不思議なアルバイト説明会
「きりーつ。きをつけー。れーい。ありがとうございましたー!」
「ありがとうございましたー!」
帰りの挨拶が終わると、教室の空気は一気に緩み、とたんに騒がしくなる。
耀が教科書をリュックに急いで詰めていると、突然、親しげに声をかけられた。
「耀。お前、もう入る部活決まった?」
話しかけてきたのは、高校で新しくできた友人の一人、寺本巧である。
寺本は耀がバスケ部に見学に行ったときに、一緒についてきてくれたクラスメイトだ。彼とはその時に友達になった。最初、耀が話しかけた時は口数が少なかった寺本だが、今ではもうお互いを呼び捨てする仲である。
「ううん、まだ」
「えっ! それって提出期限、明日の朝だろ?」
「うん。そうなんだけどね」
耀は体操服袋をリュックに無理やり押し込みながら返事をした。
「じゃあさ、俺と一緒のバスケ部に入れよ! 部活動体験も一緒に行ったんだしさ」
「いや~、俺には無理だよ。あの練習量についていける自信ないし」
耀はため息交じりにそう答えた。
寺本はすでにバスケ部に入部届を提出し終えており、放課後は先輩たちに交じって練習をこなしている。毎日学校外を十周も走るメニューについていけるとは、目の前の友はたいしたものだ。耀は、心からの尊敬の眼差しを彼に向けた。そのことに彼は全く気づいていないが。
「そっか…。もしかして、他の部活で迷ってるとか?」
寺本は、耀が同じ部に入る気がないとわかると、あからさまに残念そうにした。そういう顔を見ると、やはり多少は胸が痛む。だが、耀は素直に自分の考えを話した。
「ううん。実は俺、バイトしようかなって思ってるんだ」
「バイト⁉ あ、そうか。うちの学校、アルバイトオッケーだもんな。先輩が言ってたけど、うちの高校、部活勢とバイト民が半々らしいよ」
「えっ、そうなんだ!」
耀は、寺本から聞かされた意外な事実に驚いた。まさか、この学校でバイトをしている人がそんなに多かったとは。なら、自分はそれほど少数派ではないのかもしれない。
「で、そのバイトってなんの仕事なの?」
「それがさぁ。店長さんからはこれを渡されただけで、内容はまだ教えてもらってないんだよ」
耀はそう言いながら、リュックから渡されたチラシを取り出した。
寺本はチラシに書かれた文字を目で追うと、訝しげに眉を寄せた。
「ふーん…。アルバイトって、募集するとき必ず仕事内容とか書いてそうなのに、本当にこれには何も載ってないんだな」
「うん。でも多分、レジ打ちとか、お客さんが注文した料理運ぶとか、そういう感じじゃないかなぁ」
「まぁ、そうだとは思うけど…」
寺本はまだチラシと睨めっこしていたが、耀に視線を戻すと、いきなり忠告した。
「でも、気をつけろよ。俺、兄ちゃんから聞いたことあんだけど、なんか、面接とか説明会とか理由つけて、無理やりアルバイトとして働かせるお店もあるらしいよ。あと、最近だと知らない場所に拘束されて、高額なお金を払わされたみたいな事件もニュースになってるし。お前、騙されやすそうだから、一応言っとこうと思ってさ」
「いやいや、まっさかぁ! 店長さん、めちゃくちゃ優しそうな人だったし、絶対大丈夫だよ!」
耀は両手をひらひらと振って、寺本の言葉を否定した。
あの天使みたいな笑顔を自分に向けてくれた店長に限って、そんなことは絶対にないだろう。だが、そんな耀を見て、寺本は逆に不安になったようだ。
「お前、本当に大丈夫かよ?」
「そんなに心配しなくても、大丈夫だって!」
まだお店のことを疑っている寺本を安心させるべく、耀はちゃんと真面目に答えた。少しムキになりつつある耀を見て、寺本はようやく信じる気になったらしい。
「まぁ、とにかく気をつけて行って来いよ。じゃあ俺、もう部活行ってくるから!」
「うん、またな~! って、危ない!」
寺本は耀を振り返りながら、慌ただしく教室を出ようとした。すると、彼のカバンが耀の斜め前の席の机に勢いよくぶつかった。そのせいで机が傾き、上に積んであった教科書が、ばさばさと床に落ちる。
「あっ、ごめん……」
寺本は軽くそう謝ると、席に座っていた人物が金髪だとわかった瞬間、みるみる青ざめていった。
机の主は、同じクラスの
虎谷は無言のまま、寺本を思いっきり睨んでいる。肉食獣のようなその目つきに、寺本は縮みあがった。
「すみませんっ‼ すぐ拾いますんでっ‼」
寺本は瞬時に床にしゃがみ込み、自分のせいで落ちてしまったものを集め始めた。虎谷は黙ったまま重い腰を上げると、面倒そうに自分もそれらを拾い始めた。
「虎谷くん、ごめんね? 俺も手伝うよ」
不良かもしれない虎谷に対してビビりまくりの寺本と違い、耀は虎谷にフランクに謝った。そして、自分も落ちていたプリントに手を伸ばす。
だがそれには、見覚えのある手書きの文字で『☆高校生大歓迎☆』と書かれていた。
(これって、あのお店の説明会のプリントじゃん!)
