢の核を見つけなきゃって…え?」

 だが、耀がそう言いかけると同時に、彼女の体に異変が起きていた。隣にいた陸が、ミウの姿を見て息を飲む。

「おっ、おい! お前、大丈夫かよそれ!」

「そ、そんな! ミウさんの体が…!」

 なんと、彼女の制服から見えている体の部分が、どんどん消えていくのだ。

 いや、違う。目をよく凝らしてみると、そうではないことに気づく。

(消えてるんじゃない。透明になっているんだ!)

「なにこれ…!」

 耀たちの反応に違和感を感じたミウは、自分の手を見て震えた。彼女の手は透明になり、それを透かして教室の床が見えている。

「なにこれ、なにこれになにこれ…!」

 透けている部分は蕁麻疹が広がるのを百倍送りで再生したように、体中にどんどん広がっていく。

「おい! とにかく落ち着こうぜ⁉」

 陸がそう言って彼女をなだめようとしたが、彼女はショックのあまりその場に棒立ちになってしまっている。耀はこの状況にどう対処すればよいかわからず、口をぱくぱくさせた。

「そういうお前が一番落ち着いてないぞ」

「うるせぇっ、今はそういうのいらねぇから!」

 仁にそう指摘され不、陸が満を漏らす。

 その時、ドドドドドドドドド、と雪崩れのような大きな音が学校中に響き渡った。

「な、なんだこの音!」

 陸が周囲を即座に警戒する。

「なんか、水のにおいがしない?」

 耀は通り雨が来る前のような、湿った香りが教室に満ちてくるのを感じた。

「水?」

 仁がそう聞き返したとき、ふいに耀の靴に冷たい感触があった。

「うわっ!」

「な、なんだこれ!」

 驚いて足を上げると、教室はいつの間にか水浸しになっていた。

 突如現れた水はあっという間に水位を増し、耀たちの膝のあたりまで迫ってくる。制服が濡れ、ブレザーのズボンが濃いグレーへと色を変わっていった。水の勢いはとどまることを知らず、今度は腰のあたりまで水位が到達しようとしていた。

「まずいな。このままここにいたら天井にぶつかって溺れてしまう」

「とにかく、ここから出ましょう!」

「うん! 行こうミウちゃん!」

 耀はそう言いながら彼女の方を振り返り、唖然とした。

 そこに、さっきまでいたミウの姿はなかった。

 いるのは顔のない生徒たちだけで、彼らは水を感じていないのか、この様子に危機を感じることなく昼休みを楽しんでいる。それに、耀たちのように水に流されて動きが遅くなっている様子もない。

「え? なんで⁉ さっきまでここにいたのに!」

 耀は大いに混乱した。もしかして目を離した隙に、完全に透明になってしまったのだろうか。

「耀! 今はとりあえず中庭に出るぞ! 夢主なら、店長が夢の中でなら死ぬことはないって言ってただろ? あいつは、後で必ず助けよう!」

「でも…」

 しかし、さっきから彼女の心の声が聞こえない。それに、ミウの体は透明だ。ここからは見えないだけで、もしかしたら水の中で苦しんでいるかもしれない。

「耀!」

 仁の切羽詰まった声が聞こえ、耀は仕方なく教室を後にした。

 水はもう耀たちの胸元まで来ている。仁が廊下の窓をあらかじめ開けておいてくれたため、耀たちは泳いでそこから中庭に出た。水は窓から溢れ出し、中庭にもすでに海を作り始めている。

「おい、どうする? ここももう安全じゃねぇぞ」

 陸は頭を抱えた。

「そう言えば、店長さんは、ミウちゃんの苦手なものは水だって言ってました。もしかしたら水を切れば、この悪夢が止まるかも…!」

「なるほど! そうと決まれば、これでこの悪夢もおしまいだぜ!」

 陸はすぐに銃を出すと、足元に溜まっていく水に向かって引き金を弾いた。

 バンッ!

