第4話

 アリスは、周りにできた人だかりを気にすることなく、一直線に私に駆け寄ってくる。

 駆け寄ってきて、両手で私の右手を掴んだ。

「シラユキ、ガッコウ?っていうのはもう終わったの?待ちくたびれちゃったよ!」

「う、うん……」

 こちらは気圧されて言葉が出てこない。「また明日」というのはこういうことだったのか。まさか、校門の前で待ち伏せされているとは。

「今日は、シラユキにイッショに来てもらいたいところがあるんだ」

 そのまま、私の手を引っ張って歩き始めようとするアリス。

 え、ちょっと待って。無理矢理連れて行かないで。

 でも、彼女の肩に手をかけて、歩みを止めた人がいた。

 中野さんだ。

「ちょっと。沙川はアタシと帰るところなんだけど?」

 中野さんが割って入ってくれてほっとした。

 私には、アリスみたいにグイグイ来るタイプの人のあしらい方がどうにも分からない。危うく、どこに連れて行かれるかも分からないまま押し切られるところだった。

 アリスは私以外の存在が目に入っていなかったのか、そこで初めて気づいたという風に中野さんのほうへ顔を向けた。

「でも、あなたとヨウジがあるわけじゃないんだよね?」

 用事がないなら大丈夫でしょ?と、純粋な顔が問いかけている。

「それはそうだけど…… ていうか、アンタは何モンなんだよ」

「ボクはアリスだよ! あなたは?」

「……中野」

 アリスの明朗な名乗りに、中野さんは毒気を抜かれたように答える。

 そして、追加の状況説明を求めるように、中野さんは私の顔を見た。

 私に振らないで……!

「ア、アリスとは、昨日の塾帰りに会ったというか……そこで色々あったというか……」

 しどろもどろになる私。

「ふーん、アリス、ねぇ」

 中野さんは、なぜかアリスの名前を呟いてから、アリスの肩に載せていた手をどかした。

「な、中野さん?」

 なんで手をどかしちゃったの……?

