透明少女(1)
浮遊感が感じられなくなると、耀たちは例によって地面に転がされた。
店長の部下のような雲は、役目を終えるとぽわんと消える。
「あいててててて、ってあれ?」
耀は自分の眼前に広がる景色を見て、驚いた。
今回もかなり現実的な夢らしく、ここが本当に夢の中なのか疑わしくなるくらい、精巧な造りをしている。
耀たちは住宅街の真ん中の道路に転がっており、彼らの前には学校のような建物が存在していた。
「ここって、三毛野中学校じゃん!」
その声で意識を取り戻した三人も、立ち上がり耀のもとへやってくる。四人は、ちょうど校門の前で、校舎を見上げる格好で並んだ。
「耀、もしかしてここの卒業生なのか?」
早速下の名前で呼んでくれるようになった仁が、耀にそう尋ねた。
「うん! 三毛中は俺の母校なんだ。ついこの前まで通ってたのに、なんだかもう懐かしいなぁ~」
少し汚れた外壁も、四階まで伸びているゴーヤのグリーンカーテンも、どれも現実の三毛野中学と全く同じである。ということは、ミウは三毛野中学の生徒なのかもしれない。
プライバシーがどうとか言っていたわりに、夢主の情報が簡単にわかってしまったので、耀は少々拍子抜けした。
「おい、ここでずっと校舎見てても仕方ねぇ。とにかく中に入ろうぜ」
陸はそう言うと、ずんずんと昇降口のほうへと進んでいった。
「あっ、ちょっと待てよ!」
陸に続いて昇降口に進むと、やはりそこも現実と変わらない造りをしていた。
靴箱が整然と並び、あたりはしんとしている。
普段の三毛中と違うところといえば、生徒が一人もいないというところだろうか。
「なんか、誰もいない昇降口って少し不気味だね…」
直生が少し不安げに呟く。
昇降口は普段、人が靴を履き替えたり、体育で移動したりと騒がしい場所だ。しかし、今は何の音も聞こえない。静寂に飲み込まれ、聞こえるのは遠くのほうでざわめく木々の音だけだ。
そういえばこの夢の世界での天気は、曇りで風が強く、まるで台風が来る前日のようだ。耀は開けっ放しの入り口から入ってくる風の強さに、何か不穏なものを感じた。
「そういえば、まだ夢主の姿が見えないな」
「そうですね。とりあえず、ミウちゃんを探さなきゃですね」
仁と直生が現状を冷静に分析し、風の音に若干ビビっていた耀はハッとする。
そうだ、今は夢主がどこにいるかを探さなくては。
すると、隣にいた陸が耀に声をかけてきた。
「あのさ。お前、ここの卒業生なんだろ? だったら一年の教室まで案内してくれよ。夢主が中一なら、その教室にその子がいるんじゃねぇか?」
「あっ、たしかにそうですね!」
「ほんとだ! わかった、俺がみんなを一年生の教室まで案内するよ」
「おお、頼むわ」
陸のナイス提案に、耀は早速三人を教室まで誘導した。
上靴は他人のものを使っても仕方がないので、土足のまま廊下に上がる。
一階の職員室、校長室を横切り、さらに左に曲がってその廊下をさらに進む。
廊下の左側には中庭があるのだが、そこに人影は一つもない。
「本当に、誰もいないなぁ…」
耀がそんな独り言を言っていると、
「へぇ、耀くんの母校って、意外と小さいんですね」
とすっかり耀の母校に興味津々の直生が、中庭を見渡した。
「えっ! 三毛中って六クラスあるから、地元では大きい方だと思うけど…?」
「あっ…別に嫌味とかじゃないんです! 僕の通ってた中学、私立だから全部で十一クラスあるんですよ」
「多っ!」
「だからそれよりは少し小さいなと思って」
五クラスも差があれば、やはり校舎の大きさも全然違うのだろう。中庭だって、ここの中学の何倍もあるに違いない。
「たしかにでかいよな。うちの中庭」
仁が思い出したように呟く。
