第11話

 瞬時に紫苑の冷酷さを感じさせる切れ長の瞳で歩きながら一瞥され、脳内はひたすら大混乱。

 一瞬のことだったというのに、本能はすぐに脇目もふらず逃走しろと焦燥に駆られている一方、魂はもう手遅れだ諦めろと諦観しているという反応だったのだから。

 心が乱れに乱れた結果、瑠華がが揺らぎかけていた。

 が正常に機能しない場合、紫苑と瑠華を直に見てしまうと、皆が皆正気を完全に喪ってしまうのだ。

 それほどに瑠華も紫苑もあまりにも隔絶して綺麗すぎる。


 瑠華の様子を意にも介さない様に見えるのだが、その実誰の目にも明らかなほど紫苑の殺伐とした雰囲気と無意識の威圧が消え失せた。

 紫苑自身はそれにも気がつかず、視線を戻し何事も無かったように優雅な足取りで席を目指していたのだが……


「――あ、あの!!」


 勇気を振り絞ったのだと分かる、震えた鈴を振る様な可愛らしい声。

 一番前の瑠華の視線に入らないのだから、どうやら後ろの方の席の女子であるらしい。

 教室内に満ちる緊迫感はまだまだ継続中だった中、なけなしの胆力を全力投入したのが感じられる声。

 扉は前方の方にしかなく、紫苑はそこから入ってきた。

 声の方へと顔を向けてみると、色素が薄めの長めなボブの髪に、若干タレ気味の大きな瞳、保護欲を誘う小柄で愛らしい少女の立ち姿が目に入る。

 ギュッと小ぶりな胸の前で手を握っている様も、守ってあげたいと思わせるだろう。


「口を閉じて着席」


 霧虹が冷厳に言い渡した声はビリビリと教室に充満した。

 件の少女も名残惜しそうにしつつ着席し、教室の空気も緩んだ紫苑の圧からある程度開放され、霧虹の声に意識が向いたのを確認してから教官の彼は改めて口を開く。


「皆さん着席しましたね。私はこのクラスの担当教官に任命された宝森たかもり 霧虹むこう。こちらの女性は副教官の碧翅へきし 魅夜みや。こちらも副教官の紅蛇こうじゃ あかつき。我々三名がこれからこのクラスを教えていくことになります。今日は初日という事で甘めの対応をとりますが、場合によっては懲罰もありますので気をつけて下さい。努努皆さんが『超越者トランセンダー』の卵である事を忘れずに。入学式で学校長が仰った通り、この学校へと何をしに来たのかもしっかり心に刻み込んで下さいね。さて、何か我々に質問はありますか? 無ければ皆さんの自己紹介へと移りますが」


 厳しい表情をしていた霧虹の表情が緩み、整ってはいるけれど毒蜘蛛を思わせる捕食者の面が立ち消えて、銀髪で虹色の瞳の体格が良い危険を感じさせる美貌の主ではあるけれど、根っこは親しみやすい人物なのだと殆どのクラスメイトは誤認した。

 更に温度が無い蜘蛛を想起させる眼差しを緩和させる為だろう、薄いフレームの眼鏡も役だっている様だ。

 瑠華にしてみれば、寝落ちしていて分からない、入学式で学校長の白鴉がなにを言ったのか誰かに聞かなければと焦りに焦りはしていても、霧虹らしいとそれだけではあったけれど。


「はい!」

「私も!」

「は~い!!」

「おれも!」

「是非!!」

「はい!はい!はい!」


 緊張も解れてしまったのか途端に教室は騒がしくなる。

 年齢相応の有名人に対する好奇心も先だったのだろう。

 なにせこの世界において『超越者トランセンダー』は英雄であり、人気俳優やアイドル以上の人気があるのが普通だ。

 ましてやテレビやマスコミに露出していない強い『超越者トランセンダー』が存在すると前日に分かった面々の興奮や興味は激しかった。


「では、一番先に手を挙げた窓際の一番前」


 あえて名前を呼ばない対応の霧虹に大半の者は疑問を抱かない。

 指名された色素の薄いどこか天然で元気な印象の、身長は同年齢の平均より少し高いだろうが一見平凡にも見える整った容姿の少年も、それはそれは目をキラキラさせながら口を開いた。


