Ⅱ.ラブ・コメディアンは古都を往く

 ラブ・コメディアンは歩いている。

 ここは、アドリア海のラグーナに広がる街、ベネチア。

 明け方の広場にたたずむ彼を、四頭の馬が強い眼差まなざしで見つめる。


「ジュ・デーム……ジュ・デーム……」


 冬の街は高潮で水浸し。

 ラブ・コメディアンの革靴も湿り気を帯びている。

 一般のジェントルメンには少々厳しい環境だ。

 だが、彼はそれすらも諧謔ユーモアだと考えている。


「ダイゴッコノスリキーレ……」


 ところで、ラブ・コメディアンの過去について知りたくはないか。

 良いとも。それでは心ゆくまで語り明かそう。


 ラブ・コメディアンは108居る兄弟ブラザーの27番目の存在だ。

 生まれて間もなく上位存在からラブ・コメディアンとしての宿命を拝領し、燕尾服えんびふくとシルクハット、そして杖を与えられた。

 元々杖は茶色だったが、そこはラブ・コメディアン。

 好みのルージュをり、淑女レディリップに似た瑞々みずみずしいそれに生まれ変わらせた。

 しかし、ラブ・コメディアンの道は過酷だ。

 巨大な宇宙ダコが地球に張り付き、人類を吸い上げるがごとく。

 けれど、彼はシルクハットを目深に被り、口元のセクシーな笑みをくずさない。

 素晴らしさとは自信から生まれるモノなのだと、教えてくれる。


「助けて!」


 悲鳴が上がった方向を見ると、宇宙ダコが少年におそかっている。

 上気したほお露出ろしゅつした粘液ねんえきまみれの白い肌とを観察しながら、ラブ・コメディアンは首をかしげたまま。

 その横を通り過ぎようとする。


「なんでやねん!」


 宇宙ダコに襲われていたはずの少年はそれをまとわりつかせながらラブ・コメディアンへ突撃する。

 あろうことか、少年は果物くだものナイフを手にしている。

 だが、彼は両手を広げ、彼を迎え入れる。


「あっ……」


 腹にナイフのつかを生やしながら、ラブ・コメディアンは微笑ほほえみかける。

 見上げる形となった少年は彼の素顔を見てしまう。


「どうして……!」


 ラブ・コメディアンは腹からナイフを引き抜くと、取り上げると、代わりに一輪の赤い花をプレゼントする。

 君に涙はふさわしくないと花はうたい始め、それに合わせて宇宙ダコも思い思いの旋律メロディーを口ずさむ。


 そして、ダンス・パーティーが始まる。


 こうして、少年はラブ・コメディアンの734人目の愛人ラヴァーとなった。

 宇宙ダコは愛人になれないから、いつかその日が来るまで、地球は壊さないでね。


 夕暮れの街に、かねの音が鳴り響いていく。

 ラブ・コメディアンはそれを背中に受け、目の前に広がる海をながめている。

 腹からにじみ出た赤は、この世界に更なるいろどりを与えている。

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