他の教科書などと重なって最後の文字までは見えなかったが、さっきまで寺本を見ていたものを見間違えるはずがない。
「ねぇ、虎谷くん! これって…」
耀がそのプリントを拾い上げようとすると、虎谷は耀からそれを一瞬でひったくった。
「えっ」
あまりの速さに反応することができず、耀は反射的に固まってしまった。
「……今のやつ、見た?」
虎谷は耀を鋭い目つきで見ながら、低い声でそう尋ねた。
その様子を間近で見ていた寺本が、「ヒッ!」と小さく息を呑む。
虎谷から醸し出されるオーラは尋常ではなく、普段から肝が据わっている耀も、さすがに少しびくりとした。
「いや、見てない、見てない!」
耀が首をぶんぶん真横に振りながら答えると、虎谷は「あっそ」と言って立ち上がった。そして、耀と寺本から拾ったものを奪い取ると、それらをカバンに雑にねじ込み、雄々しい足取りでさっさと教室から出ていった。
「あっ、またね~! 虎谷く~ん!」
耀は虎谷の背中に大声でそう叫んだが、彼は振り向きもしなかった。
「あいつ、怖ぇー!」
寺本は虎谷の姿が見えなくなると、震えながらそう言った。
「お前なぁ、あんなやつに『またね~!』なんてよく言えるな⁉」
「え~? 寺本がビビりすぎなだけだよ」
「いやいや、俺だったらあんな風に声かけられねぇよ。だってあいつ、中学の頃相当やばい不良だったって噂になってるじゃん。普通に怖ぇよ」
「う~ん。でも、噂ってどこまで本当かわからなくない?」
「まぁ、そうだけど…」
寺本はもごもごしながら頷いた。
だが実際、寺本の言う通り、虎谷は耀たちのクラスで少し浮いていた。
彼は中学生の頃、地元でも有名な不良だったらしく、その噂のせいで他の生徒たちからも恐れられていた。また、金髪ということもあり、外見もかなり派手である。三毛野高校は確かに髪色・服装が自由な高校だが、入学初日から金髪で来る生徒というのは、周りから見てもかなりやんちゃな印象を抱かざるを得ない。
それに加えて、彼から放たれる『誰も俺に近づくなオーラ』は強烈なもので、耀は彼に話しかける人物を自分と教師以外で今までに見たことがなかった。
休み時間はいつもどこかに消えてしまうし、授業で先生に当てられて答えなければいけない時以外は一言も話さず、不機嫌そうな顔でずっと押し黙っている。
耀は今までに何度か彼に話しかけたことがあるが、全部聞こえていないふりをされてしまい、結果は惨敗だ。
「てか、部活行くんじゃなかったの?」
「ああっ、ほんとだ、もう行かなきゃ! んじゃ、また明日!」
耀がそう指摘すると、寺本は我に返り、今度こそ慌てて教室を出ていった。
「お~! いってら~!」
手をひらひら振って寺本を見送ると、耀は自分も教室を出た。
そして歩きながら、頭の中でさっきの出来事を再生する。
(それにしても…さっきのチラシ、絶対あのお店のやつだよな。もしかして、店長が言ってた同じ年代の子って、虎谷くんのことだったりして…!)