「あれ? 海王寺学園って、たしか中間一貫校だっけ?」
「うん。僕は中学からそこに通ってるんだ」
「へぇ~。じゃあ中学受験したんだ! すごいな!」
「別に、そんなにすごくないよ…」
耀が尊敬の眼差しを向けると、直生はふいっと目を反らした。
「仁は? 仁も中学から海王寺なの?」
「いや、俺は高校から」
「へぇ~、そうなんだ」
静かな廊下に、耀たちの話し声が響く。そういえば、同じ学校の陸とはまだしも、別の高校に通う直生や仁のことは知らないことばかりだ。
(俺、二人のこと全然しらないなぁ)
耀がそんなことを考えていると、
「おい。この辺なんじゃねぇの」
と自分を追い越して先を歩いていた陸が、立ち止まった。
教室には一年一組の札が上のほうにかかっている。
「ここから順番に見ていけば、どこかに夢主もいんだろ」
「そ、そうですね。じゃあ、開けてみましょうか」
直生は敬語でびくびくしながら、陸の方を見た。陸に対してはやはり苦手意識が拭えないらしい。直生は少々萎縮しながら、教室の引き戸を少し引き、その隙間から中を覗き込んだ。
「あっ!」
「な、なんだよっ!」
直生の反応に驚いた陸が飛び上がる。
「中に人がたくさんいました!」
「え? ほんと?」
耀たちがいる場所からは、何も聞こえない。もし中に生徒がいるなら、話し声や教室を移動する音など、何かしらの聞こえるはずだ。
「本当です! 耀くんたちも覗いてみてください!」
(ええ、本当かなぁ…?)
直生はもう一度、慎重に引き戸を少し開けた。そこから、四人で中をそっと覗き込む。
その瞬間、耀たちの耳に教室のざわめきがわっと入ってきた。
直生の言う通り、中にはたくさんの人がいた。みんな制服を着て、思い思いに過ごしている。この様子から見て、今はどうやら昼休みらしい。教室の一番前の時計を見ると、十二時三十分。やはり昼休み中だ。
「うわ、ほんとだ。外はあんなに静かだったのに…」
「おい…あいつら、顔がなくねぇか…?」
陸が少し震えた声でそう言いながら、生徒たちを指さす。
「えっ…あっ、ほんとだ!」
生徒たちの顔は、どれも水を多く含んだ絵の具で描いたようにぼんやりとしていた。体の線はどれもくっきりとして、現実世界と変わらないのに、顔だけはどの子も区別がつかない。
「夢の主が、自分以外の子も顔をあんまり覚えてないんじゃないのか?」
「ああ~、なるほど!」
仁の意見に、耀はぽんと手を打った。
「お前ら、怖くねぇのかよ! あんなのほとんどオバケじゃん!」
「だってここ、夢の中だし。なんでもありでしょ」
「そんなに怖がらなくてもいいだろ」
「はっ…別に怖くなんかねぇし!」
陸はムキになって怒鳴った。
「しぃっ! バカ! 気づかれるだろ!」
人差し指を立て、慌てて陸を注意する。だがその時、自分たちの方に顔がぼやけた男子生徒三人が、こちらに向かって走ってきた。
「やばい! 隠れなきゃ!」
耀たちは瞬時にどこかに隠れようとしたが、そんな場所はなかった。
四人があわあわしているうちに、男子生徒たちは教室を出て廊下に走り去っていった。
「あれ? 案外気づかれないもんだね」
さっきの男子生徒たちは耀たちの方を見向きもしなかった。
「もしかして、僕たちのことが見えてないんじゃ…?」
「まさかそんなわけ…あいたっ!」
陸が否定すると、そのあと四人くらいの女子生徒たちが教室をぞろぞろと出てきた。彼女たちは陸に肩をぶつけたのに、少しも謝ろうとするそぶりを見せない。
「おいっ! どこ見て歩いてるんだよ! 危ないだろ!」
陸が吠えるも、女子生徒たちはおしゃべりに夢中だ。普通、見ず知らずの金髪不良生徒に怒鳴られれば、普通の女子なら怯えるはずだが、彼女たちはガン無視である。
