カラーレス―極彩色の世界で少女は少女に出会う―
ふつれ
第1話
モニタールームには、けたたましいアラームが鳴っていた。
「
オペレーターの切迫した声に、俺は腰を上げる。
「先日の予報では、次の異常はしばらく先という話だったが?」
「そのはずだったのですが……」
「仕方ない、今からでもアリスを急行させよう」
「了解しました」
彼女なら急な呼び出しにも応じてくれるはずだ。
どうやら予報システムにはまだ改良の余地があるらしい。技術係に指示を――
「大変です!時空間異常付近に、一般人の反応があります!!」
再びのオペレーターの叫びが俺の思考を遮った。
「何だって……?」
モニターに目を向けると、異常を表す赤い点に、一般人を示す青い点が重なっている。それは、その一般人が異常に飲み込まれたことを示していた。
「ああ~、もう時間ギリギリだよ……」
塾からの帰り道、私は駆け足で駅に向かっていた。
全く、田口先生はおしゃべりだから困る。講師室に質問しに行ったら、あれやこれやと話が途切れなくて、30分も捕まってしまった。おかげで電車の時間が迫ってきてる。
こういうときは、裏道が便利だ。細い道をくねくね行けばショートカットになるし、人通りが少ないから安心して走れる。ホントは「人気がなくて危ないから使っちゃダメだ」って先生に言われてるんだけれど、今日は時間がないから仕方がないということにしたい。
塾の裏手から出て真っ直ぐ進んだ後、最初の交差点を曲がった。街灯も少なくて、暗闇があんぐりと口を開けているようだった。思わず足がすくむ。
でも、ここをこのまま進んで、次の角を曲がればもう線路沿いの道のはず。そこまでくれば駅はすぐそこ。もう少しの我慢。スカートを揺らして走る。
そんなとき、ふとリュックの中で何かが震えた気がした。
でも走っているんだから、リュックの中は揺れ放題。振動なんてあって当たり前。気にせずに私は走る。早くしないと電車が来てしまうから。
次の瞬間だった。
急に地面がプリンになった。
地面がプリンのように柔らかくなって、固さを失う。
私が踏み込んだ足は、まるでそこに刺さるスプーンみたいに、地面に吸い込まれていった。
「え……?」
体重を支える先がなくなった私の体は、放り出されるように前のめりに倒れていく。地面にぶつかる!と思って目を閉じても、その衝撃は来ないまま、天地が反転したのを感じた。
そうしてクルっと回って尻餅をつく。
「いてて……」
じんじんするお尻をさすった。
少し状況が掴めない。何が起きたんだろう。
私は、ゆっくりとまぶたを上げた。途中まで開いた目は、目の前の様子を認識した直後に、驚きで見開かれることになる。
そこは、簡単に言えば、部屋だった。しかし、四方八方、壁だけでなく床や天井も、ショッキングなピンクで塗り上げられている。壁に一カ所だけ外に繋がる出入口がある以外は、全面に凹凸がなくて、遠近感がおかしくなりそうだった。
「どこ、ここ……?」
もしかして私、授業中に居眠りしちゃって夢を見てる?
それくらい、現実感がなかった。
でも、ほっぺたをつねると――痛い。思わず顔をしかめる。
「夢、じゃない」
それならこれは何だっていうのだろう。
道を歩いていたら急にピンクの部屋に連れてこられるなんて、そんな話は聞いたことも、習ったこともない。
強いて思い当たるとしたら――
「誘拐……?」
そんなまさか。確かに華の女子中学生だけれど。こんな地味メガネな私が、悪い大人に目を付けられるのかな。
どうしたらいいか分からないまま、とりあえず立ち上がってみる。そのまま壁に歩み寄る。壁に触れてみると、石みたいに固くて冷たかった。
「普通の壁だ」
学校の廊下の壁も、こんな感じだろう。
目で見て、手で触って、他にできることは?
「匂い、かな」
早速、壁に鼻を近づけてみた。壁からは特に匂いはしない。
でも、それとは別に、何だか焦げるような匂いが鼻についた。
そういえば、さっきから、たまにパチパチと木か何かが弾けるような音が、出入口のほうから聞こえていることに気づいた。
――!!
