第1話 ローズ・アンティークオークション  (後)


————。

 開演のブザーが鳴り響く。

 ゆっくりと開くカーテンを、僕は舞台側から見守っていた。

 舞台を煌々と照らす照明は、客席にもわずかに光を落としている。アリシア・グリーンと、ディンゴ・フラナガン。最前列の二人の顔は、特によく見えた。

 そして、ここは舞台の左端だ。中央の展示台に、司会席。カーテンが無くなれば、その向こう、舞台右側の二階にある特等席までもが視界に入る。オペラグラスを手にした、レディ・スカーレットの姿まで視界に入るのだ。

 マーティン・ローズ氏の言う通り、僕にとっては、ここが一番の特等席らしい。

頬を軽く叩いて、気を取り直しペンを持つ。

 取材開始だ。


「皆様、本日はこのローズ・アンティークオークションにお越しくださり、誠に感謝いたします」


 そのローズ氏は、自ら司会を務めている。


「此度も、珠玉の一品をお目にかけましょう。どうぞ、最後までお楽しみください」


 彼の口上に、拍手が湧き上がる。

 オークションなんて初めて見るから、ここからの流れは想像も出来ない。


「早速ですが、最初の出品です」


 両極端の大物ゲストを前に、僕はたじろぐことしかできない。ガラスの展示ケースを、スタッフ4人が舞台中央へ運んでくる。

 中には、たった一つ。手のひらサイズの、銀色の箱がある。


「アダム・フォルラー氏より出品。制作は1800年代、ナサニエル・ミルズ作。ヴィクトリアンのカードケース、名刺入れに使われていたものです。純銀製。押し型刻印による荘厳な邸宅が装飾されています。貴重な初期の作品で、裏面にも草花を模した装飾と、シェイクスピアの詩の一説が刻印されています。このような意匠は、大変珍しい物です」


 展示台の上に、大きなモニターが降りてきた。

 シルバーボックスの細部や、蓋を開けた映像などが流れていく。なるほど、あれなら遠くの席からでもよく見えるだろう。

 横から見てる僕には、モニターはちょっと見えづらいけど。


「では、1500ドルからの開始になります」


 声が出そうになるのを必死に手で抑えた。

 あんな小さな箱が、最低でも1500ドルなのか。


「163番、2000ドル」


 会場から静かに札が上がり。


「68番、2200ドル。58番、2500ドル」


 ローズ氏の声と共に、箱の価値が上がっていく。


「32番、3000ドル。3000ドルでよろしいですか? ……68番、3100ドル。よろしいですか? 3100ドル、68番、落札です」


 カンッ、と槌が打ち鳴らされ、控えめな拍手が沸き起こった。

 スタッフが、展示ケースを舞台袖へとはけさせていく。

 今度は、同じように展示ケースに入れられた、赤いガラスの花瓶が運ばれてきた。


「出品者は匿名。ラリックの『ペリュッシュ』。意匠は花咲く枝とインコの番。被せガラスによるこの鮮やかな赤色は、ルネ・ラリックの作品中でも珍しいでしょう。本物と鑑定が済んでおります。こちらは、7000ドルからの開始です」