その様子に耀は違和感を感じ、思い切って教室の中に堂々と入った。
だが、顔なし生徒たちは高校の制服姿の耀が入ってきても、誰もこちらを見ない。試しに、一番近くの席に座る男子生徒の目の前で、ひらひらと手を振る。だが、彼は耀に全く気づいていないようだ。
「お~い、みんな! やっぱり俺たち、ここの生徒たちから見えないみたいだよ!」
「えっ! 耀くん、いつのまに!」
教室の教壇に立つ耀を見て、直生は目を丸くした。耀を見て状況を察したらしい仁も、するりと教室の中に入ってくる。
教室はさっきと同じく、がやがやと騒がしいままだ。
「本当だ。見えてないっぽい」
陸も直生も教室に入り、黒板の前に立つ。昼休みの教室は、生徒たちの昼ご飯のいい匂いがした。耀は、夢の中の世界でもにおいってあるんだと単純に驚く。
「でも、これのどこが悪夢なんだろう?」
「たしかに。顔がないのは気になるけど、みんな楽しそうに過ごしてるのにな」
直生の疑問に、耀も首を傾げた。今のところ、この世界は前のカナトの夢に出てきたような、怖いものが存在しない。店長が言っていた核となるようなものも見当たらないし、これでは何を浄化すればいいのかもわからない。
「もしかして、この顔なし生徒たちが悪夢の核なのか?」
陸はそう言うと、さっそく手の甲の印から銃を出現させた。
「うわー! 待って待って! いくら夢の中とは言っても、さすがにいきなり人に銃を向けるのは…!」
「うるせぇ! やってみないとわからないだろ!」
陸はそのまま一番近くにいた机で寝ている男子生徒に、銃を撃った。
バンバンッ!
だが、男子生徒にはなんの変化もなかった。銃を撃った背中に、傷跡は一つもない。男子生徒は気持ちよさそうに睡眠続行中である。
「チッ! 違ったか…」
陸は悔しそうに銃を戻した。夢道具の扱いはすでにお手の物である。
「それよりも、まだ夢の主が見つかっていないぞ」
「はっ! そうだよ、ミウちゃんはどこにいるんだ?」
仁のおかげで話が振り出しに戻り、耀はミウらしき存在がいないかと、教室中を見渡した。
その時、透明感のある少女の声が、耀たちの脳内に響いた。
《はぁ、今日も一人かぁ…》
「これって…」
耀が目を見開くと、直生も確信に満ちた表情でこちらを振り返った。
「きっとミウちゃんの声です!」
「でも、この教室にはいないっぽいぜ?」
「なら、二組の方かもしれない!」
耀たちは一組を飛び出し、順番に教室のドアを開けてミウを探した。
二組、三組、四組と扉を開けて目を凝らすが、なかなか声の主は見つからない。
「くそっ! いねぇ!」
「いや、次こそ!」
耀は、廊下の一番端の五組のドアをそっと開けた。
「あ!」
教室の奥の方、窓側の席に、一人顔立ちがはっきりとわかる少女が席についていた。
黒髪ボブのヘアスタイルで、窓辺で本を読む彼女は、見るからにおとなしそうなタイプだ。
「おい! もしかして夢の主がいたのか?」
「うん。多分あの子がミウちゃんだ」
《あれ? 今誰かの声が聞こえたような…》
ミウの戸惑う様子がドアの隙間から見えた、彼女は本から顔を上げ、周りを不思議そうに見ている。
「えっ! 俺たちのこと、もしかしてバレてる⁉」
「もしかしたら、夢主には僕たちのことが見える仕組みなのかもしれないです」
直生が隣で分析した。
「でも、もうバレてもいいんじゃね?」
「いや。いきなり見ず知らずの男子高校生に囲まれたら普通に困るだろ。悪夢の核が現れるまでは、俺たちの姿を隠しておいた方がいい気がする」
「それもそうだな。おい、耀。どこか隠れ場所はないか?」
