第1話 ローズ・アンティークオークション  (前)


  僕は宝石が、嫌いだ。



「……ノア、おい! ノア!」


 古い記事を通し、過去に没頭していた意識が、ゆっくりと浮上してくる。

 絶え間ないシャッターの音。フラッシュの光が目蓋を貫く。車道一本分ほど先を横切っているのは、深紅のカーペットだ。

 野外ゲートから、港に浮かぶ一隻の大型客船に向けて伸びた、赤い直線。船に乗る特別なゲスト達と、僕らのような取材班のために用意された空間だった。


「ゲスト様が通ってるぞ! 手帳なんて見てる場合か? 」


 同僚が横から、構えた一眼レフカメラの角で、肩を小突いてくる。

 もう何十人という客人が、赤いカーペットを右の方へ流れて行ったあとなのに。


「僕はいいんだよ。この後、もっと近くで撮れるからさ」

「そうだったな、畜生! 運のいい奴め 」


 彼は不満げに呟くと、カメラに集中し始める。

 ピントを弄って、なんとかして船に乗り込む人々を写真に収めたいようだ。


「来たっ」


 興奮した彼の声と同時に、周囲のシャッター音が激しくなる。曇り空で周囲は薄暗いからか、視野を補うためのフラッシュライトが明滅する。あまりの激しさに、耳と目が痛くなってきた。

 仕方がない。ゲストの中でも、特に注目されているVIP達のお通りなのだから。

僕も、体裁程度にとカメラを覗きこむ。


 翡翠色のドレス、ゆったりしたその裾を引いて歩いてくるのは、アリシア・グリーン。

 音楽に疎い僕でも知ってる、世界的歌姫だ。マネージャーか恋人かわからないが、男が何人か連れ添っている。

 豊かな亜麻色の髪を肩にかけ、緑の目でこちら側に向かって微笑み、手を振っている。報道陣への対応も慣れたものなのだろう。


「いやー、本物だ! あのアリシア・グリーンだよ! 俺もファンなんだけどさ! すげぇ!生のアリシア姫だ! 生きてる!」

「そりゃ生きてるよ」

「み、見ろよ!こっちに手を振ってくれた!」

「こっち全体へ、ね」


 実際、彼女の目はこちらを向いているようで、見てはいない。あの愛嬌のある微笑みも、ひとつのカメラの群れに対して向けられているのだろう。

 テンションの上がった同僚には、それでも十分みたいだ。何かのファンという生き方は手放しに幸せそうで、少し羨ましい気もする。


 次いで、1人の男が姿を現す。

 派手な金髪の、凶悪な人相の男だ。ギラギラとした鋭い目付き、黒いスーツに包まれた筋肉質な身体は、肉食獣を思わせた。

 彼は、ディンゴ・フラナガン。

 ガラの悪そうな男達をぞろぞろと引き連れ、レッドカーペットを横切っていく。彼らが通ると、その赤もどこか血なまぐさい色に見えてくるから不思議だった。

 本来なら、こうやって表に出てくることはない。シャッター音も、彼が現れた途端に静まり返る。命知らずか、そもそも裏社会の情報を取り扱うような記者だけが、控えめにシャッターを押した。それすらも、彼のひと睨みで消えていく。

 顔など覚えられた日には、その後の安全は保証されないだろう。


「うわぁ……マフィアの連中が、こんな堂々と出てくるとはな。おっかねぇ」


 同僚がヒソヒソと話しかけてきた。


「お前、ラッキーな奴とは思うけどよ。アレと同じ船に乗るんだぜ? 怖かねぇのかよ」

「怖いけど、そんなに近づく機会はないよ、多分。それに、あのゲートのこちら側は、完全な中立区域だし」


 ここはイギリスであって、イギリスじゃない。あるべき国境や法は適応されないのだ。

 その代わり、伝統ある『ローズ・アンティークオークション』の名のもとに、ありとあらゆる暴力は禁じられる。彼らが名の知れたマフィアだとしても、ここではいちゲストに過ぎないのだ。

