3

「さあ、こちらへいらして下さいな」


 門の中は不思議な空間だった。


 大きな鳥籠のような温室。

 2段式の噴水の前で談笑する生徒達。

 そこかしこに香る薔薇。


 ややキツくなってきた陽光がその輝きや薫りをより華やかなものにする。


 全寮制なこともあってか、外界との空気の隔たりが尋常ではない。

 生徒達はもおおらか、というか、どこか上品で害意や毒を感じることさえ無いような空気を漂わせ、その光が学園全体をパステルカラーのような空間にしているように感じられる。


 そして、確かに義手や義足など、義肢をつけた生徒が多い。

 しかも、なぜか義肢の生徒同士、まるでペアのように寄り添っている。


 両親は編入手続きの他、薔薇園が美しいことで有名なこの学園の庭園を見てこよう、と二人で何処かへ行ってしまい、私一人が寮や学内生活の案内を受けることとなった。


「いかがなさいまして?」


 私の案内をしてくれている委員長の生徒がこちらの顔を伺う。

 ここの制服は最近にしては珍しいセーラー服で、スカーフで中等部か高等部かを、襟に施されるラインの色で学年を判断するのだという。

 前の学校ではブレザーにスラックスを選び、その制服のままここに来てしまった私は、既にシルエットからして「異邦人」であった。


「ああ、いえ、前の学校と、全然雰囲気が違いまして……」

「そうなのですね。ふふ」


 委員長は軟らかく笑った。

 透き通った肌に優しそうな目元。

 役職を表すリボンが追加されたスカーフと編み込まれた長髪を涼風に流し、こちらを見る。

 眼鏡の反射のせいか、左右で目の色が違うようにも見えた。


「今日は祝日ですから、みなさん、のんびりされてますのよ。普段は他と変わらず勉学などにいそしみますから、きっと以前の学校と変わりなく感じられますことよ」

「祝日?今日が?」

「ええ?」


 少しの間

。。


「ああ、そうでしたわね」

 委員長は何かを思い出す。


「『ここ』は、『外』とは違うカレンダーで動いてますの」


「ああ、なるほど。学内カレンダーみたいな?」

「左様でございますわ」

 委員長は笑顔で応える。


 創立記念日か何かなのかな。

 そう、合点をつける。


 アーチで繋げられた列柱に囲まれた回廊の中、セルリアンブルーの影の中で委員長の笑顔だけが光る。

 その影の向こう、さらに 濃くなったコバルトブルーに包まれて、一人の少女がベンチに腰掛け本を読んでいた。

 影の中にいるせいか、藍色に艶めく髪を長く伸ばし、纏めたサイドをリボンで結んでいる。

 襟のラインの色から、どうも私と同学年になるらしい。

 この学院の生徒にしては珍しく、義肢も補助器具も見られない。


 長い睫毛から落ちる影の下、やや明るい色に見える瞳が潤んで見える。

 その横顔に思わず引き込まれてしまう。


 すると、その少女の瞳孔がこちらを向き、虹彩が笑顔の形になる。


 目が——合った——


「あら?」

 委員長が、私の目線の変化に気付く。

「まぁ、枝園エゾノさん」

 そのまま顔を私の視線の先と合わせると、委員長はその名を呼んだ。


「ごきげんよう」

 濃紺の少女、枝園、は改めてこちらに状態を向き直すと、立ち上がり、微笑んで会釈する。

「ごきげんよう」

 委員長も、どこか形式的に挨拶を返す。


「ご紹介致しますわね。あちら、枝園さん……枝園真理恵マリエさん」

 委員長は少女、枝園からこちらに顔を向け直すと、彼女の紹介を始めた。

「私とご同級、つまり馬路バロさんとも御同級になりますわ」

 すると、突然私の方に顔を近づけ、声を潜めて付け足す。


「あの方は、まだどなたとも『対の契』を結ばれてませんの」


——「対の契」?——


 私が疑問に思っていると、委員長はそのまま枝園の方に体を向け直し、私を紹介し始める。

