第5話
気づくと、私はまたアノマリーの中にいた。ここがアノマリーだと言い切れるのは、その鮮烈な色彩が、とても現実とは思えないから。ブルーハワイ味のかき氷みたいな、白々しいほどの青色が、視界を埋め尽くしている。
足元は、柔らかかった。まるで、青色の綿の上に立っているみたい。
もふもふしていて、歩くと体力を奪われそうだった。
壁や天井も、同じ素材でできているようだ。
前のアノマリーのときは、初めは塔の中にいた。そのときは、壁も床も天井も平らで、まさに人工物という感じがしたけれど。今回は、違う。そのどれもがデコボコしている。
天井は、見える範囲では、大人の男の人なら手が届いてしまいそうなくらい低い。ところどころに柱のようなものがあって、視界を遮っていて遠くまでは見通せない。
何だか、既視感のある光景だ。
例えるなら、そう、鍾乳洞。
前にテレビの特集で見た、洞窟がこんな感じだった気がする。
天井から、つららみたいに青色の綿が垂れ下がっている部分もあるし、逆にたけのこみたいに、床から青色の綿が盛り上がっているところもある。
本来の鍾乳洞なら岩でできているはずのものが、全て綿でできている。それも人工的な色味をした青の綿だ。
洞窟なら、灯りがなければ真っ暗なはずだけれど。どうしてか昼間のような明るさを感じるのは、この青色のモコモコが、淡く光っているからなのかもしれない。
これまた、おかしなところに来てしまった。
前回の記憶がふと蘇る。アリスに助けてもらったとはいえ、何回も死ぬかと思った。今回も同じような目に遭うのかな。どうして私ばかりこんなことに。
そこでふと不安になって、私は隣を見た。すぐにアリスの姿を認めて、私は密かに胸をなで下ろす。もし私とアリスが別の場所に飛ばされていたら、と思うとぞっとしてしまう。アノマリーを一人で脱出するなんて、とてもできそうにない。
とりあえずアリスと一緒なのであれば、何とかなるかもしれない。一応、前回ちゃんと生きて帰ってこられたという実績があるのだし…… というか、そう思わないとやっていられなそうだ。
「ア、アリス。中心は、どっちのほうにありそう?」
前回同様、中心にたどり着けば終わりのはず。早速アリスに場所を聞いてみる。
「うーん、たぶんこっちだと思うナ」
指を指したほうを見てみるけれど、当然ながら何も見えないし、逆側の方向と何が違うのかは分からない。
それでも、アリスが言うのだから、きっとそうなのだろう。
私はそちらへ歩き出そうとして、アリスに引き留められた。
「ちょっと待ってね。ヘンシンしておく!」
「変身……?」
言われてみれば、アリスはブレザー姿のままだった。昨日アノマリーで初めて会ったときのような、魔法少女風の衣装ではない。
「そう!ヘンシン。行くよ~?」
そう言うなり、彼女はブレザーのポケットから、例のコンパクトを取り出した。蓋を開けながら、大きく叫ぶ。
「ヘーンシーン!」
彼女の声に合わせて、コンパクトから青い光が湧きだして、その光がアリスを包み込んでしまった。アリスの体全体が青く光って、シルエットしか見えない。
その明るく澄んだ青は、ビビットでのっぺりした紺碧の世界にあっても、なお際だって見えた。まるで、優しく包み込むような、そんな光だ。
彼女が右手で左腕を、その次に左手で右腕をなぞると、まとわりついていた青色が片腕ずつ爆ぜて、一本の水色のラインが入った純白の長手袋が姿を現す。次いで彼女がスキップするようにステップを踏むと、これまた白を一本線の水色で割ったようなブーツが、彼女の両足を覆った。そこから彼女はノリノリでくるりと一回転、ターンを決めた。回転に合わせて光の粒子が飛び散ったかと思うと、気づけば彼女は、フリルがあしらわれた青色のチュチュらしきものを身に纏っている。そして最後に、アリスは私にウィンクをした。突然のアピールに「ええ???」と固まっていると、アリスの金髪に紺青が一筋入るのが見えた。飾りのない、洗練されたデザインのヘアピンだ。
これでおしまい!とばかりに、アリスは両腕をパッと広げて決めポーズを取る。金色の髪が、反動で大きく舞い上がった。
以前のアノマリーで会った、魔法少女アリスの姿がそこにあった。
「ずいぶんノリノリだね……」
「ヘンシンはね、楽しくやらないとできないんだよ!」
そうなのか。私だったら恥ずかしくてとてもできそうにない……
今度こそ気を取り直して、私とアリスは洞窟の中を進む。洞窟と言っても、一本道というわけではなくて、次々に道が枝分かれしているようだった。見たところ、分かれ道は壁の裏側ですぐに合流したりしているらしく、クモの巣のように、通路が張り巡らされているみたいだった。むしろ、広い開けた空間の中にたくさんの柱や壁が置いてあって、それが地形を複雑にしていると考えたほうが良いのかもしれない。
そんな調子だから、私にはとても進むべき方向なんて分からないのだけれど。アリスは、ときどきキョロキョロしながらも、どこか特定の場所に向けて歩みを進めている雰囲気だ。
揺れる青いスカートを追いかけて、私も歩く。
しばらく歩いたときだった。急にアリスが立ち止まって、右手を横に挙げ私を制した。
「あそこ、何かいるね」
アリスが示す方向に目をこらすと、遠くに何やら黄色の物体があった。もぞもぞと動いている。ただ私は目が悪いので、メガネをかけているとは言え、それの細かい形とかは分からない。
「えぇ……どんな感じ?」
「元気なさそうに、あっち行ったりこっち行ったりしてるよ」
あっち行ったりこっち行ったり、か。何か捜し物でもしているのだろうか。
まさか、私たちだったりして。
なーんてねアハハ、なんて心の中で思っていると、アリスが黄色い物体に向けて歩き始めた。
「ちょ、ちょっと、大丈夫なの?」
「困ってそうに見えるんだ。力がなさそうだし、もし何かあってもきっとダイジョーブなはず!」
そうは言っても、それも罠かも知れない。君子危うきに近寄らず。本当なら迂回して進むべきなんだろうけれど……
アリスはもう止まってくれそうになかった。
仕方なく、私もアリスの何メートルか後ろから付いていく。
近づいていくと、その黄色の形がよく分かるようになってきた。500 mlのペットボトルくらいの大きさの円筒形に、手足が四本生えている。そのうちの下側の二本足で、二足歩行していた。
確かに、それは周辺をうろうろしているようだった。歩く足取りは覚束なく、今にも倒れてしまいそうだ。
そこにアリスが近づいていって、何やら小声で話しかけた。
その卵色の円筒に言葉は通じるのだろうか。
少し距離を置いたところからじっと見ていると、アリスはしゃべり終わったようで、今度は円筒形のほうが身振り手振りで何かを伝えようとしているみたいだった。アリスもふむふむと頷いている。会話になっているのかもしれない……?