 かといって、飢えた狼の群れとあえて同船したいかと問われれば、正直なところ遠慮したい。


「せいぜい、キャベツに見えるようにするさ」

「キャベツ?」


 怪訝そうに首を捻る同僚に、僕は黙ってレッドカーペットを指し示した。最後のゲストが通るのだ。



 先程とは別の意味で静寂が訪れた。

 記者が、シャッターを押すことすら躊躇っている。

 誰もが呼吸を忘れ、彼女に魅了されているのだ。


 レディ・スカーレット。

 ただのひたすらに、美しい人だった。

 血より鮮やかな赤いドレス。わずかに薔薇色がかった白い肌。結い上げられた金髪と、金細工のような睫毛に縁取られた、ガーネットのような濃い赤褐色の瞳。

 こんなに遠目に見ているのに、彼女の存在感に鳥肌が立つ。

 魔性の美しさとは、ああいうものなのか。


「……生きてるとは思えない」


 僕は思わず口にする。同僚に聞こえたのか、彼はハッと我に返ったようにシャッターを押した。

 その音が引き金となり、周囲はまた溺れるような音と光で溢れかえる。

 彼女は、自らへ無遠慮にカメラを向ける僕らを、一瞥もしない。ただ、薄らと微笑みを浮かべたまま、姿勢も真っ直ぐに船へと歩いていく。不敬ではあるが、女王や皇后といったただずまいだった。


「あぁ、すげぇ。見ただけで寿命が伸びそうだ。映画で見たまんまだぜ……とんでもない美人だな、おい」


 フィルムの限界まで撮りきったのだろう。同僚は赤く上気した顔でため息をつく。


「生きた宝石、なんて言われてんのも納得だな。ノア、船でもっといい写真が撮れたら、個人的に売ってくれよ。お守りにするからよ」

「ああ、うん」


 苦笑いで返した。

 彼の言うように、本当に生きた宝石みたいな人間だったな。どこか冷たく、無機質に見えるとこを含めて。

 彼女の後ろに付き従っているのは、家人や使用人なのだろう。全員が、服のどこかしらかに赤い装飾をつけている。赤いスカーフ、赤い靴、赤いリボン。赤い髪や、目の色が赤い者もいる。あれもきっと、雇い主の意向だ。

 レディ・スカーレットが“赤い色”を愛しているというのは有名な話だ。それも、普通じゃないほどに。


 僕は何気なく、彼らの横顔を、カメラから眺めていただけだった。



 レンズの四角い枠の中。

 黒い服の男が、横切っていくまでは。


 彼女らの後に続きながらも、彼はひとつも赤いものを身につけていなかった。

 それどころか。黒いスーツに、灰色のストール。黒いトランクケース。きっちりと撫でつけられた髪も黒い。眼帯と手袋をしていてほとんど見えないが、血の気の抜け落ちた、死人のように白い肌なのは見て取れる。


 まるで彼だけが、モノクロの映画から抜け出てきたかのように、色彩を欠いていたのだ。

 だからなのか、どこか異質に見える。彼だけが、僕の意識を惹きつけた。


 ふと、その顔がこちらに向く。眼帯の無い方の目。光を通さない、黒硝子のような虹彩。

 その視線が、僕を捕えた気がした。





「おい、ノア! お前、いいのか!?」

「えっ!?」


 同僚の声で思わずカメラから目を離す。

 周囲にいた他の記者達は、ぞろぞろと動き出していた。


「早くしねぇと、船に乗り遅れるんじゃねぇの? せっかくの特別枠だってのによ」

「そ、そうだよね。じゃあ、行ってくる!」


 彼に軽く手を振って、ゲートに向かって走り出す。

 僕ら取材陣の乗船は、最後の最後だ。

 ちらっと、船に乗り込むゲスト達を振り返る。


「確かに目が合ったと思ったんだけど……」


 黒い男の姿は、見えなかった。





————。

 パイプオルガンを思わせる壮大な響きをもって、汽笛が鳴る。

 大型客船ローズ・ロイヤルクルーズは、ゆっくりと陸から離れていく。


 僕はデッキの柵に肘をかけ、茜がかった空を見上げていた。煙草がないのが口寂しい。禁煙だから仕方がないのだけど。

 この船には、カジノみたいな娯楽施設もある。ゲストの多くは、オークションまで時間潰しをしているんだろう。でも、その大半が富裕層向けで、僕には縁がない。

 そもそも僕みたいな一般人が乗ってること自体、場違いなんだ。

 もう港は遥か遠くに見える。潮風が気持ちいいなぁ。なんて、呑気にしている場合ではない。

 カメラの動作や、フィルムをチェックする。持ち込みが許可されたのは、このカメラひとつ。記者仲間には時代遅れと言われがちな、古いフィルムカメラだ。父の遺品だけど、大事にメンテナンスしておいてよかった。

