第10話 デュエット



平日の午後、授業を終えた私は職員室に向かった。

顧問の山田先生から呼ばれた。

そこには平日には中々来ることのない、講師の渡辺先生が来ていた。そして、同じトランペットパートの柏先輩もいた。


「やあ、元気?」

「はい。」


先生に会うといつも緊張する。

でも、合奏の先生よりずっといい。頭ごなしに怒ったりしないから。


「コンクールが近くて忙しいかもしれないんだけど、二人と話がしたくて。

あのね、アーバンって教本があるでしょう?それの2巻に載ってる物をこれから2人にやって欲しいんだ。基礎練の前でも後でもいいんだけどさ。」


アーバン、という教則本はトランペットを吹いている人なら大抵は知っているトランペットの教則本だった。

私が知っていたのは白い表紙のものだったが、先生が持ってきたのは黄色い表紙だった。


「このデュエットのページを2人でやって欲しい。

コンクール前はコンクール以外の曲は基本的には練習しちゃいけないんだって前に聞いたけど、これは練習だよ。1stを吹く柏さんと4thを吹く貴田さんがやるから意味がある。絶対にね。

2人でやる時は、パートは交互にやってね。

週末のレッスンでまた来るから、その時に聞かせて。」


渡辺先生はにこりと笑った。

私と柏先輩は「はい」と返事をした。それから2人で見合わせた。

柏先輩は同じパートだが他の先輩より寡黙で、パートリーダーのように口うるさく音程の事を注意したりしなかった。

それ故に、私はこの人が苦手だった。


私はアーバンを受け取っていた。

すると柏先輩は私に言った。


「それ、一旦借りてもいい?私、皆と違って初見苦手だからコピーさせてほしいかも。」

「はい!もちろんです。私もコピーが欲しいです。」

「じゃあ、燿ちゃんの分もしてくるよ。後で練習教室に持ってくから渡すね。」


柏先輩は少し微笑んでいた。

私は、そんな優しい顔をした先輩の顔を初めて見たような気がした。

急に打ち解けたような表情をされ、私は驚いて少しの時間動けなかった。



***



部活の時間、パート練習中は空いている教室に分かれて練習をした。

そこに、柏先輩がコピーした楽譜を持ってやってきた。


「ね、やっぱり初見でやらない?」


柏先輩はなんだかニコニコとしながら言った。

それから私が基礎練習を終えるのを待ってから隣の教室に移った。


「私、燿ちゃんと練習したかったんだよね。」


柏先輩は譜面台に楽譜を乗せながら話し始めた。


「燿ちゃん、高い音苦手って言うけどさ、五線の中の音域はすごくいい音だよね。私、燿ちゃんの音色好きなんだ。

フリューゲルの音もすごく似合ってるよ。」


先輩からの突然の褒め言葉に私は目を丸くしてしまった。

それから、柏先輩は続けた。


「私だって、最初からたくさん吹けたわけじゃないんだ。だって私、1年生の時のコンクールはトランペットで出させて貰えなかったんだよ。

私はね、人数が少なかった打楽器に入れられたの。

部活ってさ、年功序列って感じじゃん?しかもさあ、上手かった人に限って楽器続けないじゃん?だから悔しかったんだよね、私。」


柏先輩は、たまに渡辺先生の紹介の先生にレッスンに行っていた。本当にたまに、部活が早く終わる日や、合奏のない時に行っていた。

それを大きな声では言わなかった。

同級生にもあまり大っぴらには言わなかった。私はある時、部活の前に先輩が楽器庫の楽器を持ち出してそそくさと帰るのを見かけたので、声をかけると「今日はレッスン行くの。また明日ね。」と話してくれたから知っていた。


二人で初見で二重奏を始めた。

私も先輩も始めは上手く行かなかったがお互いに吹き合うと楽しかった。

「上のパートと下のパート入れ替えてやってみよう」とやってみると新鮮だった。

いつもは自分がハーモニーばかりを吹いていたから先輩が自分に合わせてハーモニーを吹くのが不思議な感じがした。


「やっぱハーモニーは燿ちゃん上手いなあ」


先輩はそう言って「もう1回下のパートを吹いてみてもいい?」と言って二人で吹いた。

二人で音が合うと楽しかった。こんなにも二人で吹くのが楽しいとは知らなかった。

いつものパート練習では音程ばかりを気にして先輩からの注意にばかり気を使っていた。


二人の音色は少し違っていた。先輩はパキッとした音で、鋭い音だった。

私は逆にモワッとした音でなんだか嫌な気がした。

それを察した先輩は、二重奏の合間にアドバイスをくれた。


「燿ちゃんの音は柔らかくて響きが多いんだね。音が太いからモワッっと聞こえちゃうように感じるけど、そしたら音の出だしをハッキリしたらいいかもよ。」


確かに伸ばしている音は納得のいく瞬間が多かった。先輩に言われた通りに出だしを思い切ると上手くいった気がした。


楽しい二重奏の時間は過ぎ、曲の練習とフリューゲルの練習を始めた。


今日はパート練習はなく、直ぐに合奏だった。

今日はの合奏には手応えを感じていた。

何となく上手くいったように感じた。


(先輩と練習するだけで全然違うんだなあ)


先輩には何となく苦手意識を抱いていたが、今日は違った。

しかも今日は二重奏で上のパートでメロディを吹いたせいか、なんとなくメロディの気持ちを体験できた気がした。

だから合奏でも少しファーストの気持ちがわかったのかもしれない。


また別の日、時間ができたので先輩と二重奏をした。

その日はまた別の手応えを感じていた。


「燿ちゃん、なんかアタックが上手くなった?」


最初に二重奏をした日から、朝練ではロングトーンを重視して午後はタンギングを気持ち多めに練習をしていた。


パート練習はあまり好きじゃなかったけど、先輩との練習は好きだった。

他の同級生達はコンクールに向けて曲の練習に励んでいた。もちろん私も練習はしていたけれど、先輩と練習すると同級生達との格差が埋まる気がして楽しかった。


「ねえ、これ同級生ともやってみたら?」


柏先輩は言った。


「確かにコンクールの練習はすごく大切だけど、曲が違うだけですごくいいと思う。

私も由紀ちゃん誘ってみるから燿ちゃんもやってみようよ。」


由紀ちゃん、とはトランペットパートのパートリーダーだ。桜由紀先輩は柏先輩と同級生で、柏先輩よりずっとお喋りで明るい、正しくリーダーにふさわしいような先輩だった。

パート練習では厳しく引っ張ってくれるが、音程にはすごく厳しかった。

柏先輩と桜先輩は仲が悪いわけでは無かったけれど、二人話をしている姿はあまり見なかった。(元々柏先輩は大人しい先輩だった。)


私は基礎練習を終えていた同級生の佐藤唯に声をかけた。

唯はコンクールの曲ではファーストのアシスタントを吹いていた。

去年は一緒にコンクールのオーディションにパスをした。


「燿が誘ってくれるなんて嬉しいな。ちょっと前まで元気なかったじゃん。」


唯は私が渡辺先生に貰った二重奏をみて、「私最初に下のパートがいい」と言って吹いていた。


「燿、もっと自信持ちなよ!!燿は下手じゃないよ!!」


同級生のその言葉が、私に突然突き刺さった。

勝手に格差を感じていた私は、思わず涙が出てしまった。

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