君の味方でいたいだけの
まさひこ
君の味方でいたいだけの
「わたしさ、死にたいんだよね。」
僕の隣でサイダーをすすりながら、清水遥がつぶやく。黒くてきれいなロングヘアーに、皮膚にナイフを入れたような一重の瞼。ぱっと見清楚に見える彼女の口から、そんな言葉が放たれる。程よく晴れた、心地よい昼下がりになんて物騒なことを言ってくれるのだ。
「へえ、そうなんだ。」
僕は弁当のウインナーを頬張りながら適当に答える。正直なところ、彼女の私情にあまり興味はなかった。
「あれ、もしかして信じてない?」
心外そうに首をかしげると、少し拗ねたように今度はメロンパンに噛り付く。
「そりゃあね。死にたいなら栄養を取る必要なんてないだろ。」
清水が食べているメロンパンの袋には、「糖質50%オフ!!」と赤い文字での主張がしてある。きっと死にたい人は健康を気にしないだろう。というか、糖質を抑えた食べ物は果たして美味しいのだろうか。何気なく聞いてみると、「美味しいよ。でも普通のメロンパンの方がだいぶ美味しいかな。次は普通のを買うよ」とのことだった。
話をもとに戻すと、彼女は本当に死にたいらしい。
「死にたいって言ってもさ、わたしは苦しみたいわけじゃないんだよね。知ってる?餓死が一番つらいんだってよ。」
むすっとした顔でそういうと、食べ終わったメロンパンの袋を丁寧にたたみ始めた。
「それにさ、わたしが死にたいのは楽になりたいからなんだよ。それなのにわざわざ辛い方法を選ぶなんて馬鹿じゃない?」
確かに、それもそうだ。僕は妙に納得してしまったが、落ち着いて理性的になろうと努める。非常識な人間だと思われたくないのだ。友人に死にたいと相談されたら、なれる範囲で力になる。
「そう。確かにそうかもね。それならスクールカウンセラーのところに行くのをおすすめするよ。確か、明日あたりに来るらしい。」
年度の初めに、毎週木曜日に来るとの知らせがあった気がする。今日は水曜だ。
「ああ、あれね。わたし、ああいうの苦手なんだよね。『一人で抱え込まないで、周りの大人を頼ってください。あなたは一人じゃありません』ってやつ。相談できるなら死なないっての。」
まあ、言わんとしていることは分かる。だが、それは言わないお約束だ。
どうやら、彼女は大人に相談する気はないらしい。そうすると、僕がどうにかする以外に道はない。
僕があからさまに難しい顔をしていたのか、彼女は少し困ったように口を開いた。
「坂上、もしかして勘違いしてない? わたし、助けてほしいわけじゃないんだ。もう死ぬ準備はできているから、それを伝えようと思っただけ。」
仲良くしてくれているしね、とのことだ。
「どうやって死ぬの?」
思わず、口をついて言葉が出た。前言撤回。もしかしたら彼女に興味があるのかもしれない。僕は不思議な生き物だ。自分でも自分のことを分かれない。
そんな僕をよそに、清水は嬉しそうに笑った。
「飛び降りるんだ。学校の屋上から。」
不思議にも、僕は驚かなかった。へぇ、そうなんだとだけ口から出た。
「それでね、この話をしたのには訳があって、」
彼女は残っていたサイダーを一気に飲み干すと、くるりと隣にいた僕の顔を覗き込む。
「わたしが死ぬ現場、見ていてくれない?」
覗き込んでくる瞳がきれいで、澄んでいて、とても死にたい人の目には見えなかった。
だから、僕はそれを受け入れてしまった。
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清水に指定されたのは、その次の日だった。夜八時に学校の屋上で、とのことだ。
うちの親はそこまで厳しいわけでもなく、高校生になってからは遅くまで外出していても怒られなくなった。それでもなにか後ろめたさがあるのか、僕は母親に「学校に忘れ物をしたから鳥に行ってくる」と告げ、足早に家を出た。「気を付けてね」と母親の言葉に申し訳なさを感じてしまう。これから僕は、友達が自殺するのを見送るのだ。
「おまたせ。」
手元のスマホを見てみると、時計は八時七分を示していた。
「無断で学校に忍び込むなんて野蛮なことをしたのは初めてだったからな。」
軽く言い訳すると、清水は軽く微笑んだ。
「それくらいの遅刻、わたしたちの中では定石でしょ?」
そういえばそうだったねと返すと、彼女との約束には間に合ったことがなかったことに気づいた。彼女との待ち合わせはこれが最後なのに、なんだか申し訳ない。
「それに、そんなに急いでいるわけでもないしね。坂上と話せるのもこれで最後だし。ゆっくり最後のひと時を過ごしたいんだ。」
そういうと、彼女は後ろに隠していたコンビニの袋を掲げた。
「ゆっくり、晩御飯でもどう?」
袋の中身はメロンパンだった。糖質がオフされていない、“普通の”メロンパンだ。
「昨日、次は普通のを買うって言っちゃったからね。それに糖質オフのメロンパンが最後の晩餐なんて、なんか悲しいでしょ?」
それを言うなら、最後の晩餐がコンビニのパンというのも悲しい気がする。僕だったら、美味しいお肉料理を選ぶだろう。