「あの! 教官達の『階位』と『能力』あと『異名』! を教えて欲しいです!!」


 教室中にハッキリと聞こえる快活な声。

 少年に見覚えがある様なと首を傾げる瑠華だったが、喉に引っかかったように思い出せない。

 これを突き詰めるべきかと思考を更に回転させようと思った時、耳に馴染んだ霧虹の声で考えるのを思わず中断した。


「答えられる範囲は答えましょう。ですがこれで質問は締め切ります。何故か分かる者は?」


 たった一人すぐに挙手したのは――――瑠華には見知った相手。

 とても懐かしい彼女の心では身内認定されている存在。

 母方の再従兄妹はとこ

 同い年だけれど兄のように慕っている。

 ――――『地獄インフェルノ』以前だというのに、父によって引き離されてしまったのを昨日の様に思い出せるほど、身近で大切な大切な……家族。


「では、中央の一番後ろ」


 やはり席の場所だけで指名する霧虹に、一瞬表情が忌々しそうになった少年というより青年の風情の男は、立ち上がって聞き惚れる明瞭な声で答えた。


「『能力』『異名』『階位』の順で重要度が上がり機密になる事もあると寮の部屋にある資料で読みました。公的に記されている情報が全てではないとも。ですからこの質問が出た時点で締め切るつもりだったのでは。『超越者トランセンダー』にとってこれ以上の情報開示はありませんから」


 相変わらず傲慢で俺様を匂わせる、恐ろしささえ抱かせる整った容姿。

 幼い頃に別れたきりでもすぐに分かってしまうほど馴染んだ存在。

 あの頃より本当に身長が伸びた。

 身長の高い者が多いこのクラスでも高い方だろう。

 どうやら後ろの席に座っている者はとりわけ背が高い人物ばかりのようだった。

 当然の様に紫苑も窓際の一番後ろである。


「正解です。化生けしょう がいですね、憶えました」


 ニッコリと微笑んだ霧虹は、何かに気がついた複数へと視線を一瞬向けた後、何のてらいも無く答え始める。


「質問に答える前に言わなければならない事が出来ました。他の『超越者トランセンダー』に対する礼儀は幾つかありますが、最低でもこれから話す三つは脊髄反射的に叩き込んで下さい。まず一つ目。初対面の『超越者トランセンダー』『覚醒者アーカス』に『能力』を聞いてはいけません。『系統』ならば聞いても構いませんが、我々『超越者トランセンダー』にとっての肝であり、”汎用”ではなく各々で違う『能力』について、たいして親しくもない相手に訊ねるのは嫌われます。場合や相手によっては殺されますから注意してくださいね。殺されないまでも痛い目に遭ったり投獄される可能性も低くはありません。注意してし過ぎる位で丁度良いですよ。まだまだ『アーカス《門》』の名の通り、『超越者トランセンダー』になる”門”の入口に立っているだけです。これからは学ぶのが仕事ですからね。そして今日尤も覚えるべきは、気軽に『能力』について質問するのはと脳髄に叩き込む事。良いですね」


 まだ一つ目だというのに、皆が厳しい表情と声音になった霧虹に飲まれているのが伝わってくる。

超越者トランセンダー』になる資格を得たからこそ『覚醒者』と書いて”アーカス”の当て字を当てているのは、”架け橋”の意味と”門”の意味も込めているから。

 更に言えば、元々の語源であるラテン語での弓の意味を持つからこそ、真っ直ぐに『超越者トランセンダー』になって欲しいという願いも多大に含んでいるからだ。


 各自の』は『超越者トランセンダー』にとっての根幹であり、いざ対人戦になった際、『系統』は仕方がないにしても『能力』が知れ渡っているのは何かと厄介。

 対策を取られるのを防ぐ意味でも、最も機密とされるのが『特殊能力』だった。

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