もしそうだったら、今度こそ彼と仲良くなれるかもしれない。
耀には、もうすでに寺本以外にも何人か友達ができていたが、それでも彼の存在はなぜか気になるのだった。
(とにかく、早くお店まで行こう!)
耀は階段を二段飛ばしで降りると、ドリームオブシープまで小走りした。
カフェに到着すると、店の前には店長が立っていた。
「こんにちは!」
「こんにちは! あ、耀くん! 来てくれたんだ!」
「はい。一度説明を聞いてみようと思って」
耀が照れながらそう言うと、店長は嬉しそうにニコッとした。
「そうなんだ! それはよかった。さっきね、君と同じ高校の子も来てくれたから、紹介するね。ね、陸くん」
耀はその少年の顔を見た瞬間、「あっ!」と声を上げた。
「虎谷くんじゃん!」
「……」
耀に名前を呼ばれた虎谷は、不服そうに目線をそらした。
「あれ? 二人とも知り合い?」
「はい! 俺、虎谷くんと同じクラスなんです」
「ええっ! そうだったの? なんだぁ、それならもう友達がいるから安心だね」
「別にこいつとは友達なんかじゃねぇし…」
虎谷は小さくぼそぼそと何かを言ったが、耀には聞こえていなかった。
耀は知り合いがいることに少し安心した。
「あの、そっちにいる二人も、もしかしてアルバイトの人ですか?」
耀は店長の後ろで少し不安げな顔をしている男子生徒二人を手で差した。
「ああ。そうだよ。あ、お互いに自己紹介した方がいいよね! ではどうぞ!」
店長に少々雑な自己紹介を振られ、耀は自分からその二人に挨拶した。
「こんにちは。俺の名前は桜田耀です。今年から三毛の高校の一年生になります! よろしくお願いします!」
耀がそう元気よく頭を下げると、二人もおずおずと名乗り始めた。
「僕は、
「
「へぇ! じゃあ、同い年なんだ! よろしくね!」
耀は彼らが自分と同じ学年だと知り、心強い思いがした。友達になりたいと思った。
京崎という男子は小柄で中世的な顔立ちをしており、男子の制服を着ていなければ女子と間違えてしまいそうなほどかわいらしい子だ。
一方、桐生は身長が百八十センチは優に超えていそうなほど、とにかく大きい。そして、少しまくった制服の下からは鍛えられた腕が覗いている。いかにも体育会系という感じだ。
二人はぺこりとお辞儀した。
「ねぇ、虎谷くんも自己紹介しなよ!」
耀はまだ自分たちの輪に入ってこようとしない虎谷に、気さくに声をかけた。
虎谷は一瞬むっとした顔をしたが、「俺は虎谷陸。三毛野高校一年だ」とだけ言うと、すぐにそっぽを向いた。
「ふふ。これで自己紹介タイムは終わりだね。僕からも改めて自己紹介させてもらうよ。僕はここのカフェ『ドリームオブシープ』の店長、綿巻羊助です。これからよろしくね」
店長がまだ緊張気味の四人に向かって会釈する。そして、
「さて、今日の参加者は全員集まったことだし、早速アルバイトの仕事内容について説明するね。とりあえず僕についてきて!」
と言うと、耀たちを手招きした。
「は~い!」
あまり物怖じしないタイプの耀が店長にくっつき、そのあとに京崎、桐生、虎谷が続いた。早速傍にあった入口のドアに向かうのかと思いきや、店長はそこではなく、裏口の方へと向かっていく。