 肩にかけたカバンにカメラをしまい、代わりに手帳を取り出す。下調べの時に見つけた古い新聞記事と、自分のメモを読み直すことにした。


 ローズ・アンティークオークションは、遡れば200年近くの歴史を持つ、伝統的なオークションのひとつ。

 とんでもない掘り出し物が見つかった時だけ開催されるらしい。

 10年前、代表者であるマーティン・ローズがこの客船を購入して以来、海上で行われるのが通例だ。

 参加できるのは、何重もの審査を通過したゲスト達のみ。

 裕福な人、いわゆる資産家やセレブ。

 一部社会の中で権力を持つ、政治家やマフィア。

 芸術や音楽、学問などで才能を発揮した人。

 僕は、そのどれでもない。オークションに参加しない、ただ会場に居合わせるだけの特別取材枠だ。

 基本的に取材を受け付けないらしいのに、何故か新米記者の僕にだけ取材許可がおりた。

 光栄なことだから絶対に行け、なんて先輩方から背中を押されたけれど。


「何で僕だったんだろう」


 ぽつ、と独り言がこぼれる。

 それも、波の音と一緒に砕けて消えていくだけ。

 いつのまにか西日は水平線の上にまで落ちていた。

 不意に、スピーカーからクラシックの音楽と共にアナウンスが流れる。

 オークションの前座に、ヴィンテージや近代芸術品などを扱うライトオークションが開かれるのだ。手軽にオークションを味わえると評判らしい。

 僕が取材するのは、本番のアンティークオークションだ。まだあと1時間は時間を持て余すことになる。

 どうしようか。バーにでも行こうか。

 でも、すごく高かったら困るな。


「ノア・クレイグ様でいらっしゃいますか?」

「わっ!? はい!」


 真後ろからかけられた声に、あわてて振り向いた。

 ピシッと燕尾服を着た、若い男性だ。胸に名札を着けているから、この船のスタッフなのだろう。


「お手紙を預かっております」

「て、手紙? 誰から」

「はい。タンタイル・バリィ様からです」


 首を傾げる。初めて聞く名前だ。


「ええと、ありがとうございます」


 差し出された封筒を素直に受け取ると、彼は一礼して去って行った。無駄のない動きだ。


「タンタイル・バリィ……」


 書かれたサインを読み上げる。変わった響きだな。少なくとも、知り合いにこんな名前の人はいない。

 真っ黒な封筒だ。銀色のシーリングで閉じてある。その色合いに、港にいた黒い男を連想してしまう。何故だか、妙に胸騒ぎがした。

 それにしても、今どき手紙なんて古風だな。なんて思いつつ、中の手紙を取り出してみる。

 手紙には、たったこれだけ書かれていた。


『最後の出品は、写真に撮ってはいけない』

『貴方自身も、あれを視界に入れないように。どうかご注意を』


「……どういうことだ?」


 ますます訳が分からない。

 最後の出品。というのはきっと、アレのことだ。手にしたままだった手帳に視線を落とす。

 1850年に起きた、カルト教団による集団自殺事件。その現場から密かに持ち出された、彼らの信仰を集めていたとされる、赤い宝石。今回のオークションに出品されると聞いている。

 『写真に残すな』、というのはわからなくもない。

 例えば、オークションで落札した美術品の権利は、落札した人にある。展示することで利益を得ようとするのなら、写真が外に出ると客が減るかもしれない。記者が使うなら営利目的になるし、あらかじめ牽制することもあるだろう。カメラを持った記者は、この船には僕ひとりきりなのだから。

 でも、『見るな』というのは?

