第7話

 それからすぐのこと。先頭のアリスが立ち止まった。それに合わせて、私たちの隊列も全員止まる。最後尾の私とポレゼさんは、アリスに合流した。

 私たちが進んでいた通路は、大きく広い空間に突き当たっているようだった。アリスは、壁から顔を出して、その空間の中を覗き込んでいる。私も、アリスと並ぶようにして様子を窺ってみた。

 その空間は、今までと同じ青色だった。けれども、壁から天井にかけて、上にいくほどその青はどこまでも深くなっていくようだ。その色はここまで歩いてくる中で見たどこよりも静かで、肌がピリピリした。

 空間の中央には、大きな樹木のように、青色の綿がそそり立っている。大樹が広く枝葉を伸ばすように、上のほうの綿は左右にも広がっていて、独特の威圧感があった。

「あっ……!」

 私は思わず、息を漏らす。その樹木になっている球体が目に入ったからだ。

「あれが、ポレゼさんたちの食べ物だね!」

 アリスが私のほうに振り返って笑む。彼女の、洞窟の青を吸い込んでなお光を放つような、サファイア色の瞳にぶつかって、ついつい私はまた緑色の球体のほうに視線を戻した。

「うん。ゴーガルに見つかる前に、採っちゃおう」

 アリスは後ろの小人さんご一行に駆け寄って行って、状況を説明した。

 目の前にある食べ物の存在に、ぬいぐるみの小人さんたちがワクワクしているのが伝わってくる。

 樹木の周りを見た限り、今ならまだゴーガルはいない。行くなら、今しかない。

「3、2、1の合図で、一斉に駆けだしましょう」

 私は、アリスとポレゼさんたちに、作戦とも呼べない単純な行動方針を伝える。

「すぐに採れるだけ採ったら、撤収します」

 それでもまだゴーガルが来なかったら、もう一度同じことを繰り返せば良い。

 ゴーガルがいない今のうちに、まずは最低限の食料を確保しよう。

「行きます――」

 アリスとアイコンタクトを取って頷きあう。

「3、2、1……スタート!」

 私たちは、堰を切ったように駆けだした。広い空間だけど、私たちがいた通路から樹木までの間は、30メートルくらいしかない。アリスはすぐにたどり着いて、木を登り始めた。私もすぐに木のふもとまで追いつく。ポレゼさんたちは体が小さいからまだ半分くらいまでしか来られていないようだった。けれど、アリスと私で球体を木から落として、それをポレゼさんたちに回収してもらえれば、時間的な無駄もなく、たくさん採ることができるはずだ。

 木を登るのなんていつぶりだろうと思いつつ、右足を樹木の幹の凹凸にかけた。そのときだった。

「みんな!戻って!!」

 木のてっぺん近くまで登ったアリスが大きな声を張り上げた。

 一番高い場所にいる彼女には、誰よりも周囲がよく見えているはずだ。

 もしかして……!

 私はすぐに木から足を離して、こちらへ辿りつきつつあったポレゼさんたちの元に走る。ポレゼさんたちもアリスの声を聞いて状況を把握したようだ。一斉に回れ右をして、縮み上がったように、元来たほうへと戻り始める。

 しかし、如何せん彼らは足が遅い。彼らを追い立てつつ、私は最後尾を進む。開けた空間を走る中で、すぐにその足音が聞こえてきた。この洞窟の地面は綿でできているし、きっとその怪物の体自体も、ポレゼさんたちと同じように柔らかいものでできているはずだ。だから、その足が地面を打つ音は、決して激しくない。しかしそれでも。綿とは思えない重々しさと迫力を備えた、ずしんずしんという響きが、空気を伝って私の耳に届いてくる。

 振り返ると、ちょうど樹木を挟んだ反対側にある通路の出口から、ゴーガルが姿を現したところだった。

 縄張りを荒らされたと悟ったゴーガルは、ガバっと大口を開けると、地鳴りのような声を上げた。思わず、足がすくむ。

 次の瞬間にはゴーガルはこちらへと突進し始めた。

「ひっ……」

 絡まる足をどうにか動かして、私は通路のほうに走る。

 さっきまでいた通路は横幅が狭いので、きっとゴーガルは通路の中まで来ることはできないはずだ。だから、通路の中まで入ってしまえば、私たちは安全。

 ゴーガルは巨体に見合わぬ俊敏な動きで、みるみるうちに私たちとの距離を詰めていた。私一人なら逃げ切ることができただろうけれど、今は足元にぬいぐるみの皆さんがいる。短い脚で懸命に走る小人さんたちが。自分の命はもちろん惜しいけれど、でも彼らを置いて一人逃げてしまうのも良心が咎めた。

