ドリーム・ガーディアン

@umaneko1717

第一幕 夢の番人(ドリーム・ガーディアン)

始まりの予感

 川沿いの桜並木の道を、爽やかな春の風が吹き抜けていく。

 まだ四月の頭なので、この辺りの景色は全部、まるで水彩画で描いたように優しい色合いをしている。

 淡い水色の青空には綿菓子みたいな雲が浮かび、上流河川である縞川は穏やかに波打っていた。そして風が吹く度に、桜の花びらがひらひらと舞い踊る。

 しかし、そんな天気とは正反対に、どんよりと曇った表情をした少年が一人、川沿いの道をてくてく歩いていた。

 その少年、今年の春高校一年生になったばかりの桜田耀さくらだてるは、考え事をしている真っ最中であった。そして、誰もいない道の真ん中で、「はぁ~…」と盛大にため息をついた。

(どうしよう……。部活に入るなら明日の放課後までに部活動届を出さなきゃいけなんだけど、入りたい部活、今のところ見つけられていないんだよなぁ)

 入学と同時に買った真新しいリュックをゆさゆさ揺らしながら、耀は悶々とそんなことを考えていた。

 今日で、高校に入学してから約三週間が経つ。

 クラスメイトたちは、すでに自分が入る部活を決めている子が多い。なので、耀はなんだか置いてけぼりになった気分になっていた。とはいえ、部活動届は明日が提出締め切りなので、まだ決まっていない方が少数派なのは必然的とも言えるのだが。

 耀は今まで見学や体験入部に参加した部活を頭の中にもう一度思い浮かべた。

 中学の時にやっていて一番入る気があったバスケ部は、今年から指導する先生が厳しい人に変わったらしく、体験入部での練習はどれも運動量がえげつないものばかりだった。練習が終わるころには、あまりの激しさに息も絶え絶えで、「こんなしんどい部活には絶対に入らない!」と決意を固めたほどだ。

 高校入学前に少し憧れていた軽音部も、実際にギターを弾かせてもらうと、コードを覚えるどころか指で弦を抑えるのに精いっぱいだった。自分の不器用さでは、入部してから演奏できるレベルまで到達できそうにない。

 他にも、運動部では陸上部、テニス部、卓球部、水泳部。文化部では吹奏楽部、書道部、サイエンス部など、いろいろ見学できるところにできるだけ行ってはみたが、どれも自分がやりたいと思えることはなかった。というか、それ以前に、どの部活に対してもあまり才能がなかったというのもあるのだが。

「あぁ、もう~! ほんと、どうしよ~…」

 耀は歩きながら頭を抱えた。

 学校生活を送る上で、部活という存在はとても大きい。どこかの部に所属していれば、仲間ができやすいからだ。

 耀は中学時代、部活で最高の仲間ができた経験があったので、そのことが彼を入部することへの執着を加速させた。

 男子バスケ部の仲間とは、今でも一緒にしょっちゅう遊びに行く大切な友達である。だから、耀は高校でもそんな最高の仲間を作りたいのだ。

(でも、あのバスケ部はやばいって! 毎日学校外を五周もしなきゃいけないなんて、俺には絶対ムリ!)

 いっそこのまま諦めて、帰宅部でもいいんじゃないだろうか。

 そんな考えが、ふと頭をよぎる。帰宅部になれば、自分がやりたいことがたくさんできるし、意外と楽しいかもしれない。

「やりたいことか…」

 耀は自分の思考が口に出ていることに気づかないまま、ぽつりと呟いた。

 やりたいこと。

 やりたいことなんて、今の自分にはない。

 中学でやっていたバスケも、当時の友達に誘われるがまま入部しただけで、別に特段バスケがやりたかったからとかではなかった。

(俺って、何がしたいんだろう…)

 考え事をしてるうちに、自分に対する根本的な疑問に気づいてしまった耀は、パンク寸前の頭で天を仰いだ。

 そして、ハッと我に返った。

「あれ? どこだ、ここ?」

 辺りを見渡すと、桜並木はもうとっくに後ろの方で途切れていた。

どうやら、いつも曲がる道を通り過ぎ、普段は来ない場所まで歩いてきてしまったらしい。

「まぁ、いっか! こっちからでも帰れるだろうし!」

 耀はすぐ近くにあった、河川敷から降りられる階段を見つけると、そこから一般道路に出た。そして、そのまま家の方向に直感で進むことにした。

(多分だいたいあってるでしょ! 間違ってたらまた引き返せばいいんだし! せっかくだから、この辺を探検していくっていうのも悪くないかも!)