「あれ、店長。お店の入り口ってあっちじゃないんですか?」
「ああ、あっちはお客さん用の入り口なんだよ。従業員専用の入り口はこっちなんだ」
店の裏に回ると、そこには木がたくさん生い茂っており、ちょっとした森のようになっていた。太陽の光がほとんど差し込まず、薄暗い。気温も低く感じられる。
お店の裏側には、なんと古びたドアが存在していた。老朽化しているせいかかなりボロボロである。木材でできているので、ところどころ割れ目が入っていた。
店長は鍵をエプロンのポケットから取り出すと、それで目の前のドアを開けた。ギィと怪しげな音を立て、耀たちの前にぽっかりと空いた穴が現れる。
そこには、地下へと続く薄暗い階段があった。
「うわっ、なんだこれ⁉」
虎谷がぎょっとした顔で、一歩後ずさった。階段の奥は真っ暗で、お化け屋敷のようなおどろおどろしさがある。
「店長、まさかここからお店に入るんですか?」
「うん、そうだよ。ああっ、しまった! 電球を取り換えておくの忘れてた~」
店長は思い出したようにそう言うと、はぁと溜息をついた。
「みんな、暗いままで申し訳ないけど、足元に気をつけてついてきてくれる? 今、電気がつかないんだ」
店長はそう言うと、地下へと続く階段を躊躇なく歩き始めた。
「わかりました!」
耀はお店の秘密基地のような構造に胸をときめかせながら、意気揚々と彼について行こうとした。
だがその時、誰かが耀の制服の裾をつかんで後ろに引っ張った。
「わっ! あれ、どうしたの京崎くん?」
耀が振り返ると、京崎が何かに怯えたように唇をわなわなと震わせていた。
そして、耀の腕をぐいっとつかむと、
「あ、あの! やっぱり僕、今日はやめときます! 桜田くんたちも帰るって言ってますから! だからすみません、さよなら!」
と言って、その場から無理やり逃げ出そうとした。
「待って、待って! 俺、帰るなんて一言も言ってないんだけど⁉」
耀は訳がわからず、必死で引き返そうとする京崎を引き止めた。
すると、京崎は真っ青な顔で首をぶんぶんと振った。そして、耀に口パクで何かを必死に訴えかけてきた。口元だけを見ると、「家ならハワイです!」と言っているようにしか見えない。
(家ならハワイです? いったいどういう意味だ?)
耀が彼の真意を読み取れないでいると、店長がこちらを不思議そうに振り返った。
「みんな、どうかした? もしかして、やっぱり暗闇だと怖い? ちょっと待って、今スマホのライトで照らすから…」
「店長、京崎くん具合が悪いみたいなんですけど…」
「ええっ? 大丈夫!」
店長が振り返ると、京崎はさっきまでつかんでいた耀の腕を慌てて離した。
「いえ、そういうわけでは…」
「あれ? そうなの?」
耀が不思議そうに尋ねると、京崎は耀に意味深な視線を送ってきた。
そして、耀は彼が何を伝えたいのかようやくひらめいた。
(わかった、多分トイレだ! 京崎くん上品そうな顔してるし、もしかしたら恥ずかしくて言えないのかも)
「店長! すみません。俺、トイレに行きたくなっちゃったので、お店のを使わせてもらってもいいですか?」
「うん、もちろんだよ。トイレなら、階段を降りた先の一番奥にあるよ」
「ありがとうございます!」
(トイレ、使っても大丈夫だって!)