 最後の出品。それはこのオークションが開催された理由でもあり、一番注目を集めるもののはずだ。参加する200人近いゲスト達は、どうしたって視界に入れることになる。なんで僕にだけ、いや、もしかするとゲスト全員に手紙が届いているのかも。

 他に何か書いてないか、手紙や封筒をよくよく見てみる。けれど、他の文字はない。筆の滑りやインクの擦れた跡を見るに、とても急いで書いたものなのだとわかるくらいだ。


「……撮らないのはいいけど、見ないのは難しいよ」


 あとで権利者からの要望で写真を消されたとしても、ちゃんと取材して記事を書かないといけない。職場の先輩方からも、細部まで書き留めろとさんざん釘を刺されているんだ。

 そうこうと悩んでいると、船内に2度目のアナウンスが鳴り響いた。

 ついに、ローズ・アンティークオークションが始まるのだ。

 デッキにいた人達の歩みにつられて、僕も会場へ向かい始める。手紙は、記事と一緒に手帳に挟み込んだ。

 頭の隅の方に、不安が、掠れたインクのようにこびりついた。




 ここは、元々オペラやクラシックコンサートが催されていたらしい。間接照明だけが灯る薄暗いホールは、映画の上映前みたいな少しの緊張感と、期待に満ちていた。

 舞台の赤いカーテンはまだ閉じきっている。

 客席のほとんどが一階席だが、舞台に向かって右側の壁にだけ、二階の特等席がある。噂では、王族などの特別なゲストだけがそこに座れるらしい。

 今、そこにはレディ・スカーレットが悠然と座している。彼女だけは、ゲストとしての格が違うのだろう。

 ベルベット張りの客席はワインレッド。木製の肘掛けひとつにしても、凝った彫刻を纏っている。高級感のある仕様だ。

 僕が座るような最後方の席ですらそうなのだから、最前列の席などはもっとすごいんじゃないか。


「……、あれ」


 招待状に書いてある席番号からすると、僕の席はもう少し前の方みたいだ。取材しやすいように、気を使ってくれたのかな。

 前に行く毎に、ゲスト達の身なりがどんどん良くなっている気がする。僕のみすぼらしい格好が視線を集めているのを感じつつ、おずおずと進みながら席を確認していく。

 おかしいな、まだ前の方なのか。躊躇いながらも、また一歩踏み出した時だ。


「オイ」


 真横から声を掛けられる。地を這って噛み付く大蛇を思わせる、低く、冷たく、ドスのきいた声だ。反射的に、全身が硬直する。

 おそるおそるそちらに顔を向けると、背もたれに両肘をかけた男が、僕をジロジロと睨みつける。


「でぃっ、ディンゴ・フラナガン……! ……さん!」


 絶対に近づきたくなかった裏社会の狂犬が、すぐ隣にいる。いつのまにか、客席の最前列に辿り着いていたらしい。

 僕は膝から震え出していて、すぐに逃げ出すことも出来ない。

 ああ、心の底から、今すぐキャベツになれないだろうか。


「ここより前に席は無ぇ。身を弁えろ、うろちょろされると目障りだ」

「は、は、はいっ!」

「ちょっと、そんな風に怒ることはないでしょう?」


 今度は、綺麗な女性の声だ。それも、鼓膜に触れた途端、脳内を花の匂いで満たされるような心地になるほどに、綺麗な声。

 ディンゴ・フラナガンの奥、いくつかの空席を置いて、今度は世界的歌姫が座っていた。


「あ、あなたは……アリシア・グリーンさん!」

「私のこと知ってるの?」

「し、知らないはずない、です」

「あら、嬉しいことを言ってくれるのね」


 彼女は少女めいた魅力的な笑顔を浮かべた。遠目に見た時よりも、ずっと若々しく感じる。

 僕が思わずどぎまぎしていると、男が不機嫌さも顕に舌打ちをした。


「俺に指図するな。歌手だかなんだか知らねぇが、女ごときが何様だ?」

「何様気取りなのはアナタの方でしょう? このオークションにおいては、ランクの違いこそあるけれど、全員が“ゲスト”。平等に参加出来る権利があるのよ」

「そうだ、客としてのランクが席に現れてる。最前列に座っていいのは、俺と、アンタだけらしいじゃねぇか。このへっぴり腰のモヤシには、床でも上等だろうがな」

「席番号を間違えちゃっただけかもしれないでしょ。アナタみたいに、やたらと威圧して怖がらせることの方が、よっぽど身の丈が知れてるじゃない」

「なんだと!?」


 ディンゴが立ち上がる。首をアリシアの方に突き出し、斜に構える姿は、牙を剥いて唸る人狼そのものでしかない。


「はっ、よく言う! 知ってるぜ? てめぇこそ本心じゃ、あの女より下に座ってんのが、何より屈辱なんだろう?」

「なんですって!?」


 アリシアも立ち上がる。その顔はディンゴに怯えるどころか、ヒステリーを起こした女のものだ。怒りを湛えていても、凛と響く声はやたらめったらに美しい。激しく演奏される高級楽器を想像させる。


