第3話 真鍮のお喋りⅡ



新しい生活の場所に、僕はたどり着いた。

たくさんの楽器と過ごすのは、本当に久しぶりだ。

学校の楽器庫の匂いに懐かしさが込み上げてきた。


しかしブランクが心配だ。

僕は僕の力を出し切れるだろうか。


新しい相棒は、「貴田燿きだあかり」と言うんだそうだ。

名前くらい先に教えてくれてもよかっただろうと思うよ。

それから、吟の話していたブージーとも話をしたんだ。



***



「ブージーに会えるなんて、僕は光栄だよ。ベッソンには随分昔に会ったけど。」


楽器庫の中で、少し離れた場所から会話をした。

僕はアメリカのBACH(バック)の工房で作られたトランペットで、180ML37SPは近代ではスタンダードなモデルだ。

学生からプロの音楽家まで、幅広い世代で使われいる。

楽器を長く続けるならと選ぶ人も多い。

ブージーアンドホークスはイギリス生まれだ。

今はベッソンという名前に変わっているらしい。

ベッソンはコルネットやユーホニアムが有名だが、トランペットは今は製造されていないので、本当にたまに出会うくらいだった。


「そうね、私は年季の入ったブージーアンドホークスです。歳はもうわからないけど80年代の前半、イギリスからきました。

私はね、ここの学校の顧問の山田先生が若い時に使っていた楽器なんですよ。実の所、私が来るまではもっと荒んだ楽器庫だったんです。」


ブージーは、穏やかな口調で言った。


「公立中学校の吹奏楽部って、場所にもよるだろうけど、なかなか酷いもんですよ。楽器の扱いなんて酷くて敵いません。

私がこの学校に来た時、既に居たトランペット達はみんなへこみがあって、メッキも剥がれて可哀想でしたよ。

まともな楽器が少なくて、楽器が足りなくなったとき、私はこの部活の顧問の山田さんの元からここへ来ました。

山田さんは5年前にこの吹奏楽部へとやってきて、まともに活動していないこの吹奏楽を変えていったのですよ。

部活中にお菓子を食べたり、酷い生徒は合奏中に携帯電話を見たり。楽器をぶつけるのなんて当たり前でした。

近所の小学校の音楽クラブのほうが、上手だと思うくらいでしたよ。」


苦笑いをしながらも、ブージーが懐かしんでる様子がわかる。

ブージーも新しい世代のために持ち主の元をはなれてきたのだ。


「それからいろいろあって、楽器も新調してもらったり、コンクールで成績残していくうちに、私は楽器庫の奥へ行ったんです。

まあ、私は歳をとっていますからね。1番管にトリガーもないし、3番管にネジもありません。黒ずんでいましたからね。

でも、燿ちゃんの学年が来てから変わった。トランペット吹く人が、沢山入ったんですよ。楽器が足りなくなって、私はまた日の光を浴びたんです。

私は嬉しかった。また私の音を聞いて貰えると思って。それに燿ちゃんは私をピカピカに磨いて大切にしてくれた。トリガーが無くても、3番管にネジがなくても。

もどかしいのは一つ、私が歳をとったことです。そして長い年月たくさんの人に吹いてもらっていた。

私たちは金属ですからね。穴は空いていないけど、消耗はします。そろそろ心配です。だからなんとかならないか、吟さんにお願いしたんですよ。

そうしたら、まさか180モデルの貴方が。燿ちゃんより上の子たちと同等の、いや、それ以上の貴方にきていただけて嬉しいです。

燿ちゃんは、いい音してるんですよ。

まあ、大切にして貰って贔屓目かもしれませんけどね。

今思えば、私がまだ新品だった頃に上の音の吹き込みが多分足りなかったのかもしれないです。だから、燿ちゃんがどんなに吹き込んでも音が出づらいし、マウスピースの差し込み口も他よりも広いからマウスピースが少し埋もれちゃうんです。どうりで鳴りづらいわけです。」


僕はブージーの話を黙ってきいていた。

思い出や思入れが詰まっていたのだろう。

穏やかな口調からこぼれるのは、演奏者への心配だった。


「燿ちゃんがありがとうって言ってくれたんです。それに、綺麗にしてくれた。

貴方に燿ちゃんを頼みます。あの子はけして下手なんかじゃないんです。

部活の伝統が、コンクールの結果が、彼女を邪魔をしていると私は思います。」


僕は昔のことを思い出した。

吟が昔、コンクールに出た時のことを。


「僕が助けていくよ。きっと、ずっと音楽が好きでいられる子にする。」


離れた場所から僕らは話をしていたけれど、他の楽器たちは何も言わずにただ聞いていたようだった。


「吟が僕を選んだのは、僕が燿ちゃんと相性いいんじゃないかって考えてくれていたらしいんだよ。

僕の他にも家にいるのにさ。」

「スタンダードな楽器なら、他の子もそんなに不思議には思わないでしょう。トランペットならば、ヤマハかバックで揃える所が多いかと思います。」

「確かに。」

「でも私はね、本当は音色の違いがコンクールに影響するとはあまり思わないんですよ。吹奏楽の強い学校は楽器を同じメーカーや同じモデルで揃えます。ミュートなんかの小物もそろえるでしょう?

確かに吹奏感は違うかもしれないけど、何が吹きやすいか、響きやすいかって人によって違うはずなんです。」


はあ、とブージーは落ち込んだため息をした。


「どうして学校って順番を付けるんでしょうね。彼女が1stを吹き出したら、絶対に映えると思う。なんたって私のようなこのオンボロを1年吹ききって、しかもコンクールのオーディションだってパスしたのだから。」

「ここはコンクールに出るのにオーディションがあるんだ?強豪だね。」

「燿ちゃんが入った年、つまり去年は入部者が多くてコンクールの規定人数よりも部員が増えたんですよ。トランペットは全員で8人いましたが、コンクールに出れたのは5人でしたよ。3年生は1人、2年生2人、1年生2人でした。」

「概念って、やだね。僕らはそんなつもりで生きているわけじゃないのに。」

「強い学校を作るためには仕方ないけど、個人の音色が消えるのは怖いものですね。」


僕はふと目を閉じた。

僕は昔、吟を叱ったことを思い出した。それから不貞腐れた事も思い出した。


「彼女がいい音が出るように僕は頑張るよ。

それに吟だって考えがあるんだ。わざわざ寝ていた僕を起こしたんだもの。僕は吟と一緒にコンクールにも出たし、きっと上手くいくさ。」


楽器庫の中で、僕は眠りについた。

ブージーも眠りについた。

ブージーは、次に起こされる日までに錆びないように気をつけなくちゃね、と言ってそのまま喋らなかった。


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