耀は京崎にアイコンタクトをとると、すぐにトイレを使えるよう、京崎を自分より前に押しやった。
「わっ、ちょっと! 何するんですか⁉」
「なにって。京崎くん、トイレに行きたいんでしょ? 大丈夫、俺も一緒についてってあげるからさ!」
耀が京崎に小声でそう言うと、彼は首をさらにぶんぶんと振って否定した。
「ちっ、ちがいますよ! 僕は、このままついていけばまずいってことを…」
だが、京崎は店長がこちらを見ているのに気がつくとすぐに口をつぐんだ。
「あれ? 二人とも、もうそんなに仲良くなったの?」
「はい! なんか仲良くなっちゃいました!」
店長は微笑ましそうに「そうか~、それはよかった」と言うと、まだ奥へと進んでいった。
先頭を行く店長のスマホのライトを頼りに、耀たちは階段を下りきり、地下にある廊下に出た。暗闇の中に五人の靴音が怪しげに響く。
廊下を少し歩くと、店長は左側の壁をライトで照らした。そこには木製でできたドアがあった。ドアには店先のドアと同じく、すりガラスがはめ込まれていて、そこに羊の顔のイラストが白の線で描かれている。
店長はまたまた鍵をエプロンのポケットから取り出し、それでドアの鍵を開けた。このドアも老朽化が進んでいるらしく、開けると軋んだ音がした。
彼はそのまま部屋に入り、壁にあったスイッチらしきものをパチンと点けた。
突然目の前が明るくなり、四人は反射的に目を閉じる。
「さぁ、どうぞ。入って、入って!」
店長に言われるがまま、耀は中に入ろうと目を開けた。
「おお~!」
そして、思わず歓声を上げてしまった。
「わぁ、すごい! 素敵なお部屋ですね!」
「えへへ。でしょ~?」
耀たちの前には、ソファやローテーブルが置かれた応接間のような場所が広がっていた。
部屋の天井にはランタンが釣り下がっており、壁側には大きな本棚がたくさん並んでいた。耀はこの部屋が、小学生の頃に一度だけ入ったことのある校長室に雰囲気が似ているなと思った。
「じゃあ、みんな。そこに座って」
「は~い」
耀が言われた通り、店長が指した茶色い皮の大きなソファに座った。
ソファはふかふかで、耀の体は座った瞬間大きく沈み込んだ。
(すごい!これ、絶対高級なソファじゃん!)
耀が内心はしゃいでいる中、隣にいた京崎はまだ立ったままだったので、
「京崎くん、具合悪いんでしょ? 早く座りなよ!」
と彼を無理やり座らせた。
彼はまだ青ざめた顔をしており、何かを諦めたかのように「うん…」と頷いた。ソファには座ったものの、石のように固まってしまっている。
耀は彼の具合がかなり悪いことを察し、気の毒に思った。
「あっ、そうだ! 説明の前に、君たちに何か飲み物を淹れてくるよ! せっかく来てくれたんだから、これくらいサービスしなくちゃね。えっと、みんな紅茶は飲める?」
突然思いついたのか、店長は四人にそう尋ねた。
「あっ、はい! 全然大丈夫です!」
「俺も大丈夫っす」
耀が元気よく返事をすると、桐生もそれに倣うように答えた。
「了解。じゃあ少し待っててね」
そういうと店長は部屋から出て行った。
バタンとドアが閉まり、四人の間に沈黙が訪れる。
店長の足音が遠ざかっていき、耀が三人に話しかけようとしたその時、京崎が急に勢いよくソファから立ち上がった。
「わっ、どうしたの?」
「……げましょう」
「ん? なんて? 髭魔性?」
「違います! みなさん、今すぐここから逃げましょう!」
「ええ⁉ なんで⁉」
さっきまでおとなしくついてきていた桐生も虎谷も、京崎の発言に目を丸くした。
京崎はそんな彼らにお構いなしで、まくしたてるように話し始めた。
京崎は青白い顔のまま耀たちに向き直ると、早口に説明し始めた。
「あの、僕の予想なんですけど。このお店、もしかしたら僕たちみたいな若者を無理やり拘束して、お金をだまし取ろうとする悪徳業者かもしれません…!」
「ええっ、そんな!」
「はぁ⁉」
「どういうことだ?」
「しっ、静かに!」
耀たち三人が驚愕すると、京崎は人差し指を立てて静かにするよう制した。
「これはあくまで僕の考えなんですけど…。皆さんは最近、若者に無理やり高額な請求をさせる悪徳業者が多発しているっていうニュース、見ませんでしたか?」
「ああ~。そう言えば、寺本がそんなこと言ってた気がするけど……って、え⁉」
「まさか、それがここだって言うのかよ⁉」
「ひぃっ!」
虎谷にいきなり胸倉をつかまれたため、京崎は小さく悲鳴を上げた。
「それは…まだわかりませんけど…。でも、ここのお店のやり方、なんだか怪しくないですか? だって、アルバイトって普通は一人ずつ面接をして、受かったらそれで採用じゃないですか。でも、ここは説明会とか言って、なかなか仕事内容のことは説明してくれないし、それに人目につかない地下の変な場所まで連れてこられちゃったし…。やっぱり、おかしいですよ! だから、今のうちに逃げた方がいいです! っていうか逃げなきゃダメです…!」
「おいおい、マジかよ!」
「それはまずいな…」
さっきまで少しも話していなかった虎谷と桐生も、この緊急事態に焦りを隠せないようだ。二人とも切羽詰まった表情で顔を見合わせている。
「あっ、そっか! もしかして、それで俺と一緒に帰ろうとしてたの?」
「はい。一応口パクで『逃げなきゃやばいです!』って伝えたつもりなんですけど…すみません、わからなかったですよね…」
京崎は役に立てなかったことを悔やんでか、しゅんとうなだれた。
(なんと! あれは『家ならハワイです!』って言ってるわけじゃなかったのか!)