 道沿いを進んでいくと、意外にもお洒落なお店が道路沿いに何軒も連なっていた。

 小さな個人店ばかりだが、自転車屋や花屋、そしてイタリアンのレストランなど、お店のレパートリーも幅広い。それに、どの店もこの辺りに住んでいるらしきお客さんで意外と賑わっている。

(へぇ、こんな場所あったんだ! 俺、今まで知らなかったかも!)

 耀は新たな発見に胸を躍らせると、スキップするようにお店が並ぶ道をずんずん進んでいった。さっきまでの悩み事はどこかへ行ってしまい、わくわくしながら足を速めていく。

(でも、なんでこんなにお店が多いんだろう? 駅の近くとかでもないし、そんなに人が多いわけでもないはずなんだけどな~?)

 一度気になったらわかるまで粘るタイプの耀は、まるで名探偵にでもなったかのように周囲を注意深く観察した。そして、この道の先に何があるのか知りたくなった耀は、好奇心に誘われるがまま軽く走りだした。

 しばらく走り続けると、店の行列が突然ぷつっと途切れた。いや、正式に言えば道は前ではなく、耀の右側へと続いていた。

(うわ! この先にもまだお店の行列が続いてる!)

 耀はその道の入り口に、神社の鳥居のような看板があることに気が付いた。

 そこには、焦げ茶色の文字で三毛野商店街と書かれている。文字の横には、古臭いが味のある、三毛模様の招き猫の絵が描かれていた。

(なるほど! この辺にお店が多かったのは、商店街だったからなんだ!)

 耀は一人で納得した。

 そう言えば、さっき通ってきた道のところどころに、提灯のような形の街灯がいくつもあった気がする。それと同じ姿形の街灯は、商店街の奥の方までずらっと並んでいた。どうやらあそこも商店街の一部だったらしい。

(それにしても、こんなところに商店街なんてあったんだ! 全然知らなかったなぁ…)

 耀は入り口の方から一つ一つのお店をじっくりと見ていった。

 すると、なぜだかわからないが、一軒のお店が不思議と目に留まった。

 そこは商店街を入ってすぐのところにある、落ち着いた雰囲気の喫茶店だった。入り口のドアの前にたくさんの鉢植えの花が置いてあり、モスグリーンのビニール素材の軒屋根には、白い文字で『Dream Of Sheep』と印字されている。恐らくこの喫茶店の名前だろう。

(羊の夢…? この日本語訳で、あってるのかな?)

木製のドアにはめ込まれた透かしガラスには、リアルな羊の顔のイラストが白でプリントされていた。一見入りづらそうなお店に見えるが、窓から見える店内には、年配のお客さんたちがコーヒーを片手に談笑している姿が見える。

 もっと店の奥を覗こうとドアに近づくと、窓の端の方に貼ってある張り紙がはたはたと風になびいていることに気づく。

 そこには手書きの文字で、こう書いてあった。

「高校生、大歓迎…?」

 どういうことか気になり、窓に近づいて、そのポスターに書かれた文字を目で追っていく。それはこういった内容だった。


☆高校生大歓迎☆

高校生のアルバイトを募集しています!

・時給…千五百円から

・時間…平日 午前十時から午後八時まで(入る時間は自由)

   土日祝 午前十時から午後六時まで(入る時間は自由)

※交通費支給・賄い付き

詳しくは面接で!


「これって…アルバイトの募集?」

「そうだよ」

「うわっ!」

 突然声をかけられ、耀は大げさに驚いてしまった。

 隣を見ると、箒とちりとりを持った三十代前半くらいの男性が立っていた。

 着用しているモスグリーンのエプロンの胸元には、羊の顔のイラストが描かれている。それは、お店のドアに描かれているものと全く同じだった。

 彼は耀を見ると、

「こんにちは!」

と言って、にこっと微笑んだ。

(いっ、イケメンだ…!)