 中野さんはアリスをじっと見ていた。

 それで許しが出たと解釈したのか、アリスは私の右手を揺すって促す。

「シラユキ~、イッショに行こうよ~」

 仕方なしに聞いてみる。

「……どこに?」

「ボスのところ!」

 私はそこで自分の迂闊さに気づくのだった。

 慌てて中野さんの表情をうかがうと、露骨に怪訝な顔をしている。

 それもそのはずだ。女子中学生の会話に、ナチュラルに「ボス」なんて単語が出てくるわけがない。

 しかも、今私たちは下校中の他の生徒たちからも注目を集めているのだ。

 はてなマークの乗った視線が背中にちくちくと刺さるような気がした。

 一方のアリスは、そんな私の気も知らないでしゃべり続けようとする。

「やっぱり、イッパンジンがアノマ――」

「あああああ! そうだね! 一緒に行こうか!」

 自分でもビックリするほどの大声で、大慌てでアリスの言葉をかき消す。

 今この場所でこれ以上、アリスに喋らせるのはまずい。

 フィクションの世界としか思えないような単語がバンバン飛び出してきてしまう。

 それでアリスが周りからどう思われようと知ったことではないけれど、一緒にいる私まで同類だと思われたら困る。私は真面目キャラで通しているんだから。

 今度は私がアリスの手を掴んだ。とりあえず人目のないところに連れて行こう。

 でも、この場から離れる前に。中野さんに声をかけないと。

 一緒に帰るといういつもの習慣を、急に破るというのは、何だか少し気まずい気がした。

「中野さん、ごめんね。少しアリスに付き合ってきます」

「ああ」

 薄い反応だった。

 ちょっと自意識過剰だったかな。

「また明日」

「じゃあ」

 中野さんが、ダルそうに手を振っているのに、こちらも軽く手を上げて応える。

すぐに踵を返して、自分の家とは逆方向に、アリスを引っ張ってずんずん歩いた。

「イッショに来てくれるんだね! シラユキ!」

 後ろから、弾むような声が聞こえる。

「……」

「シラユキ?」

「そのボスって人には、外であんまり……そういう話しちゃダメだって言われたりしなかったの?」

「そういう話って?」

「ア、アノマリーのこととか」

「別にー。あ、でも、なるべくシラユキ以外の人とは話すなって言ってたナ」

 なるほど……

 アノマリーの話をするなって言うより、明瞭な指示かもしれない。

 でもボスさん、その指示だけじゃダメでしたよ……

「今度からは、他の人がいる前で、ボスのこととか、アノマリーのこととか、言っちゃダメだからね」

「なんで?」

「な、なんでって言われても……」

 普通の人が知らないような話題を堂々と口にしていたら、目立つなんてものではない。場合によっては、正気を疑われてしまう可能性すらある。

 アリスだって私と同じくらいの歳だろうし、それくらいは分かりそうなものだけれど。

 アリスからしてみたら、他人の目なんてどうでもいいということなのかな……

「とにかく、やめた方がいいよ」

 何と言えば納得するのか分からなくて、とりあえず重ねることしかできなかった。

「わかった」

 素直な返事に胸をなで下ろす。こうして話していると、年下の子に言って聞かせているような気持ちになってくる。

 そこで、急にアリスが立ち止まった。

 アリスの手を掴んでいた私は、それに釣られて後ろによろめく。

 気づくと、アリスの口が私の耳元にあった。

「ボクとシラユキだけのヒミツだね」

 ~~~~!

 歯の浮くような台詞。

思わず振り向くと、いたずらっぽく笑うアリスがいた。

 その笑みは、ただ秘密を持ったことに対してのものか。

「ボ、ボスさんもいるんだから、二人だけってことは、ないでしょ」

 私は頬が熱くなって、それだけ言うのが精一杯だった。

「確かにそうだね。それに、ヤマネさんもいるや」

 さっきのノリは何だったのやら、アリスはすぐに訂正する。

 思いつきでやってみただけで、もしかしたらさっきのには深い意図はないのかもしれない。この子、やっぱり人との距離感が近すぎる……

 今度からは、いちいち真面目に取り合わないことにしたほうがいいかな。

 それはともかく、と。

 何やら知らない人の名前が登場した。

「山根さん?」

「そう。ボクにいろんなシジを出してくれる人だよ」

 ボス以外にも関係者がいるみたいだ。ボスというからには、山根さんはその部下なのだろうか。

 校門からテキパキ歩いたおかげで、今の私たちは校舎の裏側に面した通りにいた。ここを通って下校する生徒はほとんどいないはずで、今なら人目を気にしなくて大丈夫だ。

「それで、さっきの話なんだけど……」

「イッショにボスのところに来てくれるんだよね?」

 うぅ……

 さっきは話を中断するために行くと言ってしまったけれど、正直行きたくない。面倒事に巻き込まれそうな予感がプンプンする。

 今日だって、本当ならまっすぐ家に帰って塾の宿題をするつもりだったのに……

 あまり変な事件に関わって、時間を無駄にしたくない。

 私が渋っているのを感じ取ったのか、アリスが説明を始める。

「ボスが言うには、イッパンジンがアノマリーをニンシキできるのはおかしいんだって」

 でも、私は昨日、アノマリーを認識するどころか、そこに吸い込まれて一悶着あった。

「だから、シラユキに会って、詳しく調べたいみたい」

 なるほど。一般人がアノマリーを認識できないというのが本当なら、私は一般人ではないということになる。そうしたら、アノマリーの退治を目的にしているボスという人が、私のことを調べたいと思うのは自然な流れだ。

 自然な流れだけれど、だからこそ、話がややこしくなりそうでもある。

 一度行ったら、調査のためにしばらく帰してくれないかもしれない。

 というか、調べるって何を調べるんだろう。体を触られたりしたらヤだな。

 ますます私の顔が曇るのを見て、アリスが慌てているのが分かる。

 そのときだった。

 急に、アリスが斜め上に視線を送るような仕草をした。さらに、耳に手を当てている。まるで、突然無線の連絡が入ったみたいだ。別にインカムとかは身につけていなさそうだけれど。

 アリスはそのまま数秒固まったままでいたけれど、すぐにアリスの表情に真剣さが顔を出した。

「シラユキ! 今ちょうどヤマネさんからレンラクが入ったよ」

 やっぱり、今のは無線連絡的なものだったようだ。

「今から、ここにアノマリーが出てくるって!」

 ――!

 今私たちがいるのは、人目につかない校舎裏の通り。

 当然ながら、私たち二人を除けば、誰もこの通りを視界に入れていないだろう。

 一般人は、アノマリーを認識できない。

 逆を言えば、アノマリーは一般人の認識の外側に現れるということなのか。

 私たちの目の前に、陽炎のような揺らめきが立ち上がった。

 一拍置いて、足元のアスファルトがぐにゃりと溶けていく。

 昨日のと同じ。自分の体が沈みゆくのを感じる。


 ――それなら、私は特別な人間ということなのだろうか。

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