 さっきのシルバーボックスよりも、この花瓶の方が高いのか。

 なるほど。芸術品みたいなものだから、偽物や贋作なんかも存在するのだろう。


「150番、8000ドル。57番、8500ドル。197番、9000ドル。……9000ドルで、いや、20番、10000ドル」


 目の前で跳ね上がっていく価値に、頭がクラクラしてきた。会場は静かだが、ゲスト達は激しく競い合っている。

 目の前の、ただひとつの逸品に、どれだけの価値を支払えるのか。そういう戦いなのだろう。

 僕にはよくわからない感覚だ。


「10000ドルでよろしいですか? ……150番、11000ドル。20番、13000ドル。150番、14000ドル」


 どうやら、20番と150番の一騎打ちらしい。


「20番、15000ドル。よろしいですか?」


 そして、20番が勝った、と。


「では……」


 ふと、ローズ氏の目線が、右の二階席に向く。


「1番、16000ドル」


 会場がざわつく。1番、レディ・スカーレットだろう。


「20番、16500ドル。そして1番、18000ドル。……よろしいですか?」


 有無を言わさない、というタイミングだった。沈黙の末、槌が打ち鳴らされる。

あの赤色は、彼女のお気に召したらしい。

 次いで、シンプルな黒い台に乗せられた、木製のチェストが運ばれてくる。


「出品は匿名。ルイ15世様式のコモードでございます」


 上の棚になっているところだけは石製らしく、その上には鈍い輝きを放つ鍵が置いてあった。

 金の飾り金具が施された鍵穴に、ローズ氏が鍵を差し込んで、引き出しを動かしてみせる。


「ロココ様式。甲板は大理石。マーケトリーはキングウッド。クレッソン・コモードではございますが、作者は不明。当時のままの姿を美しく保っております。鍵もこのように、制作時の物です」


 会場からほぅ、とため息が聞こえる。ゲストにはきっと価値がわかるんだろう。

僕にはちんぷんかんぷんだけど。


「では、18万ドルから」


 目が飛び出でるかと思った。

 チェストひとつで家が建つじゃないか。

 呆然としてるうちにも、オークションは淡々と進行していく。

 僕は頭がパンクしそうになりながら、記事に出来そうな場面を必死に書き留めていった。


 どうやら、最初に示される価格は、順を追うごとに高くなっていくらしい。

 テーブルや、東洋の陶器。華美なドレスを身にまとった少女のドール。

 ホールは常に厳粛な空気を保っているが、激しい競り合いからはゲスト達の興奮が伝わってきた。

 その興奮は、宝石の出品が始まってから、一層高まっていく。

 濡れたように光る、大粒のエメラルド。

 ピジョンブラッドと呼ばれる、血のように赤いルビー。

 青から赤へ色の変わる宝石もあったし、7色の宝石が並んだ指輪もあった。

 そのどれもが、100年以上の歴史を経たアンティークらしい。

 最前列にいるディンゴ・フラナガンとアリシア・グリーンは、1度も札を上げていない。

 逆に、右の2階席にいるレディ・スカーレットは、赤い宝石と見るや、片っ端から圧倒的な価格で落札していく。僕の覚えている限り、出品された赤い物は全て、彼女の物になっているのではないだろうか。赤い物を執拗に集めているというのは本当だったみたいだ。

 でも、そういえば。青から赤へ変わった宝石だけは落札しなかったな。青が入ってると嫌なのかもしれない。


「ーー皆様、大変長らくお待たせいたしました」


 ローズ氏の声で、メモに集中していた僕の意識も、改めて舞台に戻される。


「いよいよ、最後の出品。伝統あるローズ・アンティークオークション、歴代最高の価値をご覧いただきましょう」


 客席のゲスト達と共に、僕も唾を飲み込む。

 ついに、最後だ。


「出品者は、ジョージ・バッカス様。これこそが」


 黒い布のかけられた展示ケースが、中央へと運ばれる。

 ローズ氏が、うやうやしくその布を取り払った。


「『ミラ・ダイヤモンド』でございます」


 静寂を保っていたホールに、感嘆の声が響く。

 遠目にもわかる。専門的な知識のない僕にすら、感覚的にわかる。


——ああ、なんて綺麗なんだろう。


 ガラスケースの中で、ネックレスの台座に収まっている、親指の腹ほどの赤い石だ。

 周囲を小さなダイヤモンドが囲んでいるけれど、金の金具も含めて、その石を引き立てるための装飾でしかないことは明白だ。

 それほど、存在感を放つ宝石だった。


「10.5カラットのレッド・ダイヤモンド。かの有名な『ホープ・ダイヤモンド』には劣りますが、世界最大のレッド・ダイヤモンドである、『ムサエフ・レッド』を遥かに超えています。しかしながら、クラリティは『ムサエフ・レッド』と同様、インタナリーフローレスでございます」


 ゲスト達がどよめく。


「驚くべきことに。これだけの大きさ、クオリティのレッド・ダイヤモンドが、歴史上に一度も現れたことがないのです。バッカス家の3代前にあたる当主、ジョン・バッカス氏が入手したのは、1850年。それ以前の出自、軌跡、全ては謎に包まれています。まさに秘宝。今日という日は、歴史に残ることでしょう」