 しかし、水には特になんの変化も起こらなかった。

「おいっ! なんも変わんねぇじゃねーか!」

「ひぇっ! す、すみません…」

 少しキレ気味の陸に、直生は縮み上がった。

「まぁ、あの人が言ってた悪夢の核は、黒い靄がかかったものだって言ってたからな」

 仁が冷静に二人の間に割って入る。

「とにかく! 今は水位が上がる水から逃げる方法を考えよう! でも、どうすれば…」

 耀たちがそんなことをしている間にも、水がどこかから流れ込んでくる音は止まらない。

 なんとなくだが、天候もだんだん悪くなってきている気がする。空の雲はさらに厚くなり、今は昼だというのにかなり暗い。風が強くなり、耀たちは寒さに身震いした。

「そうだ! そう言えば、店長さんが言ってましたよね? 夢道具は、自分が思い描いたものにも形を変えることができるって」

「そういえば、そんなこと言ってたような…」

「だから、僕が船を作ってみます。もしそれができれば、それに乗って今は避難しましょう!」

「おお~! なるほど、その手があったか!」

 直生はその場で目をぎゅっと閉じると、左の手の甲を右手でさすった。耀たちは彼の羊のペイントが今にも動き出さないかと、目を凝らした。すると、三秒くらいたった後、直生の手の甲から、羊の印がゆらりと浮かび上がった。それはすぐに一本の線になり、やがて、ビカッ眩い光を放つ。

「うおっ!」

 ちゃぽん。

 膝まである水面の上に、小さい子のお風呂場でのおもちゃみたいな船が、一艘浮かんでいた。

「えへへ。どうですか…?」

「いや、うん」

「まぁ、そうだね。確かにこれも船だね…」

 できた! とにこにこする直生に、仁と耀はそれ以上何も言わなかった。

「お前! 船出すんなら、もっとすごいやつにしろよ‼」

 陸に怒鳴られ、また直生が縮み上がる。

 これ以上陸に牙を剥かれることがあれば、直生は干イカみたいにしなびてしまうのではないかと耀は思った。

「船って聞いたらさ、普通思うじゃん! 操縦できる小型のちゃんとしたやつを!」

「まぁまぁ。直生も頑張ってくれたんだし、あんまり責めるなよ」

「それに、そんなこと言っている時間もなさそうだぞ」

 水量を増す水を見て、仁が三人に乗るように急かす。

「チッ。悪かったな」

 陸は短く謝ると、船に乗り込んだ。耀も直生もそれに続く。

 その時、追い打ちをかけるようにさらに大きな音がドドドドドドド、と空気を

震わせた。

「うわぁ!」

 四人が乗った船が大きく傾き、ぐわんぐわんと揺れる。どうやら、一気に水嵩が増したようだ。

 小さな船は、あっという間に学校の屋上よりも高いところへ押し上げられた。中学校はとうに沈んでしまい、耀たちの周りには大海原が広がった。

 水のせいで空との距離が近くなり、さっきまで透明に透き通っていたはずの水は、暗く濁っている。まるで真っ黒な墨汁の上に浮かんでいるようだ。下がどうなっているかは全く見えず、こうなるとどうすればよいのかもわからない。

「ああ~、俺の母校が…!」

「しっかりしろ! これは夢だぞ!」

「あっ、そうなんだった」

 陸にバシンと背中を叩かれ、耀は我に返る。

「おいおい、これじゃあマジで夢主がどこにるかわかんねぇぞ…」

 黒い水を素手で少し救い上げ、陸は顔をしかめた。

「でも、本当に困りましたね…」

 秀才の直生もお手上げのようだ。しかも、やはりさっきからミウの声が聞こえない。

 もしかして彼女はこの黒い水の中で溺れてしまったのではないだろうか。

 水の中で息もできないまま、力尽きていくミウの姿が思い浮かび、耀は頭をぶんぶんと振った。

 いや、まだだ。この悪夢が存続しているということは、夢主のミウもこの世界のどこかに必ずいる。

《助けて!》

 その時、聞き覚えのある声がこだました。

 ミウの声に、四人ははっと顔を上げる。

―誰か、誰か助けて!

