第2話
「よいしょっと」
金髪の彼女は、私の足を優しく地面に下ろした。
瓦礫の上に立って、ようやく私は気が休まる。
重くなかったかな。
彼女の体格は私とほとんど同じで、腕も華奢だ。私を持ち上げられていたのが不思議なくらいだった。
それなのに、彼女は全く疲れを感じさせない柔らかな笑顔を浮かべる。
「ブジで良かった。お名前は?」
まるで風に揺れるタンポポみたいな朗らかさだった。
何だかまぶしく感じて目を見ることができず、私は口元あたりを見て答える。
「沙川、白雪……」
「うんうん、よろしくね。シラユキ!」
え、いきなり下の名前……!?
一足飛びな距離感に、ちょっと気圧された。
「あ、あなたの名前は?」
それでも、絞り出すようにそれだけ問う。名前を聞かれたなら、聞き返すのはきっと礼儀だと思う。
「ボクの名前はアリス」
彼女は端的だった。
僕?しかも下の名前しか教えてくれない……?
私の顔に困惑を見たのか。
「だから、ボクのことはアリスって呼んでほしいナ」
そう、彼女は重ねた。
えええ……
他人をそんな親しげに呼ぶのは、いつ以来だろう。小学校の低学年くらいからしていないかもしれない。
とはいえ、彼女は命の恩人。それくらいの要求は、飲むべきな気がする。
「ア、アリス……」
「はーい」
彼女改めアリスは、何がそんなに嬉しいのか、華やぐ笑顔でコクコク頷いた。
「じゃあ、ジコショーカイも済んだところで、行こうか」
「どこに……?」
「このアノマリーの中心にだよ」
言うが早いか、アリスは瓦礫の山を下り始める。
「あのまりー……?」
あのまりーって何だろう。英単語っぽいけれど意味は分からない。
それはともかく、今この場所で置いていかれても途方にくれてしまうので、すぐにアリスを追いかけた。
というか、私、ちゃんと家に帰れるの?
アリスは私の前をスキップするように歩く。耳を傾けると鼻歌も聞こえてきた。
風景はさっきから変わらず、ピンクの塔が林立する中。その間を縫うように地面を進んでいる。
ときどき、あの翠色の炎が道を塞ぐけれど、その度に彼女はどこからともなく水を生み出して、その炎を消火してしまう。
これはこれで異常な光景だった。
ふと、理科の授業で習った質量保存の法則を思い出す。何もないところから現れる水は、どう考えても質量保存していなさそうだ。
彼女は魔法使いなのかもしれない。
さっきから普通じゃありえないことが起こりすぎて、もう何でもアリな気がしてきた。
そういうことを気にし出すと、アリスは服装も少し変だ。
アリスの全身を包んでいるのは、バレリーナが着ているみたいなチュチュの、少しスカートをスリムにした形の服だった。青と白を基調にしていて、肩の部分やスカートのひだにはフリルが付いている。金髪と青のコントラストが目にまぶしくて綺麗だけれど、町中で見かけるような格好ではなくて。どちらかというと、幼い頃に見ていたアニメの魔法少女の衣装みたいに見えた。
つまり、アリスは魔法少女……?