耀は陸に初めて下の名前を呼ばれ、ぱぁっと顔を輝かせた。直生と仁はすでに耀とかなり話してくれるようになっていたが、陸はまだそれほど親しくなれていない感じがしていたので、つい嬉しくなる。
「今、俺のこと耀って呼んだ!」
「あっ…」
陸はしまったと口を覆うと、すぐにそっぽを向いた。
「今はそんなことどうでもいんだよ! 早く隠れ場所を見つけねぇと!」
「わかった。こっちに回れば、ミウちゃんに見つからずに教室の様子を確認できるかも」
耀は五組の隣にある美術室の中に入った。
ドアを開けると、運よくそこには誰もいなかった。
そして、美術室の窓を開け、校舎の裏側へ出る。そこから、五組の中が見える窓側へ足音を忍ばせて移動した。
窓からそっと五組を覗き込み、耀は三人に頷いて見せた。
「ここなら大丈夫。ミウちゃんに気づかれずに、見守ることができるよ」
三人も耀と同じく、窓枠に手をかけそっと頭を上げる。
四人の前方に、窓側にいる先ほどの少女の姿が見えた。彼女はさっきから熱心に本を読んでいる。
「あの子が、多分ミウちゃんだよ」
「ああ。あの、本を読んでいる子ですか?」
「そう。後ろからだと見えないけど、さっき見たとき、あの子だけちゃんと顔があったんだ」
五組の教室の窓は、幸いどこも開いていなかったので、耀たちが普通に話しても彼女には聞こえないようだ。
《はぁ~。本なんて読んでる場合じゃないのに。中学に入ってから、私、ずっと一人ぼっちだ。友達を自分から作らなきゃって思うのに、どうしても声がかけられない。あ~あ、ダメだ。こんな自分、本当に嫌になるなぁ…》
深いため息をついたのか、後ろ姿の彼女の肩が深く沈んだ。
「もしかして、友達ができないのが悩みなのかな?」
「そうかもしれないですね…」
「でも今のところ、悪夢の核らしきものは見当たらないな」
「まぁ、しばらく様子を見ようぜ…」
陸の意見に、三人は同意する。
《でも、今日こそは誰かに話しかけなきゃ! 私は、変わらなくちゃダメなんだ! いつも独りぼっちな私から!》
ミウは決心を固めたのか、おもむろに席から立ちあがった。
そして、顔のない女子生徒のグループのほうへとぎこちなく歩いていく。
五人組の女子生徒のグループは、たわいもないお喋りで笑いあっているようだ。
「なぁ、窓閉めたままだと、あいつらが何話してるか、聞こえなくなるんじゃねぇか?」
「あ、ほんとだ」
陸に指摘され、耀は自分の目の前の窓をそっと横にスライドした。すると、運のいいことに、窓は開いた。少し開けた隙間から、彼女たちの話し声が聞こえてくる。
「あ、あの」
ミウが女子生徒たちに呼びかけた。
「な、なんの話してるの?」
彼女は固い笑顔を浮かべ、手をお腹の前で組んでもじもじしている。
彼女が後ろにいる女子生徒たちに話しかけに来たので、ミウの顔が耀たちからもはっきりと見えるようになった。彼女にバレない程度に目だけを窓枠から覗かせ、耳を澄ます。
《ああ、どうしよう。私の笑顔、引きつってないかな。いきなり話しかけたりして、キモいって思われないかな。やっぱりこんな暗い子から声かけられたら、引くよね。ああ~、いやっぱり自分から話しかけるのって、いやだなぁ…》
ミウの心の声が一気にお喋りになる。よほど緊張しているのだろうか。彼女の顔は少し上気し、声も震えているようだ。
しかし。五人組の女子生徒たちは、ミウの問いに答えなかった。ミウを無視して、相変わらず話を続けている。
《え? なんで? 私、さっき話しかけたよね? もしかして、聞こえなかったのかな…》
「あ、あの!」
ミウはさっきよりも大きな声で、グループの女子たちに声をかけた。
だが、彼女のか細い声はクラスのざわめきにかき消されてしまう。
《そ、そんな! もしかして、無視? やっぱり私はこの子たちの仲間には入れてもらえないのかな…》