「ミウちゃん、どこ‼ どこにいるの⁈」

「どこだ!」

「どこですかーっ!」

「返事をしてくれ!」

 しかし、ミウの声はそこで途切れた。

「くっそ! こんな水じゃどこにいるのかわからねぇ!」

 陸が水にパンチする。水面は少し波打っただけで、何も変化はない。

 耀は必死で水面に目を凝らした。

 今に彼女の手や足が出てこないかと神経を張り巡らせる。

 だが、黒い水は全てを隠し、何も語らない。じっと目を凝らしていると、水面から黒い靄が出てきているようにさえ見えてきた。

(ん? 黒い靄…?)

「そうか! わかったぞ!」

「へ? 何がだよ!」

 耀は陸に何も答えず、自分の手の甲に意識を集中させる。

(出ろ! 俺の剣!)

 すると、その思いに応えるように、耀の目の前ピカッと光る。

 その光から目を逸らさず、出てきた剣を耀はパシッと掴んだ。

「お前、何する気だ⁉」

「決まってるだろ、これで悪夢の核を切るんだよ!」

「はぁ? だからそれが見つからないから困ってるんだろ?」

「悪夢の核なら、目の前にあるじゃん」

「は?」

「この黒い水、これがミウちゃんの悪夢の核だ」

 そう。さっきまでこの水は透明だったが、今は真っ黒に染まり、黒い靄を放っている。

 そして、悪夢の核は夢主に悪影響を及ぼすもの。

 耀たちの目の前に広がる黒い大海原は、悪夢の核の条件をきっちり満たしているのだ。

「そうか! この水、確かに黒色だ…」

「なるほど、そういうことか」

 頭の回転が速い直生と仁がことをすばやく察した。

 耀は遠くまで広がる水面を前に、深く深呼吸する。

 これを、自分の剣で切らなければならない。ただ、水を切るだけじゃなくて、ここにある全部の水が、粉々に砕け散るように。

 そうじゃないと、彼女を悪夢からは救えない。

 店長のあの闇を振り払った一振りの剣を思い浮かべ、耀は船の一番前の部分に踏み出す。

 そして、どれくらいの深さがあるのかわからない黒い水に、飛び込む覚悟を決めた。

「俺、行ってくる!」

「お、おい! 無茶するんじゃねぇぞ!」

「はい…お願いします…!」

「おう」

 耀はそう決心すると、船の先端に立った。

 カナトの夢の時、ネズミの大群を一振りでやっつけてしまった店長のような一撃を、自分もできれば…。

 店長の攻撃をお手本に、耀は剣の先に光の線が天から降ってくるイメージを頭の中に思い描いた。目を閉じ、意識を集中させる。

「なぁ、なんか明るくなってきてないか⁉」

「本当だ!」

 陸たちは雲の隙間から一本の光の線が、耀が掲げた剣の上に降り注ぐのを見て思わず後ずさった。

 だが、そんな彼らに気を取られることなく、耀は静かに剣を握る力を強める。

 そして、自分のイメージの感覚と夢世界での感覚が重なった瞬間、カッと目を開いた。

「今だっ!」

 声を上げて、腕を一気に振り下ろす。

 耀はそのまま黒い海にダイブした。

「いっけえーーーーーーーーーーーーーーーーーーー‼」

 剣の先から、光の線が伸び、黒い海を真っ二つにする。

「よっしゃあ! 成功だ!」

 耀は心の中でガッツポーズした。

 しかし、すぐに陸の大声が鼓膜を貫いた。

「耀! お前、落ちてんぞー!」

「え?」

 振り返ると、陸たちの真っ青になった顔が一瞬見えた。だがそれもすぐに上に流されていく。強い重力がかかり、耀は前に向き直った。

 耀はなんと、自分が切った水と水の切れ間に落下している最中だった。耀の体は宙に放り出され、不格好にも落ちていく。

(なんてね!)