メロンパンを齧りながら、僕たちは語り合った。最後のひと時だ。一分一秒を大切にしたい。それでも、なぜか悲しくはなかった。本当は、僕と彼女は友達ではないのかもしれない。
「ねえ、気になっていたことがあるんだけど。」
その中で、僕は彼女に聞きたいことがあった。興味本位だった。聞かなくても後悔はしないような、でも気になるようなことだった。
「清水はさ、飛び降りるの怖くないの?」
しょうもないことだが、とても気になっていた。
「全然。刺される方が怖いよ。」
「打ち所がよかったら死ねないよ?」
「ただ痛いだけだね。大怪我だね。」
「それでも怖くないんだ。」
「怖くないよ。これから生きていくことの方が怖い。だから死ぬんだ。」
少し早口のやり取りが進んだ。はたから見たら、口喧嘩か何かにしか見えないだろう。そんなやりとりだった。
少しの沈黙が続いた。沈黙の空間でも気まずくならない、僕たちはそんな関係だ。
そんな空間の中、先に口を開いたのは僕だった。
「もしかして清水、ジェットコースターとか平気な人?」
ちなみに僕は苦手な人だ。あのふわっとした感じがどうも好きになれない。
「平気どころか、どちらかといえば好きな人だね。あのひやひやする感じがたまんないんだよ。終わった後の助かった感もいいよね。」
“いいよね”と同意を求められても困る。だいたい、ジェットコースターを好きというのが人間としておかしいのだ。高いところから落とされて、恐怖心どころか快楽を感じるなんて生物として間違っている。
「それで? その質問にはどんな意図が?」
「別に? 飛び降りるのが怖くないならそういうタイプの人なのかなぁって。」
「ふふっ。確かにそうかもね。」
楽しそうに笑うと、清水は空を見上げた。今日の空は晴れていて、いつもよりも星がきれいに見えた。
「わたしね、自殺するって決めたとき、絶対学校の屋上から飛び降りるって決めたんだ。夜の学校で女子生徒が飛び降り自殺、これ結構なインパクトじゃない?」
隣に座る横顔が、いつになく美しく見えた。紺色の空に漆黒のロングヘアーはよく映える。
「自殺にインパクトって必要?」
「重要どころの騒ぎじゃないよ。一番大事かもしれない。」
そこまで言い切ると、僕の方を見て話を続ける。
「人の死って、案外すぐに忘れられちゃうんだよ。わたしがこんなに勇気を出したというのに! すぐに忘れられるなんて! ...悲しくない?」
「お前ふざけてるだろ。」
ふふっと笑うと小さな声でばれた?とつぶやく。
それからまた、沈黙が続いた。そうして、彼女との別れの時間がやってきたのだった。
ピピピピ...と無機質な機械音が響く。
「もう、時間だ。」
何も言わなくても、何の時間かはわかった。
「そっか。」
スマホは九時を指していた。
「坂上。今日は付き合ってくれてありがとう。おかげで未練なくあの世に行けそうだ。」
清水の長い髪が風になびかれる。月の光に照らされたその姿は、彼女の一生の終わりにふさわしいと思った。
「コンビニの袋、もらっとくよ。邪魔だろ? それに、僕がここにいたことがばれても困る。」
自殺の手助けは犯罪らしい。巻き込まれるのはごめんだ。こんな状況でも、僕は自分が可愛かった。
「そうだね。最後に坂上とメロンパンを食べられてよかった。」
「ほんと、メロンパン好きだな。」
「お墓ができたら供えてね。普通のやつ。」
「おう。任せといて。」
清水が微笑む。彼女につられて、僕の頬も緩んだ。
そんな僕の頬を、冷たい夜風が撫でる。
「それじゃあ、もう行くから。」
そうか、と思った。
「じゃあ、僕は帰るね。」
「うん。じゃあね。」
屋上の入り口の前に来たところで、僕は彼女の方に振り返った。
彼女はフェンスを乗り越えたところだった。
もう何も言うことはないと思っていたが、最後の最後に聞きたいことがあった。
この距離で清水に届くかはわからない。
それでも、僕は清水に向かって声を発した。
「また、会える?」
少しして、彼女は振り返った。
「会えるよ。また会える。」
「そうか。じゃあ、またね。」
最後の僕の言葉は届かなかっただろう。それでもよかった。
また会えるよ、の言葉が頭を駆け巡る。
僕は屋上の扉をあけた。それと同時に、ばさっっという音が聞こえた。清水のスカートが風になびかれた音だ。
清水遥は、夜の希望へ飛び去った。
___________________________________
それから僕は、少しだけ寄り道した。
万が一、僕がこの時間に学校にいたことが知られたら、それこそ僕は犯罪者だ。だから、偽造工作をすることにした。清水が期待していた、インパクトを壊したくないのもあった。
急いで教室に向かい、適当に数学の教科書を持ち去る。
ふと、清水の席に目をやると、そこにだけ月の光が当たっていた。窓際の最後列にあるその姿が、なんだかとてもいとおしく思えた。
「あら? 坂上さん?」
教室から出ると、僕は誰かに声をかけられた。担任の先生だ。