「いや、こっちこそ気づいてあげられなくて、本当にごめん!」
耀は自分の勘違いのレベルのすさまじさを感じながらも、両手を合わせて謝った。
「おい! そんなこと言ってないで、すぐにここから脱出するぞ!」
切り替えの早い虎谷・桐生ペアは、もうすでにドアの前まで移動していた。
長身で力のありそうな桐生がドアノブを回し、豪快に開けようとする。
しかし。
「あ、開かない…」
桐生の顔から血の気がすーっと引いて行った。
「はぁ⁉ そんなわけねぇだろ! もう一回やってみろって!」
虎谷に急かされるまま、桐生は何度も体全体を使ってドアを押したり引いたりしていたが、それは一向にびくともしない。桐生が顔を真っ赤にし、肩で息をし始めたのにも関わらず、ドアは少しの隙間も空かなかった。
「おかしい。これ、どう考えても鍵がかけられているとしか考えられないぞ」
桐生は一度ドアノブから手を離し、休憩しながら耀たちにそう言った。
「んなわけあるか! ったく、俺に貸してみろ!」
何回やっても開かないドアを見て苛立ちを隠せない虎谷が、桐生と交代してドアを開けようとする。だが、やはりそれは微動だにしなかった。
「くっそ! なんで開かねんだよ!」
やはり虎谷がどんなに頑張って押しても引いても、それが開くことはなかった。
イライラした虎谷がドアノブをガチャガチャ言わせる音だけが、虚しく響く。
「もしかして俺ら、閉じ込められちゃった感じ?」
耀の何気ない言葉に、部屋の温度が一気に下がっていく。
「い、いやいやいや、まさか! そんなわけねぇじゃん! お前、変なこと言うんじゃねぇよ!」
虎谷は笑いながら耀の言葉を否定したが、明らかに動揺している。猫みたいな目はきょろきょろと忙しなく泳いでいた。
それに対し、京崎と桐生は目を伏せて押し黙るばかりだ。
「な、なぁ! お前らもなんとか言えよ!」
沈黙に耐え切れなくなった虎谷が、京崎と桐生に意見を求めた。
「…桜田くんの言う通りかもしれません。僕たち、きっと監禁されちゃったんですよ…」
「俺も京崎と同じ意見だ」
「……そ、そんな……」
まるで死刑判決を言い渡されたかのようなリアクションで、虎谷は京崎の判断に愕然とした。
「ちょっとちょっと! まだ店長が悪者だって決まったわけじゃないだろ⁉」
耀が慌ててフォローするも、三人には全く聞こえていないようだ。
「どうすんだよ、これ…」
虎谷の深刻な呟きに、四人は再度黙りこんだ。幸い、店長はまだ戻ってきていない。
「……とにかく、まずはさっきと同じ姿勢で店長を待っているフリをしましょう。そして、隙をついて彼がドアを開けた瞬間に外に出る。これしかないと思います」
「そうだな。あの人が戻ってくるまでは、ここで静かにしておいた方がいいだろう」
冷静に作戦を話す京崎に、桐生もそう付け加える。
「わかった。お前らに従う」
虎谷があっさり京崎と桐生の言うことを聞いたので、耀は少し驚いた。まだ店長のことを信じ切っている耀は、三人が勝手に結束していることに戸惑いを隠せない。
「えっ、三人とも、本当にここから逃げ出すの?」
「あったりめぇだろ! あいつ、絶対やべぇ奴に決まってるって! それに、こいつらの言うことは聞く価値がある。あの偏差値七十五越えで有名な、海王寺学園の生徒だもんな」
「ええっ! 二人って、海王寺学園の生徒だったの?」
耀が大げさに声を上げると、二人は少し気まずそうに頷いた。