 しかし、耀にとってはこの状況は想定内だった。余裕の笑みを浮かべ、剣を強く握りなおす。そしてそのまま海を裂き続けた。両側が滝でできた切れ目に、黒い水がどんどん雪崩れていく。空から太陽が覗いているのか、下に流れていく波に自分の影が映っていた。それはとてつもなく速いスピードで下方向に進んでいく。

 その時、耀の下のほうで、小さな細い腕が波の間から見えた。耀はそれを見逃さなかった。

「あれは、ミウちゃん!」

 耀は剣の柄にぶらさがる格好で落下しながらその地点まで来ると、すかさず波から出た腕を片手で引っ張る。夢の番人は、夢世界では驚異的な身体能力を発揮できるという店長のお言葉は嘘ではなかったようだ。

 耀はミウの体を片手だけでいとも簡単に波間から引っこ抜くことができた。

 彼女の姿はもとの見える姿に戻っており、耀はつかんだ手を決して離さないようにした。

 しかし、下を見て自分の顔から血の気が引いていくのがわかった。

「げっ!」

 耀の最終落下地点には水はなく、硬そうな地面がある。

 このまま落ち続ければ、体をぶつけてお陀仏確定だ。

(これは、死ぬ…!)

 その思った瞬間、雪崩れる水の音の隙間から、声が聞こえた気がした。

「耀!」

 剣を波に突き立てた格好のまま振り返ると、陸たちが乗った船も黒い水の雪崩れと一緒に落下してきていた。

「みんな!」

「こっちに乗り移れ!」

 陸が船から手を伸ばす。しかし、耀は右手に気絶したミウ、そして左手には剣を持ったままなのでどうすることもできない。

「俺はいいから、早くミウちゃんを!」

 だが、船は滝に流され、耀よりも先に下に落ちて行ってしまう。

 陸たちの情けない悲鳴が、波の間に消えていった。

「おいーーー⁉ 嘘だろ⁉」

 だが、彼らのことを心配している暇は耀に与えられなかった。

「あっ!」

 剣の柄から手が滑り、体が宙に浮いた。

 そのまま、ミウとともに波の裂け目にあっというまに落ちていく。

「うわあああああああああああああ!」

 黒い波が耀のすぐそばで水しぶきを上げる。そしてその水しぶきの間から手が伸び、耀は地面に叩きつけられた。

「あいたぁっ!」

「おい、大丈夫か!」

 気づけば隣に陸がいた。耀とミウは先に落下した船に後から落ちる形で合流することができたのだ。

 しかし、落下最中ということには変わりはない。地面はもうそこまで来ていた。

(これはほんとに死ぬ…!)

「船よ浮かべっ!」

 ぎゅっと目を閉じたままの直生が、隣でやけくそにそう叫び、船が一瞬ふわりと浮かんだ。

 そして、まだ少しだけ地面に残っていた水の上に、ちゃぷんと着地した。

 ドッ!