嫌な予感がして、私は猛ダッシュで部屋を出る。出た先には、廊下のような細長い空間が横に広がっていた。
焦げた匂いがキツくなる。
そして、出入口から見て右側の廊下一面には、淡い翠色の光がメラメラと揺れていた。
私の常識に照らすなら、本来は赤色やオレンジ色をしているはずだけれど。
何故かその翠色を見て、それが炎であることがすぐに理解できた。
「か、じ…!」
逃げるウサギのように、私は炎とは反対側、左側の廊下の先へと駆け出す。
すぐに広い部屋に出た。天井も吹き抜けで、仰ぎ見ても本当の天井がどこにあるのか暗くてよく分からない。当たり前の顔をして、壁も床もピンク色だ。
そして、部屋の中央には上へと続く螺旋階段がある。
どうやらこの部屋も火の手が既に迫って来ているようで、螺旋階段を囲うように、翠色が床を飲み込んでいた。どうしてか私と螺旋階段を結ぶ直線上にだけ炎はない。
背後からも激しい熱を感じる。とにかく、この螺旋階段を昇るしかないみたい。
体育が、特に持久走が嫌いな私はもうバテバテだったけれど、必死で階段を蹴って上へ上へと上がっていった。
すぐに翠色も追ってくる。
炎は上に進むのが速いから、火事のときは上に逃げちゃいけないって理科の山田先生が言っていたと思う。困ったな。
グルグルグルグル、私は螺旋を昇る。翠の炎も、同じようにグルグルグルグル、螺旋を昇って追いかけてくる。
グルグルグルグル。まるでそれだけが役目のロボットみたいに、ただひたすらに単調に昇り続ける。永遠に続く追いかけっこ。
自分がこんなに走れることが意外だった。いつもの私ならとっくに音を上げているはず。命が懸かると普段出せない力が出るらしい。文字通り、火事場の馬鹿力っていうやつかな。
それでも流石にだんだん疲れが溜まってきて、階段を蹴るペースが落ち始めている。翠の熱が、背中をジリジリと焦がす。
「――!!」
ギリギリのところで、螺旋階段は急に終わった。階段の終わりに、ポッカリと空が見えた。
レモンみたいな澄んだ黄色の空だったけれど、とにかく私は転がるように外に飛び出る。建物の屋上のようだった。とても高い場所なのに、柵も何もなくて、外の景色が一望できる。
目に飛び込んできたのは、やっぱり今までに見たことない風景だった。私が今いる建物を取り囲むように、鮮烈な桃色をした塔がたくさん建っている。きっとこの建物自体も、同じようなピンク色の塔なんだろう。写真で見た、東京の夜景に似ているかもしれないと思った。色は全然違うけれど。
塔たちの隙間からは地平線も見えて、そこより下はピンク、上は黄色だった。色使いがビビットすぎて、目がチカチカする。
景色に目が奪われていたのは一瞬だったと思う。次の瞬間には、はっとして後ろを振り返った。翠の炎が、階段を昇りきって、屋上の床を侵食し始めていた。
「もう――」
逃げ場はない。こんな高いところから飛び降りたら、タダじゃ済まない。
私、死ぬの?
どうしてこんなことになっちゃったんだろう。
やっぱり、先生の言いつけを破って、駅まで近道をしようとしたのがいけなかったのかな。お父さんにもいつも「大人の言うことは聞きなさい」って言われてたのに。
炎は塔の外壁側にも広がっていたみたいで、いつの間にか、私は揺らめく光に取り囲まれていた。少しずつ、包囲が狭まってくる。
ヤだ。死にたくない。誰か。
「助けて……」
「すぷらぁぁぁぁぁぁぁっしゅ!!!」
頭上から響いた大きな叫び声に、私は思わず顔を上げた。
突如、私の周囲に、大量の水の塊が降り注ぐ。
水の色は、私の知っている水の色で。
少し安心した。
そして、あまりの水量と勢いに、塔が悲鳴を上げる。
床に亀裂が入るとそれはすぐに大きくなって、パックリと私を飲み込んでしまう。
そのまま重力に引かれて落ちるかと思ったけれど、誰かに体を支えられる感覚があった。
滝のように流れる水と崩れゆく塔。
すさまじい轟音の中、私と誰かはゆっくりと下降する。
やがて。
瓦礫の山となった塔の上、完全に火が消し止められたその場所に、私たちは降り立った。耳を打つ静寂。
私はその誰かに完全に抱きかかえられて、背中と膝の裏を支えられている。いわゆる、お姫様だっこというやつだった。
でも、その状況に気づいて赤面するまでに、しばらく時間が掛かってしまった。
だって。
その誰かの顔に、私の視線は吸い込まれてしまったから。
私のことは全く濡らさなかったのに、彼女はすっかりずぶ濡れで。
水が滴る頬は、透き通るように白く。
濡れそぼった長い金髪は、本物の黄金のように光り輝いていた。
自分の心臓が、早鐘を打つのを感じる。
それは、たくさん走ったからなのか、この異常な状況がそうさせるのか、はたまた別の何かのせいか。
その理由をまだ、私は知らなかった。
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