「図星かよ! さぞ調子に乗ってるんだろうが、あの女とお前じゃ格が違うだろうよ!」

「野蛮なチンピラ風情が、私の何を知ってるって言うのよ!」

「んだと、このアマ……!!」


 狼と、歌姫。地獄と天国。

 目の前で睨み合い、火花を散らしている。僕は両極端な大物ゲストを前に、おろおろと立ち尽くしてしまう。

 むしろ、この状況で僕なんかに何ができるっていうんだ。


「お二人共、そこまでに」

「わぅっ!?」


 いつのまにか、僕のすぐ後ろに人が来ていた。

 また燕尾服の男だ。この船のスタッフは、音もなく背後に忍び寄るように訓練されているんだろうか。

 が、その胸の名札を見て、すぐに彼が一介のスタッフではないと知る。


「ま、マーティン・ローズさん……!!」


 思わず声を上げると、彼はシワの多い顔に穏やかな笑みを作った。白髪の壮年だが、身のこなしは洗練されていて、隙が無い。

 マーティン・ローズ。このローズ・アンティークオークションの主催者、オークショナーだ。


「まもなくオークションが始まります。私的なトラブルは、他のお客様のご迷惑になりますので。お控えいただけないのでしたら、別室をご用意いたしますが?」

「……チッ」

「……結構です。お騒がせしてごめんなさい」


 2人はしぶしぶといった風に席に座る。

 このオークションでは、主催者の権限が強い。ゲストとはいえ、彼には逆らえない。

 だからこそ、誰からも信頼されている。裏社会の権力者が参加していても、ゲストに被害が及ぶことはないのだと。


「ノア・クレイグ様。申し訳ありません。あなた様の席番号は特別なもので、客席には存在しないのです」

「へ? それは、どういう……?」

「あなた様はオークションに参加されず、取材を一番の目的にされるということでしたので。それに適した席をご用意させていただくのが、我々にできる一番のもてなしかと」


 ローズ氏は、僕を客席から、小さな扉の方まで案内する。

 扉の奥は、会場よりもしっかりと明るく、無機質な通路が伸びていた。業務用通路、といったものだろうか。

 そのまま彼についていくと、多くのスタッフが慌ただしく出入りする場所に来た。

 オーク張りの舞台を、真横から見ている。ここは、舞台袖にあたるところだ。

 こんなところ初めて見た。舞台スタッフか、役者でもないと来ることはないだろう。物珍しさに見渡すと、垂れ幕の黒い裏地や、頭上のキャットウォーク、照明機材を吊るしているバトンが何本もぶらさがっているのも見えた。


「こちらです、クレイグ様」


 僕は、舞台袖のさらに奥。ぽつんと置かれた椅子に案内された。ほんの少し高台になっていて、舞台を見下ろせる。


「ここからなら舞台上と、客席のどちらも一望できます。客席からは死角になっておりますので、ご安心ください。演劇をしていた際、舞台監督が座っていた場所でございます」

「あ、ありがとうございます!」


 客席からじゃ、オークションの舞台は見えても、参加するゲストの後頭部しか見えなかっただろう。

 こんなに取材に適した場所はない。なんて気が利いてるんだ。


「ただ、椅子の質は客席には劣りますので。クッションが必要でしたら、お近くのスタッフへお申し付けください」

「そんな、大丈夫です! むしろこっちの方が落ち着くくらいですから」


 ブンブンと手を降っていると、ローズ氏はまた穏やかに笑い、優雅に一礼した。


「それでは、私はこれで。当オークションをお楽しみください。実りある取材になることを願っております」

「あのっ、取材の許可をいただき……こんな良い席まで、ありがとうございます!」


 僕もつられて、深々と頭を下げる。


「良いのですよ。あなた様のお父様には、大変お世話になりましたから」

「…………えっ」


 思いがけない言葉に顔をあげた時には、もうローズ氏はいなくなっていた。

 メインゲスト達との会話。滅多に来ることのない、舞台裏への好奇心。スタッフ達の熱気。絶好の取材席。

 連続したドラマのような体験で昂っていた胸に、ピシャリと、冷たい水がかかったような心地がした。

 彼は、父を知ってるんだ。








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