 水が崩壊する音が、耀たちの腹の底で響いた。

 黒い水が透明になり、さっきまで地獄絵図だった景色が神秘的なものへと一変する。

 そして、耀たちの前に逆アーチ型で存在していた滝の道が、一瞬動きを止めた。

 パッシャーーーーーーーーーン‼

「うわっ!」

「ぎゃっ!」

 あまりの音の大きさに耳を塞ぐ。

 滝は噴水のように空へと吹き上がり、そして跡形もなく消え去った。

 それの反動か、シャワーのような雨がサーッと耀たちに降りかかる。

 ミウを含む五人はもう濡れていない部分がないほど、びしょびしょになってしまった。

 だが、雨はすぐに止んだ。

「う…うう……」

「あっ、ミウちゃん!」

 ミウは船の上で目を覚まし、ゆっくりと耀たちを見上げた。

「あっ、さっきのお兄さんたちだ」

「ミウちゃん、体は大丈夫?」

「そうだ、心配したんだぞ!」

「とにかく今は安静にした方が…」

「いや、むしろ彼女の自由にさせてあげた方がいいんじゃないのか?」

 四人が口々にそう言うと、ミウはぽかんとした。

 だが、そんな彼らの心配はよそに、彼女は急に顔をぱっと顔を明るくさせた。

「ねぇ見てあれ、すごい綺麗!」

 そして船を降りると一目散に駆けていく。

「えっ、なんだ?」

 不思議に思った耀たちは、彼女の行く先を見て思わず歓声を上げた。

「うわぁ~…!」

 そこにはどこまでも広がる青空と、三毛野町の景色がフェンス越しに広がっていた。

「ここって、学校の屋上じゃない!」

 ミウはそう声を躍らせると、屋上のフェンスにしがみついた。

 耀たちは三毛中の屋上に着地したらしい。どうやら、自分たちは学校の屋上よりもさらに高い場所まで水に押し上げられていたようだ。

 耀たちも船を降り、すぐに屋上からミウがいる場所へと歩く。靴が透明な水をパシャパシャと散らし、まるで浅瀬を歩いているような気分になる。

 水浸しになった三毛野町は、太陽の光が反射してキラキラと光っていた。

「綺麗…!」

 ミウがフェンスをぎゅっとつかみ、身を乗り出す。

 耀は彼女の笑顔をようやく見ることができ、じわじわとこみ上げてくる嬉しさを噛み締めた。

 やっと、この子を救うことができた。

 その実感が今さらながらに湧いてきて、耀はほっと胸を撫でおろした。

「あの! あれ見てください!」

 耀は、直生の声に慌てて振り返った。そして、直生が指さす先を見て、自然と笑顔になる。隣のミウもそれに気づき、直生のもとへ駆け寄る。

「虹だ……!」

 直生がいる立ち位置まで来ると、中庭が一望できた。そして、中庭に隣接する廊下の窓に、虹の端っこが差し込んでいる。ちょうどそこはミウの五組のあたりだ。

 七色の橋はそこから天空に伸び、まるで耀たちにおめでとうと祝福しているように見えた。

 四人が虹の美しさに心を打たれていると、ミウが唐突に礼を述べた。

「あの、ありがとうございました。私を助けてくれて」

 ミウは自分たちにペコリと頭を下げる。彼女のボブヘアからは、水がぽたぽたと滴り落ちた。

「え、ああ…」

 陸は彼女から目を逸らし、曖昧に返事をした。照れ隠しか、ぽりぽりと頭をかいている。耀は彼の代わりに、まだ頭を下げたままのミウに声をかけた。

「ぜんぜん! いや~、こちらこそ大変なことに巻き込んじゃってごめんね! でも、悪夢が終わらせることができてよかった!」

 虹は徐々に、空から消えかかってきていた。彼女ももうしばらくすれば、夢から覚めるのだろう。虹が薄くなっていくように、学校や景色の輪郭もだんだんぼんやりとしてき始めている。

「ねぇ、お兄さん。私にもお兄さんたちみたいに仲良しな友達、できるかな?」

 ふと、ミウが耀たちに言葉を投げかけた。

 悪夢の核は破壊したものの、彼女の心にはやはり多少の不安は残っているようだ。

 もうほとんど消えかけの夢の世界で、耀はとにかく彼女の不安を取り除こうと、言葉を絞り出した。このまま夢から覚めてしまっても、ミウからすれば寝覚めが悪いはずだ。

「大丈夫だよ。だって、世界にはここから見えるだけでもたくさんの人がいるんだよ。ミウちゃんと気が合わない人が一人もいないほうがおかしいよ!」

 耀が三毛野町を見下ろしながら、そう笑い飛ばして見せると、陸と直生と仁もそれに便乗した。

「そうだ、そうだ!」

「耀くんの言う通りですよ!」

「俺も同じ意見だ」

「…そっか、そうだよね!」

 耀たちがそろってうんうん頷く姿がおもしろかったのか、ミウは今日一番のとびっきりの笑顔を見せた。それはまるで、この空のように晴れやかだった。

 まだ小学校から卒業したばかりで幼さの残る彼女は、さっきよりも背筋を伸ばして立っていた。その姿には、もう最初に見た時のような自信のなさは感じられなかった。

 その時、四人に風がびゅうっと吹きつけ、彼女と周りの景色が一気にぼやける。

 耀たちは、夢の世界に入った時に感じた軽い浮遊感に再度襲われた。

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