海王寺学園は、全国的にも有名な進学校である。そう言えば、その学校は耀と虎谷が通う三毛野高校から近い場所にあるのを、耀は今さらながら思い出した。
「でも、なんでわかったの?」
「ああ? 制服見りゃわかんだろ」
(ええ~。俺、知らなかったな)
耀は呑気にそんなことを思いながら、しかたなく京崎たちの作戦に乗ることにした。
「わかった、俺も協力する! でも、逃げ出すタイミングとかはどうするの?」
「それは…」
京崎が口を開きかけたその時、ドアの向こうで物音が聞こえた。
四人は心臓を跳ね上がらせると、すぐにソファに座った。そして、さっきと同じ姿勢をとった。
ガチャリ、とドアが開き、にこにこ笑顔の店長が顔を覗かせる。
「いや~、お待たせ。紅茶、何の種類を入れようか迷ってたら、少し遅くなっちゃった」
彼は、小さなワゴンに紅茶カップを五つ乗せて部屋に入ってきた。紅茶の香りがふわりと漂ってくる。なんとも素敵な香りだ。
だが、四人はどのタイミングでこの部屋から逃げ出そうかタイミングを見計らっていた。さっき京崎が言いかけたことを、最後まで聞けなかったのが惜しい。四人はお互いに、いつ誰がこの現状を打破しても反応できるように、全身に神経に意識を張り巡らせる。
店長は手際よくカップを前に用意すると、「どうぞ」とにっこりと微笑んだ。
だが、さっき悪者認定された店長が出す紅茶に、手を伸ばそうとする者は誰もいない。
それを見て、店長は少し寂しそうな顔をした。
「あ、あれ…? もしかしてこの香り、みんな嫌いだった?」
その顔があまりに切なかったので、耀は店長が不憫でたまらなくなった。ついにその感情に耐えきれなくなり、カップに手を伸ばしてしまう。
「じゃあ俺、いただこうかな…」
だが、右隣にいた虎谷にすかさず手を払われた。
「あいたっ!」
虎谷は耀をギンと睨むと、目で語りかけてきた。
(お前、こいつに殺されてぇのか? なんか変なもん入れてるかもしれねぇだろ!)
(でも……これじゃあ店長がかわいそすぎるじゃん…!)
無言の会話を成立させながらも、耀は虎谷の圧に負け、伸ばした手を引っ込める。
「すっ、すみません! 俺、猫舌なの忘れてましたぁ! あっ、ちなみに、俺以外のみんなも猫舌なんですよ! それをさっきまで仲良く話してたんです。あはは!」
「なんだぁ、そうだったんだ」
(ふぅ~、これでなんとか店長を傷つけずにすむ…)
耀は作り笑いをしてみせると、心の中で小さくため息をついた。
「それで、本題に入るんだけどね」
店長が少し真面目なトーンで話を切り出したので、四人はごくりと唾を飲み込んだ。
「君たちには、少し変わったアルバイトをしてほしいんだ」
「変わったアルバイト、ですか?」
まだ店長のことを信じている耀が、三人の代わりに返事をする。
(それってやばい内容なんじゃ…)
四人の頭に、そんな嫌な予感がよぎった。
「うん。君たちには、人の夢を守る仕事をしてほしいんだ」
「……はい?」
四人は、店長の言葉を飲み込むのに一時停止した。
「えっと…俺、カフェのアルバイトだから、レジ売ったり、注文とったりする仕事なのかなって勝手に思ってたんですけど。そういうのじゃないんですか?」
「いや、全然違う。それは今のところ人手が足りてるから、大丈夫なんだ。募集していたのはこの、夢を守るお仕事の方でね。君たちにはこの仕事をする素質があるから、声をかけたんだよ」
(人の夢を守る仕事なんて、今までに聞いたことないや。本当にそんな仕事あるのかな?)