「ご、ごめんね! 私みたいなやつが話しかけちゃって…」
ミウはごまかすようにそう笑うと、その場からさっと逃げた。
「うっ…これは精神的にキツいですね…。気持ち、すごくわかります…。でも、ミウちゃんは誰かに声をかけられるだけすごいですよ…」
直生がまるで自分のことのように顔を歪めた。
《はぁ。さっきの子たちには無視されちゃった…。でも、まだ諦めちゃダメだ! ほかの子たちなら仲間に入れてくれるかもしれない!》
ミウはがっくりとうなだれた背中をしゃんと伸ばすと、さっきとは別のグループの女子
たちの方へと向かっていく。
「あ、あの!」
今度の三人組は、お弁当を食べながら仲良く談笑中だ。
《今度こそ!》
ミウの決意が耀たちにも聞こえる。
「私も、一緒に食べていいかな?」
ミウは目線を床の方に落としながら、女子たちに尋ねた。
しばらく沈黙が流れ、女子たちが会話をやめる。
耀たちはまるで映画のクライマックスでも見るかのように、固唾を呑んで見守った。
しかし、顔のない三人組の女子の一人が、衝撃的な一言を放った。
「ねぇ。今、何か聞こえた?」
《え?》
ミウの表情がみるみる凍りつく。
「ううん、何も聞こえなかったよ」
「なんだぁ、空耳かぁ」
「あはは! もうかよちんったら!」
あははははは!
女子たちは目の前のミウなんておかまいなしに、そのぼやけた顔で笑った。輪郭があいまいになった顔の口の部分だけが、わずかに動いているのがわかる。
《な、なんで? この子たちも私を無視するの?》
「きゃっ!」
呆然と立ち尽くすミウに、消しゴムを投げてキャッチボールをしていた男子生徒がぶつかる。ミウはそのせいでよろけ、机に腰をぶつけた。
「いたた…」
男子生徒は驚いた顔でミウを見て、その後不思議そうにその場に立ち止まった。
「お~い! お前、なんで何もないところでつまずいてんだよ!」
「ごめんごめん! でも、何にぶつかったのか、わからないんだよ」
「おいおい! 怖いこと言うなよ! もしかして幽霊か?」
「えっ、そんなわけないだろバカ!」
彼は落とした消しゴムを拾うと、ミウに謝りもせずに仲間のもとへ戻っていく。
「あっ、あいつ! 夢の主に謝りもせずに戻っていくぞ!」
陸はぎりりと歯ぎしりして、男子生徒を睨んだ。
耀は、目の前の光景が信じられないと立ち尽くすミウの表情に、胸が痛んだ。
恐らく、彼女は自分たちと同様に…。
《どうして? もしかしてみんな、私が見えてないの?》
そう、見えていないのだ。
彼女はその答えに辿り着いたらしい。顔から、みるみる血の気が失せていく。
《そんな! まさかそんなわけないよね⁉》
ミウは自分の中で出た答えを払拭しようと、教室中の生徒たちに声をかけていく。
「ねぇ! 私が見える?」
「君、私のこと、見えるよね?」
「あの! 私の声、聞こえる?」
だが、ミウには誰一人見向きもしない。
「そっか。私、誰からも見えてないんだ…」
ミウは教室の真ん中、生徒たちの机と机にうずくまった。
蚊の鳴くような声が、耀たちの耳に微かに届いた。
「なんかあいつ、だいぶかわいそうだな…」
「誰からも認識してもらえないのって、結構きついですからね…」
陸と直生の意見が珍しく合う。
「これ、もう十分悪夢じゃないか?」
仁が沈み込む彼女の姿を同情するかのように見つめる。
「たしかに…」
耀はそう言うのが精いっぱいだった。できることなら、今すぐ彼女のもとへ行って、自分には彼女の姿が見えることを伝えたい。だが、まだ悪夢の核は出てきていない。おそらく、これから彼女にとってもっと恐ろしいことが起こるのだ。
(くっそ、早く出て来いよ!)