普段だったらバカバカしいと思う発想だけれど、今は目の前の世界のほうがバカバカしいから、判断に困る。
ずっと無言というのも気まずいし、ここは勇気を出して探りを入れてみることにしよう。
「ア、アリスは、何をしにここに来たの?」
こことは、このカラフルでおかしな場所のこと。
「ボスに言われたんだ。アノマリーができたから、すぐに向かいなさいって」
「うん」
「しかも、『イッパンジンが巻き込まれたから、助けるように』なんて言うからビックリしちゃったよ。シラユキをすぐ見つけられてホントに良かったナ」
「つまり、私を助けに来た……?」
「やることの半分は、そうだね」
彼女は振り返って笑んだ。
「アノマリー」というのもこの異常な場所のことを指しているようだ。
「じゃあ、残りのもう半分は……?」
私の問いを受け、アリスはポケットから懐中時計のようなものを取り出す。
見覚えのある形をしたものだったので、心臓が跳ねた。
それに気づかない様子で、彼女はそのままそれの蓋を開ける。蓋の下に隠れていたものは、時計盤ではない。小さな宝石のかけらたちが、無数に金属に埋め込まれて、時計盤があるべきところをビッシリと埋め尽くしていた。
その様子も見覚えがある。
というか今も私のリュックに、この懐中時計モドキは入っている。
ただ、違うのは、宝石の色だった。私のは全部均一な灰色。でも、彼女のは、ほとんどが灰色だったけれど、いくつかは澄んだ青色に光っていた。サファイアってこんな感じの色なのかもしれない。
「やることのもう半分は、アノマリーを退治すること! 退治するときに、このコンパクトを使うんだ~」
それをコンパクトって言って良いのかな。
確かに蓋の裏側には鏡が付いているけれど。けどこの懐中時計モドキには小物を入れるスペースはない。
でも、敢えて何も突っ込まないでおくことにした。
この懐中時計モドキを持っていることは、言わないでおいたほうが良い気がする。面倒なことに巻き込まれそうだから。
だから、話の流れを懐中時計モドキから遠ざけよう。
「その、退治……?をするために、アノマリーの中心に向かっているってこと?」
「そうだよ。中心まで行くと、アノマリーを退治できるんだ」
「アノマリーを退治したら、私は家に帰れる?」
「うん。逆に、アノマリーを退治しないとここから出られないね」
それは困る。何としても退治してもらわないと。
そのまま二人で縦に並んでテクテク歩いて行く。
結局、アリスが何者なのかは分からなかったけれど、「退治」とか言っているし普通の人ではなさそうだ。
歩いている間、アリスは他愛もない話題を振ってくれた。「シラユキはここに来る前何してたのー?」とか、「お腹空いたねー」とか、そんな話だ。
私には、初対面の人に積極的に話をしにいくコミュニケーション能力がないので、こうやってどうでも良い話で退屈を紛らわせてくれるというのは、素直にすごいと思えた。
会話が途切れると、今度はアリスの鼻歌が沈黙を埋めてくれる。
アリスはアノマリーに慣れているのか、ずっと楽しそうに見えた。
一方の私は、会話がなくなるとすぐ不安な気持ちが首をもたげてしまう。
ちゃんと帰れるのかな。お父さんは連絡がなくて心配してないかな。
それに、流石に疲れが溜まってきた。もうそろそろ足が持たない……
何とか我慢して、桃色の塔の森の中を歩き続けていると。
おもむろに、アリスが前を指差した。
「アレだよ!」
そちらのほうに目を遣ると、塔と塔の隙間から、一際大きな塔が奥に見えた。
「あのおっきな塔の上に、アノマリーの中心があるね!」
ゴールが見えてきて嬉しくなる。でも、
「でも、どうしてあの塔に中心があるって分かるの……?」
「何となく、感じるんだよ~」
ずいぶんとあやふやな根拠だった。でも、アリスはこれが初めての経験というわけでもなさそうだし、きっと大丈夫なのだろう。
もうすぐこの訳分からないところから帰れると思うと、足取りは軽くなった。
そうして、うきうきで塔たちの隙間を抜けて、大きな塔まで近づいていったけれど、残念ながら、アノマリーはそう簡単には私を帰してくれないみたいだった。
大きな塔が目の前、というところで
「近づけない……!?」
塔をぐるっと取り囲むように、大きな大きな穴が地面に穿たれていたのだ。
地上から見ただけでは、穴の深さはちょっと分からない。少なくとも目の届く範囲に底はなかった。
幅も何十メートルもありそうで、走り幅跳びをしても塔のほうにたどり着けそうにない。
まるで城の堀みたいな大穴を前に、私は途方に暮れてへたり込む。ついでに言えば足ももう限界だった。
いくら何でもこれはアリスもお手上げだろう……
でも。
私の肩にアリスの手が置かれるのを感じた。
振り向くと。
「ダイジョーブだよ。イッショに飛ぼう!」
アリスが親指を立ててグーサインをしている。
大穴なんて大したことないと、彼女の態度が雄弁に語っていた。
「跳ぶって、そんなのどうやって……?」
「シラユキ。じゃあ逆に、どうやってさっきのボクは、シラユキの上からトージョーできたんだと思う?」
確かに。
さっきアリスに助けてもらったとき、アリスは私の頭上の空から現れた。私は塔の上にいたのに、だ。それに、塔が崩れていったとき、どうやってか私を支えて落ちないようにしてくれていた。
「アリスには、空を飛ぶ力があるの?」
食い入るように彼女の両肩を掴む。
「うん、バッチリ!!」
それは頼もしい。
やっぱり、きっと、アリスは魔法使いなんだ!
