頭上で回るは観覧車
錦魚葉椿
第1話
半年前、会社をクビになった。
正確に言えば派遣契約を打ち切られたので、職場を失った。
私が何年もやっていた仕事の三分の一を、数か月前大学をでたらしい正社員のお嬢様に引き継いだが、残りは誰にも引き継がなかった。
「特に必要のない仕事」だったらしい。
故郷に帰るフェリーの甲板から、何年も働いたこの街を眺めていた。
100万ドルを自称する電飾の街並みが遠く、遠くまで広がっている。
LEDが普及した頃から年々冬の電飾が派手になっている気がする。
ケヤキの葉っぱが落ちる頃、枝先までLEDの電飾コードが巻かれ冬に備える。
飲食店街の昼光色、ビジネス街の昼白色、ホテルの窓は昼光色だったり昼白色だったり、窓ごとに微妙に違って見える。白くつながるヘッドライト。赤く遠ざかるテールランプ。
街灯がまるでレースの縁取りのように埠頭の淵に均等に光り、黒い海に反対に映って長く伸びている。
埠頭の対岸の観覧車は、ゆっくりと回っている。
渦を巻いたり、放射状に点滅しながら、あるいは流星のように、リスが出たり、イルカが出たり、雪を降らせたり、桃色から紅色、緑、青、紫へ色移りしながら、やはり同じ速度でゆっくりと回り続けている。
歯車のように。
隣の幸せそうな家族が、その夜景を背景に自分たちをカメラに収めようと、きゃあきゃあ歓声を上げながら何度もスマホのシャッターを切る。
小学生のようなその女の子は両親に右だの左だの指示し、両親もめんどうくさそうなことをいいながら嬉しそうに右往左往している。ああ、そのスマホを奪って、ハンドボールの選手よろしく眼下に広がる重油のような海に叩き込んだらどんなにすっきりするだろう。
故郷に戻ることを母親に告げたとき、電話口で絶句していた。
世間という名の狭い親戚の皆様に、結婚もせず失業して出戻る娘をどう説明しようかとたぶんそれだけを悩んでいる。
私だって、駅から数分歩いたら3階建て以上の建物のない故郷で生きていける自信なんかない。たぶんまたどこかの街に流れて出ていくのだろう。
だが、とりあえず今、金がない。
30を過ぎてから3人とお付き合いをした。
「妻と別れたら君と結婚したい」という上司と、「40歳までお互い独りだったら結婚しよう」といった昔の同期と、「自分が30歳になったら結婚してください」といった15歳年下の新卒だ。
どうして愛をIF構文で語るのだろう。
たまに会ってご飯を食べるその数時間前後だけのパートタイム契約恋人。
愛の言葉のようでいて、わたってこれないように吊り橋を叩き落す男たち。
観覧車は風車の柄になって速度を速めてぐるぐる回っている。
15歳年下の彼氏の話を高校時代の友達にしたら、破戒僧かのように非難された。
彼女にとって「私の彼氏」は「我が子」と同世代で、「我が子がこんな年の女を連れてきたら」という想定になったようだ。
結婚しているかどうか、働いているかどうか、子供がいるかどうかで女は2の3乗でカテゴライズされる。この世に真実の愛はあると信じているのに、我々は断絶している。その溝は一神教なのにゾロアスター教とカトリックとイスラム教過激派ぐらいあるに違いない。
もう地声で語れる友達なんていないんだと思った。
観覧車は目の前で一瞬散ったように消え、また桃色に点灯し、時計の針のようなシルエットになった。トケイソウのようだ。
文字盤のように開いた十字架の花。
ふと、あの観覧車に乗らねばならない、と思った。
あの観覧車に乗って空虚だったこの街での暮らしに思い切りをつけてこの街を去ろう。それに相応しい儀式に違いない。
私は「重要な忘れ物をしたので」と船を降りた。船員は出発時刻を再確認し、必ずそれまでに戻ってきてくれと念押しをする。
ふんふんとうなずいて見せて、埠頭の向こう側に走る。
思ったよりも船は大きく、思ったよりも埠頭は広く、観覧車は遠かった。
観覧車は営業していなかった。
電飾のために回されていただけだった。
空っぽのまま。
息が切れて、観覧車の下の海辺のベンチに座っていたら、対岸のフェリーがゆっくりと動いて南下していった。ベンチに座っていた恋人たちは一組ずつ姿を消していった。
恋人っぽい3人に「金がない。家もない。泊めてくれ」とLINEを送る。既読になっても返事はどうせ来ない。スマホをベンチにおいて自販機でコーヒーを買い、祈るように組んだ両手で缶コーヒーを握る。
大丈夫。
大丈夫。
あと8時間もすれば朝が来る。
そう独りごちながらコーヒーに口を付けた。
・・・カフェオレ。
ああ、もうどこにもいけない。
頭上で回るは観覧車 錦魚葉椿 @BEL13542
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