 耀は男性の爽やかな笑顔に圧倒され、声が出なかった。

 彼は、耀が知っているボキャブラリーの中で、美しいという言葉が最も似合う男性だった。

 白い滑らかな肌に、くっきりとした二重の目。すらりと長い手足に、男性にしては少し長めのサラサラな髪。いかにも世の女性たちにモテそうな容姿である。しかしそれ以上に、この男性にはどこか浮世離れした雰囲気があった。まるで、普通の人間ではないような…。

 耀がそんなことを考えながら見惚れていると、彼は自分の方から申し訳なさそうに話しかけてきた。

「ごめんね。もしかして驚かせちゃった?」

「いえ、全然大丈夫です!」

「そっか、なら良かった! 君、もしかしてうちのアルバイト志望?」

「え?」

「これこれ! このチラシを見てたってことは、ここに働きに来てくれるの?」

「え? いや、えっと…」

 男性は耀の方にずいっと歩み寄ると、期待に満ちた瞳でこちらを覗き込んだ。

「すみません、違います。たまたまこのポスターが目に入ったから、気になって見てただけなんです」

「あれっ、そうだったの? なんだ、僕の勘違いかぁ…」

 男性はわかりやすく、しゅんと肩を落とした。わざとではないものの、耀は少し申し訳ない気持ちになる。

「なんか、すみません…」

「いやいや、悪いのは僕のほうだよ!」

 男性は謝る耀を制した。だが、耀の恰好を見て何かに気づいたようだ。

「あれ、その制服ってことは、君はもしかして三毛高の子?」

「はい。俺、今年の春から三毛野高校の一年生なんですよ」

「そっかぁ、いいねぇ。じゃあ君は、ピカピカの一年生ってわけだ」

 男性は目を細めると、ふっと笑みをこぼした。それにつられて、耀も自然と笑顔になる。

 だが、男性はその柔らかな表情をすぐに取り消すと、さっきと同じ勢いで耀を勧誘し始めた。

「で、どう? そのポスターを見てたってことは、アルバイトには興味あるんだよね? だったらうちで働かない?」

「えっ…」

 耀は勢いに圧倒され、口を金魚みたいにパクパクさせた。だが、男性はそんな耀を無視し、自分の店で働くメリットを語り始めた。どうやら、彼はなんとしてでもアルバイトを確保したいらしい。

「うちはねぇ、おいしい賄いも食べられるし、時給もこのあたりじゃ高いほうだし、良いこと尽くしだよ! それに、君と同年代の子も新しく雇うつもりだから、仲間もできるしね。シフトも、好きな時に入ってくれていいし、週に一回とかからでも全然大丈夫だから。それと、後はねぇ…」

「ちょちょちょ、ちょっと待ってください!」

 男性の熱烈なアピールを、耀はなんとか遮ることに成功した。

「すみません。俺、本当にたまたまここを通りがかっただけなんです。それに俺、もしかしたら部活に入るかもだし…」

 耀は気まずくなり、男性の目を見れずにいた。

「…そっか。無理に引き止めちゃってごめんね。君、うちのアルバイトに向いてそうだなと思ったからさ。でも、君には他にやりたいことがあるんだね」

「やりたいこと…?」

「そう。君にとってのやりたいことが、その部活に入ることなんでしょ?」

「え……」

 男性への返答に耀が口ごもっていると、彼はきょとんと首を傾げた。

「あれ、違った?」

「あ、いや…」

 耀は、男性の言葉を聞いた瞬間、さっきまでのもやもやがまた胸の内に広がっていくのを感じた。

 自分がやりたいことは、部活に入ることだっただろうか。

 いや、違う。ただなんとなく、部活に入ってた方がいいと思っていただけで、それがやりたいことかと聞かれればそういうわけでもなかった。

 耀がそんなことをまたぐるぐる考えていると、男性はエプロンのポケットから折りたたまれた紙を取り出し、それを広げて耀に手渡した。

「はい、これあげる。良かったら持って帰って。このチラシに書いてある日時に、うちでアルバイトの説明会をやるんだ。説明会はタダだし、入るのを強制したりすることはないから、気が向いたらおいでよ。それを聞いてから決めるのも、アリだと思うよ?」

 男性はそう言って、耀ににっこりと微笑んだ。

「ありがとうございます…」

 耀は、渡された紙をそっと受け取った。だが、耀には彼にまだ聞きたいことがあったので声をかけた。

「あの…」

 しかし、ちょうどその時、男性は自分の腕時計を見てぎょっとした。

「わっ、もうこんな時間じゃないか! 僕、もうお店に戻らなくちゃ!」

 店長は地面に一時的に置いていたほうきとちりとりをつかむと、

「じゃあ、またね!」

と言ってその場を去ろうとした。

「あのっ! ちょっと待ってください!」

 耀は店に戻ろうとする彼の腕を、反射的につかんだ。

 チラシを見て、どうしても彼に尋ねたいことがあったのだ。

「ん? どうしたの?」

 彼はくるりと耀の方を振り返った。

 彼の澄んだ瞳と目が合うと、耀は自分が何を話そうとしていたのかわからなくなってしまった。まるで心の奥まで見透かされているような、そんな眼差しに思わずたじろぐ。しかし、このまま話を切るのもなんとなく嫌だったので、とりあえず思ったことを話す。