「シラユキ、ジュンビはい~い?」
私は、アリスにお姫様だっこされていた。
このまま、私は彼女に抱かれて、宙を舞うらしい。
とってもとっても恥ずかしかったけれど、家に帰るためには仕方がない。
背に腹は代えられないってやつだ。
「うん」
短く返事をする。空を飛ぼうとしているからか、心臓はバクバク鳴っていた。
「カウントダウン!3、2、1、」
アリスの手に力が入るのが、腰に伝わってきた。
「0!!」
私たちは、空へと翔け出す。
勢いよく斜め上へと加速して、ぐっと下向きに体が押さえつけられた。
アリスが、私の体をしっかり支えてくれている。
やめておけば良いのに、私はつい下を見てしまった。真下には、件の大穴が大きな口を開けている。やはり奈落の底は暗くて何も見えなかった。あまりの高さに肝が冷える。
ひぃぃぃぃ……
声にならない叫びだった。
私たちが元いた地面を見ると、そこから私たちの軌跡を辿るように、水の流れが蛇のようにのたうっていた。アリスは、水流を生み出して、その勢いを足で踏んで推進力に変えているようだ。
そうこうしているうちに、みるみると大きな塔が迫って来る。これなら、安心して穴の対岸へと渡れそうだ。
けれど、この速度、どう考えても塔のふもとに着地する軌道ではない。思いっきり横を通り越すような……?
不安になってアリスの顔を見ると、真剣な表情で前を見つめる彼女が、ちらっと一瞬私に目線を配った。
「このまま……っ、塔の上まで、昇るよっ!」
「ええええ!?」
そんな無茶しないでも、ふもとに着いてからまた塔を昇ればいいのに。
「シラユキ、すごく疲れてそうだったから。これ以上、歩かなくていいように……!」
――気づいていたんだ。
それは、とても有り難い気遣いだった。
正直、もうこれ以上歩けないくらいには疲労している。
でも。
空を翔ける彼女は。
それ以上に辛そうだ。
必死に何てことない風を装っているけれど、息は切れ切れだし、額には汗が浮かんでいる。
よくよく考えれば、アリスが人一人支えて空を飛ぶのなんて初めてなんじゃないだろうか。さっき助けてもらったときも私の体を支えてもらったけれど、でもあのときは上昇せずに、ゆっくりと下降するだけだった。それは、二人分の体重でもって空を飛ぶのが厳しかったからなのかもしれない。
「アリス、無理しないで良いよ。私なら大丈夫だから……!」
アリスに負担をかけるのも申し訳ないし、何より無茶をされて失敗しようものなら、大穴へと真っ逆さまなのだ。安全な方法が取れるならそっちのほうが良い。
だけど、アリスは聞く耳を持たない。
その勢いのまま、私たちは塔の壁面を横に見る形で通り越す。
そして、塔に巻き付くように旋回を始めた。
「ボクも、ダイ、ジョー、……っ、ブ!」
塔の周りをゆっくり回りながら、ぐんぐんと高度を上げていく。
水の蛇は、とぐろを巻いているようだった。
「――!!」
アリスの口から、息が漏れる。
お願いだから、危ないことをしないで。
私のためなのは分かっているけれど、怖い。
そして。
塔の頂上まであと数メートルというところまで来て、アリスの体が揺れた。
危ない……!
思わず、私の体も強ばる。
「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
彼女は大声を張って、水流の上で踏ん張ったかと思うと。
次の瞬間、あろうことか、私の体を投げた。
「ひゃあああああああああ」
私の口からも、たまらず悲鳴が転び出る。
しばしの無重力感の後。私は、塔の頂上の縁に尻餅をついた。
な、なんてめちゃくちゃな。
一方のアリスはというと、私を投げたことで一度は体勢を崩したみたいだけれど、一人だったらどうにでもなるのか、宙返りしながら立て直して、一気にこちらへと上昇してきた。
すぐに彼女も頂上へと降り立つ。
「ふふ、危なかったナ」
「あ、あ、あ、危なかったじゃないよ! 私、死んじゃうかと思った……」
勢いよくアリスに詰め寄るけれど、彼女は笑って受け流す。
「二人ともブジだったんだから良かったよ」
そういうことじゃなくて…… 全く、脳天気なものだ。
「そんなことより、アレだね」
そんなことより!?と思ったけれど、彼女の視線の先を追って、私の口からは何も出てこなかった。
塔の上にあったもの。おそらくアノマリーの中心なのだろうそれは、七色に光り、薄暗い靄をまとう、球状の物体だった。
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