 そうこうしている間に、小人さんの一人が、地面の凹凸に足を取られて転んでしまった。戻って助けようにも、もうゴーガルはすぐそこまで来ている。

 どうしよう。

 頭が真っ白になる私の前に、蒼い彼女が颯爽と飛び込んできた。

 波打つ金髪。弾ける水しぶき。

 アリスだ。

 彼女はすぐに小人さんを左手で抱え上げると、空いた右手をゴーガルのほうへと向ける。

 一瞬、水色の光が迸ったように見えた。

「スプラァァァッシュ!」

 彼女の手から広角に広がった水流が、ゴーガルの突進を受け止める。それでも、巨体が持つ勢いを殺しきれず、アリスが少し後ろへたたらを踏んだ。

「みんな!今のうちに!!」

「……!」

 ポレゼさんたちと私は、顔を見合わせて一目散に通路へ向かった。

 時間にしたら数秒だったと思うけれど、それでも通路の入り口に着くまでの時間はとても長く感じた。私たちはすぐに通路の中に転がり込んで、アリスのほうを振り返る。

 アリスはそのまま水流を盾にしてゴーガルを足止めしていた。じりじりと少しずつ、こちら側に押されているようだった。

「アリス!もう大丈夫…!」

 私は目一杯叫んだ。

 それを聞くやいなや、アリスは水流を出すのを止めて、体をこちら側へ反転させた。そこから小人さんを抱えつつ、飛ぶように私たちのほうへと駆けてくる。ゴーガルもすぐに追いかけてくるけれど、アリスの身軽さには追い付けない。

 アリスは通路の中へ、スライディングで飛び込んできた。私たちは全員ですぐに通路の入り口から遠ざかって、奥のほうへと移動する。

 次の瞬間には、通路の入り口にゴーガルの顔が押し付けられた。大口をパクパクと動かしているけれど、私たちにはまるで届かない。

 何とか、全員ケガすることなくゴーガルをやり過ごすことができたようだ。

 私は、ほっと胸をなでおろす。けれど……

 結局のところ、全員で食べ物を採りに行くべきではなかった。完全に作戦ミスだ。

 それに、ゴーガルが現れてから、私は見ているだけで何もできなかった。

 今回もまた、アリスに助けてもらってしまった。

 無力感にさいなまれる。

 小人さんたちも、みんな怯えきってしまっているようだった。

 一方、アリスのほうを見ると。その目は、リベンジに青く燃えていた。

「シラユキ、もう一度チョウセンしよう!」

「え……?」

「ボクなら、まだゼンゼン、ゴーガルと戦えるよ」

 アリスはグルグルと両腕を振り回す。空元気ではなく、本当にまだ元気そうだった。

「ボクが足止めしている間に、シラユキたちで何とか食べ物をとれないかな」

 そ、そう言われても……

 ポレゼさんたちの足では、通路と樹木の間を往復するだけでもかなり時間がかかる。そこからさらに緑の球体を採る間、アリスはずっとゴーガルに対応し続けなくてはいけない。いくらまだ元気があると言っても、延々とアリスに足止めしてもらうわけにもいかないだろう。

 それに、さっきの今だ。あんな恐怖体験の後では、ポレゼさんたちの気力もそがれてしまっているのではないだろうか。

 ポレゼさんのほうをもう一度見てみた。私たちの会話が聞こえていたようで、ポレゼさんがこちらに近づいてきた。すぐに、テレパシーが伝わってくる。

 ポレゼさん曰く。

「私たちは、食べ物探しをあなた方にお願いした身です。もしあなた方がまだ挑戦してくださるというのなら、私たちが諦める理由はありません」

 ポレゼさんは気丈に、こぶしを突き出した。そして、ポレゼさんのメッセージはまだ続く。

「私たちは、あなた方に比べると走るのは遅いですが、壁を登るのが得意な人なら何人かおります。あの柱のふもとまでたどり着くことができれば、あとはテキパキと食べ物を採ることができるでしょう」

 あの柱、というのは、樹木のような形をした綿のことを言っているのだろう。

 ポレゼさんは、あくまでももう一度挑戦するつもりで、アイデアを出そうとしてくれていた。

 そうだ。

 さっきのゴーガルは怖かったけれど。でも。それでも。

 私だって誰かの役に立ちたい。

 何か、私にだってできることが、きっとあるはずだ。

「そうですね。もう一度作戦を立て直して、再挑戦してみましょう」

 私は、怯える心を奮い立たせて、そう、提案した。

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