「あ、あの。俺、やりたいこととか、本当は何もないんですよ。部活も、ただなんとなく入ろうかなと思ってただけで…。でもお兄さんに、君はこのバイトに向いてると思ったって言われた時、ちょっと興味が湧いてきたっていうか…。だから、え~っと、結局何が言いたいかっていうと…」

 話し始めてみたものの、なかなか自分の考えをうまく表現できず、耀は頭を掻きむしった。

 その間、男性は耀の方に向き直り、静かに話を聞いてくれていた。

「このバイトのこと、めちゃくちゃやりたいとはまだ思ってないんですけど、説明会、聞きに来てもいいですかっ⁉」

 耀が勢い良くそう尋ねると、男性は目にも止まらぬ速さで耀の両手を取り、目をキラキラと輝かせた。

「もちろんだよっ! どんなきっかけであれ、うちのアルバイトに少しでも興味を持ってくれるのは、僕としてはすごく嬉しいよ!」

「よかった…! ありがとうございます!」

「そう言えば、君にまだ僕の名前を名乗っていなかったね。僕の名前は、綿巻羊助わたまきようすけ。ここのカフェ『ドリーム・オブ・シープ』の店長なんだ。気軽に店長って呼んで」

 店長はそう言いながら、羊のイラストが描かれた小さな名刺を耀に手渡した。

「それで、君の名前は?」

「俺の名前は、桜田耀です」

「へぇ! 耀っていい名前だね」

 店長は終始和やかなムードでいるが、耀はチラシを見て気になったことを尋ねた。

「あの、店長。ここのお店のバイトって、具体的に何をやるんですか? チラシには仕事

内容については一切書かれてないから、気になったんですけど…」

 耀は自分の言い分を証明するために、店長の目の前で紙をバッと広げて見せた。

「あぁ、そのことね。話すと長くなるから、それについては説明会の時に詳しく説明するよ。てる君と同じように、ここのアルバイトに興味を持っている子も、他に何人かいるからね。その子たちと一緒に説明を聞いてもらった方が、僕も何回も仕事内容を紹介する手間を省けるし、都合がいいんだ」

「なるほど…? そうなんですか…」

 耀はそれほど説明が長くなる仕事とは、いったいどんなものなのだろうと疑問に思ったが、このまま彼を引き留めるわけにもいかないのでこの場を離れることにした。

「俺、もう帰ります。今日はいろいろ話してくれてありがとうございました!」

「あれっ、もう帰っちゃうの? うちで何か食べていけばいいのに」

「いや、この後ちょっと用事があるので…」

 耀は適当にお茶を濁した。お店が混んでいる状況で入店するのは、彼に迷惑をかけるようであまり気が進まなかった。

「そっかぁ。さっきから慌ただしくてごめんね。またいつでもうちに来てくれていいから!」

「いえ! こちらこそありがとうございました!」

 耀が改めて礼を言うと、店長は手を振りながら、店の中に吸い込まれるように消えていった。

 そうして、耀は一人お店の前に取り残された。

(バイトかぁ。確かに、無理に部活に入らなくても、バイトをするっていうのもアリだな!)

 耀は突然出現した新たな選択肢に、視界が晴れていく気がした。

 耀が通う高校は校則が緩く、アルバイトも許可されている。それに、店長は自分と同年代の子も何人か雇うと言っていたので、その子たちとも友達になれるかもしれない。そう思うと、特に部活にこだわらなくてもいい気がしてきた。

 君、このバイトに向いてると思ったからさ。

 店長の言葉を思い出し、耀は自然とにやけた。

 何かに向いていそうなどという言葉を、生まれて初めて言われた。それは、自分でもわからない才能を見出せてもらえた感じがして、耀の心に心地よく響いた。単純にお世辞なのかもしれないが、それでも嬉しい。

 帰り道、耀はそんなことを考えながら、行きよりも軽い足どりで川沿いを歩いた。

 新しいことが始まりそうな予感に、彼の心はうきうきと弾みっぱなしなのであった。

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