「ご紹介致しますね。こちら、場路さん、場路愛音アイネさんとおっしゃいまして、今後は私達の御学友になられますわ」


「お初にお目もじ致します。枝園と申します」

 いつの間に近づいたのか、枝園は委員長の直ぐそばにまで来ていた。

「ああ、初めまして。場路です」

 私は、形式的な挨拶しかできなかった。

「今、こちらの世津子さんからもありましたが、ボクはまだどなたとも『対の契』を結んでおりません」


 これを聞き、委員長の目が大きく開かれる。

 「対の契」とは何だろう?


「あなたは多くを求め過ぎていらっしゃるのです」

 委員長はそのままアーチの方へ視線を向けると、誰にともなくそう発した。


「『求めよ、されば与えられん』ではなくて?」

 枝園も特に誰と視線を合わせるでもなく、そう返す。

 しかし、これを聞いた委員長の反応は大きなものだった。

「そのような異端の言葉を!」

 その目には明確な敵意と憐れみが練り込まれ、枝園を捉えていた。


 そうか、この学院にも敵意なんかもあるんだな。

 なぜか、少し安心してしまう。


「ボクは『真理』を見ていたいだけなのですよ」

 枝園は、相変わらずどこを見るでもなく続ける。

「そうでいらしても、知に勝ち過ぎていらっしゃいましたら焼かれるだけですわ。折角の才知を、なんと恐ろしいことに……」

 委員長の眼鏡には枝園が映っているが、枝園の目には何も入っていない。




「ああ、世津子さん、こんな処に」

 そこにまた、別の声が合流する。

 そちらに目を向けると、委員長、世津子と同じような眼鏡の少女が何やらファイルを抱えてこちらに向かってきていた。

「あら、朋子さん、いかがなさいまして?」

 心なしか、世津子の声も軽くなる。

「こちらは?」

「ああ、ご紹介致しますわね。こちら、場路愛音さんでいらして、今度編入されて私どものクラスにいらっしゃいますわ」

 朋子の質問にすらすらと応え出す。

「こちら、桜木朋子さん、私どもとはクラスは違いますが、同学年になります」

 朋子が軽く会釈する。

「そして、私の『対』になりますの」

 その声は、まるで鈴のようだった。


——「対」、か——


「宜しくお願いしますね」

「ああ、こちらこそ」


 朋子の挨拶にも形式的にしか返せなかった。

 よく見ると、朋子の目も左右で色が違うように見える。

 ただし、それは左右が逆な以外は、眼鏡も含めて世津子と同じであるようだ。


「ああ、そうだ、その編入手続きに関して、先生が君を探していて」

 朋子は本来の目的を思い出し、世津子にそう告げる。

「あら、そうでしたの?」

 そう言うと、私の方を見る。

「けれど、場路さんのご案内がまだ……」

「それなら、ボクが引き受けるよ」

 世津子の責任感からの語尾を、枝園が捕らえた。


「あら、それは助かりますわ。けれど……」

「私も、それで大丈夫だから」

 このまま困らせるのも可哀想に感じ、枝園の提案を受けることにした。


「では、宜しくて?ああ、けれど、くれぐれも異端の言葉は謹んで下さいましね?」

 世津子は枝園の顔を見ず、忠告だけ付加えると、朋子の荷物を支えるように、一緒に歩き去っていった。


 こうして委員長とその「対」を見送ると、今度は枝園が私に告げる。

「今日は色々あってお疲れでしょう?ボクも少し休むので、続きは明日にして、お茶でもいかが?」

 確かに、あれだけ眩しかった陽も傾き、光も黄色くなり始めていた。

 遠くで晩鐘が鳴り始める。


「後、ご両親のお見送りは大丈夫で?」




「あ……」

 そうだった。

「教えてくれてありがとう。また明日!」

 私はそれだけ伝えると、門まで走っていき、何とか両親に挨拶を済ませることができた。

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