しばらくして、アリスが私を手招きする。安全、ということなのかな。
私はおそるおそる近づいてみる。
アリスが手で黄色の円筒形のほうを示して、紹介してくれた。
「こちらの方は、ポレゼさんって言うんだって」
黄色の円筒形の生き物の名前らしい。ジェスチャーでどうやって名前を理解したのかは分からないけれど。
「こちらは、ボクの友達のシラユキです!」
今度はポレゼさん?に私を紹介するアリス。
私たちは友達なのだろうか……?
じゃあ何といえば私たちの関係性を説明できるのか、と言われると困ってしまうけれど。出会って2日目で、2日とも謎の空間に飛ばされて一緒に探検する羽目になっているという訳分からない関係性を、適切に表す言葉なんてきっと存在しない。
ポレゼさんはうんうんと頷いていた。
「ポレゼさんはお腹が空いてて、食べ物を探してるみたい」
なるほど……?
それでフラフラしながらも歩き回っていたというわけか。
今まで見たことのあるどの生き物とも似ていない形をしているけれど、お腹が減るというのはちょっと親近感が湧く。
「あ、そういえばボク、アメちゃんを持っているんだった!」
アリスが魔法少女衣装のポケットをゴソゴソやっている。程なくして、白い包みに包まれた飴玉が一つだけ、姿を現した。
「ボスに、お腹が空いたら食べろって言われてたんだ」
……
ボスさんは、アリスのことを随分と子供扱いしているようだ。まあ、私も他人のこと言えないか。
ポレゼさんは諸手を挙げて飛び跳ねている。とても嬉しいみたいだ。
そのまま飴玉を受け取るのかと思ったら、そうではなかった。くるっと体を反転させ、洞窟の奥のほうに何か呼びかけるような動きをし始める。私には何も聞こえていないけれど、もしかしたら人間には聞こえない高さの音で声を出しているのかも知れない。
急に予想外の動作をされると、こちらもつい身構えてしまう。何が起こるのかと、私は洞窟の奥に目を凝らした。
すると、奥から、色とりどりの円筒形がピョコピョコピョコっと、いくつも顔を出した。そのまま、こちらへぞろぞろ歩いてくる。大きさに多少の個体差があるみたいだけれど、形や動きは皆ポレゼさんと同じようだ。
ポレゼさんの仲間……?
ざっと数えて10人くらいいる。人で数えるのか知らないけれど。
10人の円筒形はたちまちアリスを取り囲んで、飴玉をねだっているようだった。
「えぇ…… アメちゃんは一つしかないよ……」
アリスが困り顔でこちらを見てくる。
そんなに見られても、私には魔法が使えないから、飴玉を増やすことなんてできない。
全員が食べ物にありつくためには、もっとたくさんの食べ物を用意しなくてはならないだろう。そして、ポレゼさんは、さっきは食べ物を探していたという。ということは。
「一緒に、食べ物を探してみる……?」
私の提案に、アリスの顔はぱぁーっと華やいだ。
「いいね!そうしようそうしよう!」
アリスはまた、両手で私の右手を包み込む。そのまま上下にぶんぶん振って、賛同の意を示しているようだ。
そんなにテンション上げられると、何だか照れくさい。
「で、でも、中心に向かうついでだからね。食べ物探すために寄り道したりはしないよ」
変に遠回りして危険に巻き込まれるのは嫌だから、アリスに釘を刺しておく。
「うんうん、分かってる分かってる。それでもシラユキからそんなテイアンが聞けて嬉しいナ!!」
まるで私が冷たい人間かのような言い草だ……
彼女は鈍感なフリをしているようで、私がアノマリーを恐れているということは何だかんだ察してくれているということなのだろうか。
そうして私たちは十数人の大所帯で、青い鍾乳洞の中を進んでいくことになるのだった。
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