 そう語りながら、ローズ氏はポケットからペンライトのようなものを取り出すと、ガラス越しの『ミラ・ダイヤモンド』へ差し向ける。

 その瞬間、ダイヤモンドは内側から燃え上がるような強い光を放ち出した。

さながら赤い恒星だ。


「かの『ホープ』は、紫外線を当てると赤く発光したと聞きます。この『ミラ』も同様、紫外線を当てることで、神秘的な光を纏うのです」


 ホールにいる、誰もが。

 赤いダイヤモンドに魅了されている。

 うっとりと。酒に酔うように。

 恋でもするように。


「……ぅ、ぐ」


 僕はといえば、噎せ返るような嫌悪感に、ぐっと胸元を掴んで背を丸めた。

 吐き気がする。冷や汗が止まらない。座ったままなのに、地面がぐらぐらし始めた。平衡感覚が無くなっていく。反射的にヒュッと息を吸い込んだ。

 だから嫌だったんだ。宝石なんて。


「それでは、100万ドルから開始します」


 ハッと舞台に視線を戻す。

 そうだ、嫌だとか言っていられない。取材しないと。このオークション一番の大目玉だぞ。先輩にどやされる。


「1番、150万ドル」


 レディ・スカーレットが、一気に価格を吊り上げる。

 赤を偏執的に愛する彼女が、このダイヤモンドを逃すとは思えない。


「3番、155万ドル。1番、170万ドル」


 アリシア・グリーンが初めて札を上げるも、間髪入れずにレディ・スカーレットが上回ってしまう。

 最前列を見て、僕は息を飲む。あのアリシアが、鬼気迫る表情で右の二階席を睨んでいた。


「2番、180万ドル」


 今度はディンゴ・フラナガンが動き出した。

 最初から『ミラ・ダイヤモンド』を狙っていたのか。宝石なんて縁遠いように見えるのに。


「1番、200万ドル。……3番、210万ドル。2番、215万ドル。3番、220万ドル」


 ダイヤモンドの価格が上がっていく。

 オークションは3人の独壇場だ。


「1番、250万ドル。よろしいですか? 2番、260万ドル。……3番、265万ドル。1番、280万ドル」


 アリシアがぐっと歯を食いしばり、下げた札を膝の上で握りしめた。

 ここでリタイアなんだろう。


「2番、290万ドル」


 ディンゴが食い下がる。

 けれど、手に汗握る競り合いも、すぐに終幕となる。


「1番、320万ドル」


 レディ・スカーレットの大手だ。

 こちらに聞こえるほどの舌打ちをして、ディンゴも札を下ろす。


「320万ドル。320万ドルで落札とします。よろしいですね?」


 ホールは静まり返っている。

 こちらからは、レディ・スカーレットの表情までは影になって見えなかった。

 僕には、320万ドルなんて価値は、想像もつかない。

 彼女はどんな気持ちなのだろう。あの美しい顔に、勝ち誇ったような笑みを浮かべているんだろうか。


「素晴らしい。我がローズ・アンティークオークションの歴史においても、最高価格でございます」


 ローズ氏が感無量といった様子で頷く。


「1番、320万で」


 彼の槌が、振り上げられる。

 歴史的瞬間とやらが訪れるらしい。僕は、オークションの雰囲気に飲まれて、すっかり忘れていたカメラを慌てて構えた。

 そして、レンズ越しに、その瞬間は訪れる。


「……えっ」


 予想もしなかった形で。



 背広を着た男だった。

 それは、舞台の上から真っ逆さまに降ってくると、大きな音を立てて中央に鎮座するガラスケースにぶつかった。


 赤だ。

 激しく飛び散り、流れ出る血の色だ。砕けることのないガラスケースが、赤で染まっている。


 不意に、乾いた破裂音が響く。

 聞き慣れないそれが、銃声だとわかるのに時間がかかった。

 誰かの悲鳴。堰を切ったように、客席からは大勢のパニックになった声が溢れかえった。

 僕は、動けなかった。レンズ越しに、落ちてきた男と目が合っていたからだ。

 変に捻じくられた首が、叫ぶよう口を開いた血だらけの顔が、見開かれた紫色の瞳孔が。僕を、向いてる。

 吸い込んで止まった息が、悲鳴になって押し出された。

 椅子ごと倒れて床に転がると、死体から逃げるように、這々の体で走り出す。


 ここから離れないと。でもどこに向かえば。


 自分でも訳の分からないうちに、ホールを飛び出していた。怯えきっていたからか、無意識に騒ぎから離れようとしていたのかもしれない。静かな、暗い部屋に飛び込んで、身を縮めて隠れる。