「どうしたの? もう九時よ。」
どうしたのと聞きたいのはこちらの方だった。もう九時だ。相変わらず教員はブラック企業らしい。
そんなことを思いながらも、僕は先生に向き直った。
「忘れ物しちゃって。これ、明日提出なんです。」
本当は、明日学校で終わらせる予定だった課題だ。
「そう。これからはちゃんと職員室に断ってからにしてね。締め出されたら大変でしょう?」
「それもそうですね。次から気を付けます。」
「あと、学校には制服で来ること。放課後でも、夜中でもね。」
「はい。わかりました。」
僕は制服が嫌いだ。
翌日。
清水の狙い通り、学校中は大騒ぎになった。自分の学校から自殺者が出たのだから当然だろう。それが自分のクラスの生徒だったらなおさらだ。学校の敷地内を警察が歩き回っているのはなんとも不気味だ。
僕はというと、先生に呼び出されてあれこれ問いただされた。清水さんとよく一緒にいたでしょう? とのことだった。僕は、何も知らないと答えた。きちんと偽造工作をしていたおかげで、彼女の最後までをともに過ごしていたことはばれなかった。今思い出したのだが、彼女が死にたかった理由をちゃんとは聞いていなかった。
こうして、一日目は話題になった清水の死だが、悲しいことに一週間もたてば話題にも上がらなくなった。清水の言っていたようになったのが、なぜかとても悔しかった。
だから僕がずっと覚えていよう。また会えると言った彼女を信じて、いつかその日が来るまで。
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この話には、余談がある。
清水が飛び降りる前、メロンパンを齧りながら僕たちはこんな話をしていた。
「ねぇ坂上、これ、もらってくれない?」
清水はそういうと右耳の耳たぶをいじり始めた。真っ黒の長い髪が邪魔をしている。
「はい、これ。」
彼女の手にはピアスが乗っていた。銀の台座に水色の飾りがついている、シンプルなつくりのものだった。
「僕、ピアス開けていないんだけど。」
僕はおしゃれにさほど興味がない。それに、耳とはいえ体に穴をあけるのは怖かった。
「開けてよ。わたしの形見だよ? 身に着けて持っていてよ。」
そして彼女はいたずらっ子のように笑った。
「それに、坂上がこれをつけるころには、みんなわたしのことは忘れてると思うから。」
「さすがにそれは早過ぎない?」
早くてもピアスをあけるのは明後日になりそうだ。いくら何でもそれは薄情ではないか...。
「だってさ、有名な芸能人でさえ一か月で忘れられちゃうんだよ? 一般人でなおかつ凡庸なわたしなんて...」
「逆だよ。」
彼女の言葉を遮るように、僕は口を開く。
「逆なんだよ。芸能人は自分から遠いから忘れられるんだ。清水が凡庸ならきっと忘れられない。」
少し強い僕の言葉に、清水は少し困ったような顔をして、それから微笑んだ。
「そっか。」
きれいな黒い髪が、夜風に揺れた。
そんなこんなで、僕はピアスをあけることにした。
近所のショッピングモールにある雑貨屋さんに行くと、予想通りピアッサーが売ってあった。
適当に一番安いやつを選ぶと、すぐに家に帰り鏡の前に立つ。
スマホの情報と説明書を交互に見比べながら、慎重に針を耳に合わせていく。痛みを誤魔化すために冷やした耳が痛い。
ばちん。
大きな音に驚き、反射で目をつぶってしまった。ゆっくり目をあけると、僕のの耳には小さな飾りがついていた。痛みはそんなになかった。
耳たぶの内側をのぞいてみると、算用数字の八のような形をした金具がついていた。八のまるとまるの交差するところに、飾りから伸びている棒が突き刺さっている。この八を外せば、今耳についている飾りを外すことができるのだろう。あとは清水のピアスに付け替えるだけだ。指先でつまんで引っ張ってみるが、うまく外れない。説明書に目を落とし、外し方についての記述があるか確認してみる。
『ピアスがついたら、一か月はそのままにしておいてください。ピアスホールが完成されます。』
ふと目に入った一文に、思わず笑みがこぼれてしまう。僕はこんなにもおしゃれに対する知識がなかったのだ。脳裏に清水の透き通った声が響く。「これをつけるころには、みんなわたしのことは忘れてると思うから。」彼女はそういった。
「そういうことか、やっとわかったよ。清水。」
視界がゆがんで、鼻の奥がつんと痛くなる。自分が泣いているということに気づくまで、そう長くはかからなかった。彼女と離れてから、初めて出た涙だった。
これは清水遥からの挑戦状だ。わたしの言ったことは正しかったでしょう? といいながら、ドヤ顔をキメる清水が容易に想像できた。
右手に乗っかる水色の無機質が温かい。
君が間違っているということを、僕が証明してやろう。
君の味方でいたいだけの まさひこ @masahiko_0524
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