耀は手の甲をさすり、剣を抜く準備をした。
《そうだ! 私にはまだあかねちゃんがいる! 小学校から友達のあかねちゃんなら、私のことがきっと見えるはず! だって私とあかねちゃんは、友達だもん!》
ミウは何を思い立ったのか、その場からさっと立ち上がった。そして、教室の入り口へと一目散に駆けていく。
「おい! 動き出したぞ!」
「とにかく、追いかけよう!」
耀は目の前の窓を開け、そこから教室の中に入った。そして、ミウを見失わないよう走って追いかける。
《えっと、あかねちゃんのクラスは、三組だから…》
「三組みたいですね!」
「うん! 行こう!」
耀たちは三組に向かい、ドアからさっきと同じようにこっそりと中を覗いた。
《あっ! いた!》
ミウが希望を取り戻したのが、声の明るさからわかる。
彼女は教室の奥の隅の方にいる、長いポニーテールの少女のもとへ駆け寄っていった。
「あかねちゃん! 久しぶりに、クラスに遊びに来たよ!」
ミウは嬉しそうにアカネという少女の手を握った。
彼女の顔は、ミウと同じく顔立ちがはっきりしている。
「あ、あの子、顔がある!」
「たぶん、ミウちゃんがはっきりと覚えている顔だから、夢でも表情があるんじゃないですかね?」
「なるほど!」
直生の推察に耀は妙に納得した。
そうか、ミウは恐らくそれほど仲がいいわけでもないクラスメイトたちの顔をあんまり覚えていないのだ。だが、友人のアカネという少女なら、顔をしっかりと記憶している。だからアカネには顔があるのだ。
「あかねちゃん、私、クラスの人たちから見えてないみたいなの! でも、あかねちゃんなら、私のことが見えるよね? だって私たち、友達だもん!」
ミウは救いを求めるように、アカネの顔に自分の顔を近づけるようにして早口で話した。
アカネはそれを聞いて、にこにこしている。
《よかった! アカネちゃんには私が見えているんだ!》
ミウはその場で安堵したように胸に手を当て、息を吐いた。
しかし。
「アカネ? さっきから一人でなに笑ってるの?」
彼女の隣にいた顔のない女子生徒がそう尋ねる。
「え? ああ、昨日のドラマのおもしろいシーン、思い出してた」
「なにそれ~。あっ、もしかしてラブ恋?」
「そうそう! あれおもしろいよね!」
アカネはそう言うと、ミウから視線を外し、友人たちと教室の外に出てしまった。
《え?》
ミウはその場に石のように固まった。小さな唇はわなわなと震え、耀たちはさすがに見ていられなかった。
《嘘。友達のアカネちゃんにも、私は見えないの…?》
ミウの顔がみるみる歪んでいく。目には涙が溜まり、今にも泣きだしそうだ。
「おい、悪夢の核はまだ現れねぇのかよ! こんな胸悪ぃの、いつまでも見てらんねぇよ!」
痺れを切らした陸が、押し殺した声でそう吐き捨てる。
それは耀も同じだった。今のミウはあまりにもかわいそうだ。クラスメイトたちからも無視同然の扱いをされ、最後の頼みの綱だった友人にも、姿が見えないという現実をつきつけられた。それは、自分のことを忘れ去られてしまったと宣言されたのと同じだ。
一人の人間にとって、誰からも認識されないというのは大ダメージなのだ。
「もう嫌だ…なんでこんな目に遭わなきゃいけないの…?」
ミウは耐えきれず、その場でほろほろと涙をこぼした。
しかし、耐えきれないのは耀も同じだった。
耀は教室のドアをバンッと開け放つと、彼女のもとへ駆け寄った。
「ミウちゃんっ、大丈夫?」
「あっ、おい! 悪夢の核が出てくるまで隠れてるんじゃなかったのかよ!」
陸の言い分を無視し、彼女の隣に並ぶ。驚いた顔のミウが、涙で濡れた瞳で耀を見上げた。
「お、お兄さん、誰…?」
遅れてやってきた三人も、耀の隣に並んだ。
「俺たちは夢の番人だよ。君を悪夢の世界から救いに来たんだ!」
「どりーむ、がーでぃあん?」
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