「……ひっ!」


 外の廊下を、バタバタと走っていく人の気配がする。

 どこか遠くからは、怒号や銃声のようなものも聞こえてくる。

 口を両手で押さえ、じっと息を潜めていると、そんな物音も遠ざかっていった。

 静かになり、ようやく少し落ち着いてくる。逃げ込んだのは、船内のバーだったようだ。僕はカウンターの裏に潜り込んでいたらしい。


「あ……か、カメラ」


 舞台袖に落としてしまったみたいだ。どうしよう、大事なものなのに。


「いや、それどころじゃないぞ……いったい、何がどうなってる?」


 思い出せるのは、オークションの最後。

 レディ・スカーレットに、『ミラ・ダイヤモンド』が落札された瞬間、舞台に男の死体が降ってきて。

 銃声が鳴り、悲鳴が上がった。


「…… あれ?」


 男が降ってきてから、銃声は上がった。

 彼は、銃で殺された訳じゃない。

 なら、誰が、何に向かって撃ったんだ。

 どうして男の死体は、舞台の上にあったんだ。

 それに、この騒ぎ。この船で今、何が起こってるんだ。

 わからない。わからないことだらけだ。

 僕は、途方もない考え事に夢中になる。


「と、とにかく逃げないと。でも、そもそも何から逃げれば………っんぐ!? 」


 だから、後ろから伸びてくる白い手にも、口と目を塞がれるまで気づかなかった。


「うぅ!? うぐぅーっ!!」

「怖がらないで。大丈夫だ」


 暴れようとした僕を、すぐ後ろから抱きしめるようにして、耳元に囁きかけられる。

 低くて落ち着いた、男の声だ。聞き覚えはない。耳がうずうずと擽ったくなるような、妙な艶っぽさがある声。


「落ちついて。悲鳴を上げたら、彼らに見つかってしまう。それはお互い避けたいはずだよ。今は静かに、私の言葉を聞いて。いいかい?今から目隠しを取るから。私の目を、よく見るんだ」


 視覚を奪われる恐怖に耐えかねて、僕は思わず頷いてしまう。

 そっと、目を覆っていた手が外された。そして、口を覆っていた手が顎の下に添えられ、顔を横へと導かれる。

 こちらを覗き込んでいた男には、見覚えがあった。真っ黒な髪と、眼帯を着けた右目。色素の抜け落ちたような白い肌。

 何より印象的な、黒檀のような左目。奈落のようで、見つめるうちに吸い込まれ、底なしに落ちていきそうな。


「……あれ。君は」


 その目が、ほんの少し見開かれる。


「ノア・クレイグくん、だね。確か、記者の」

「あ、あなたは」


 港で見た男。会ったことも、言葉を交わしたこともない。けれど、思い当たる名前が、ひとつだけ。


「タンタイル・バリィ……さん、ですか?」

「ふふ、ご明察。どうやら、ちゃんと手紙を読んでくれたようだ」


 男が、嬉しそうに言った。

 彼が目を細めて笑うと、黒い三日月みたいだ。


「危なかった。君だとは思わなくて、ついうっかり……いや、それよりも改めて名乗らせてもらおう。私はタンタイル・バリィ。鑑定士だ」


 彼は、僕に手を差し出す。白い手だと思っていたのは、手袋をしていたらしい。


「あ、僕はノア・クレイグです。記者をしています。あなたは、その……鑑定士、ですか?」


 狭いカウンターの裏側で、お互いに姿勢を低くしながら、彼と握手を交わした。


「ああ。アンティークの、ね」


 にこやかだけれど、どこか含みのある言い方だ。

 握った手は細く、固く、手袋越しにもぞっとするほど冷たい。


 アンティーク鑑定士、タンタイル・バリィとの出会い。

 これが、僕にとってひとつの幕開けになる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る