耀と同じく、ほかの三人も彼の言っていることにまだ理解が追いついていなかった。
だが、彼はそれをを見透かしたように、あくまで落ち着いた雰囲気で話を続けた。
「正直、いきなりこんなことを言われて、君たちは戸惑っていると思う。でも、僕がこれから話すことは本当なんだ。決して、変な宗教の勧誘とかではないんだよ。それはどうか信じてほしい」
まるで先回りしたかのような弁解に、耀たちはドキリとする。もしかしたら、さっきの会話を聞かれていたのではないかと、四人は気が気ではない。
やはり、怪しげな話を始めたこの男性から、自分たちは逃げるべきかもしれない。
四人がそんな確信をなんとなく持ち始めたとき、店長はやれやれというように手を挙げた。
「とはいえ、これからする話は今の君たちにはなかなか信じてもらえないようだし、まずは僕の本当の姿を見せる必要があるみたいだね。あ~、みんな? あんまり驚かないでね?」
「えっ?」
四人が店長の言っている意味が理解できかねていると、彼の体から突然、白い煙がぼわんと放出された。
「うわぁっ⁉」
「なんだこれっ⁉」
突然の出来事に、四人はこの隙にこの場から逃げ出すことなど、すっかり忘れてしまった。
煙は店長の体をあっという間に包み込んだ。
だが、数秒経過すると、霧が晴れるようにしてその煙は消えた。
そして、そこには元の店長ではなく、店長の服装をした羊の顔の人間がいた。
「うわーーー⁉」
「ぎゃーーー‼」
「ひぇーーー‼」
「えぇ⁉」
四人は突然目の前に現れた顔面だけ羊人間に、盛大に悲鳴を上げた。
「わわっ、そんなに驚かないでよ!」
「ひ、羊がしゃべったぁ‼」
陸はよほど怖かったのか、床に尻もちをついた。隣にいた直生はパニックを起こしているのか、さっきから棒立ちになったままだ。
「まさかみんなの反応がこんなに大きいとはね。俺もびっくりしたよ。ははは!」
顔面羊人間は、店長の声で愉快そうに笑った。耀はその声のそっくりさに驚いた。そして、頭の中で状況をいったん整理する。そこで出てきた答えはこうだった。
「ちょっと待って。もしかしてあなた、店長なんですか?」
「だから、さっきそう言ったじゃないか。これが僕の本当の姿なんだ。僕は君たちとは違って、普通の人間じゃないんだよ」
「えぇ! 人間じゃないってどういうことですか⁉」
「見ての通りだよ。まぁ、詳しいことは後で説明するから」
「…信じられない! きっと僕たち、催眠術でも見せられているんですよ!」
疑り深い京崎が、店長をビシッと指さしてそう言った。
「はぁ~、やっぱりまだ信じてくれないかぁ。なら、僕の顔の毛を触ってみればいい。そうすればきっと、これが催眠術なんかで再現できるような代物じゃないってわかるはずだよ」
店長はそう言うと「ほら、触ってごらん」と自分の首元の毛を撫でてみせた。
京崎はまだ警戒心を抱いているのか、その場から動こうとしない。しかし、動物好きで店長のもこもこな毛に興味津々だった耀は、躊躇うことなく彼に近づいた。
「では、失礼しま~す! うわぁっ、本当にもこもこだ!」
「でしょでしょ?」
「京崎くん、これ絶対に本物だよ!」
耀がそうはしゃいでいると、京崎もそろりそろりと店長の前に歩み寄った。
「…本当ですか? なら僕も触って……うわぁ、本当に羊の毛そっくり……!」
「どう? これで少しは信じる気になった?」
京崎が自分の羊毛に夢中になっているのを見て、店長は横長の目を細めた。
「…ま、まぁ少しは」
「ならよかった!」
店長は嬉しそうに鼻をひくひくさせた。
だが、すぐに何かを考えるように顎に手を当てると、
「この調子だと、君たちには一度こちら側に来てもらわないと、信じてもらえなさそうだね」
と呟いた。
「店長、何か言いましたか?」
「いや、なんでもない。みんな、少々手荒な真似をするけど許してね」
「へ?」
耀たちがぽかんとしていると、店長は四人の前で指を鳴らした。
パチン!
その音が耳の奥で重く響き、四人の全身から力が抜けていく。
耀たちはそのまま床に倒れこみ、深い眠りについた。
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