ラブ・コメディアン

南方 華

Ⅰ.ラブ・コメディアンは街を往く

 ラブ・コメディアンは歩いている。

 黒の燕尾服姿でシルクハットを目深に被り、真紅の杖を片手に。

 朝のコンクリート・ジャングルは静謐さで澄み切っている。

 だが、地面は宇宙ダコが踊り狂った後のように一面水浸し。

 一般のジェントルメンには実に不快だろう。

 けれども、ラブ・コメディアンはそうじゃない。


「ジュ・デーム……ジュ・デーム……」


 いつものように、目の前の清々しい大気に向かって愛を囁く。

 けれど、ツンとした澄まし顔をされラブ・コメディアンは顔を平手打ちされる。

 肩をすくめたラブ・コメディアンは口元に笑みを浮かべる。


「ダイコッコノ、スリキーレ……」


 そんなラブ・コメディアンの日常は突然の叫び声に邪魔される。

 その方向に顔だけきっかり90度傾けると。

 何とあろうことか、派手な身なりの女が数人の男に組み敷かれているではないか。


「助けて!」


 女と目が合ったラブ・コメディアンはそのシルクハットのツバを一層下げると。


「オーゥ、カイジャリ、スイギョーザ」


 そのままの姿勢で通り過ぎる。


「なんでやねん!」


 先程まで男達にいいようにされていたはずの女性が突然立ち上がり、ラブ・コメディアンに突撃する。

 だが、ラブ・コメディアンは動じない。女の渾身の正拳を頬に受け入れると、華麗な動きでその手を開かせ、自らの美しいそれを合わせる。

 そして、ダンス・パーティーが開催される。

 先程まで暴漢と化していた荒くれ者達はそれを黙ってみちゃいられない。

 それぞれ、鉄パイプやビニール紐の束、青いポリバケツを手にやって来ると、二人の周りで見事なセッションを開始する。

 それでも、女は仏頂面のままだ。

 先程助けてくれなかったことを根に持っている。

 しかし。


「あっ」


 ふわり、と一陣の風がラブ・コメディアンのシルクハットを跳ね飛ばす。

 女はラブ・コメディアンの素顔を見てしまったのだ。


「ああ、なんてこと」


 女は急に柔和な顔になり、ラブ・コメディアンのリードに合わせて踊る、踊る、踊る。


 そして、数時間後。

 女はラブ・コメディアンの729人目の愛人ラヴァーとなっていた。

 それは先程の暴漢達も同様で、730、731、732番目の愛人となっている。

 ラブ・コメディアンの素顔を見たものは皆こうなる。

 抗うことの出来ない陶酔と倒錯がそこにある。


 こうして、ラブ・コメディアンの朝は終わりを告げる。

 今日も実に平和だ。


「ジュ・デーム……、ジュ・デーム……」


 ラブ・コメディアンは世界に向かって、愛を囁き続ける。 

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