追音 -鈴代神社-

「…いい加減にしてくれ…もう嫌だ……」


 チリン…


「っ!!!……くそ…なんなんだよこれ…なんで俺がこんな目に……」


 その音はどこまで逃げても追ってきた…今のでもう十二回目…俺に残された猶予はもうなくなってしまった…あと一度、たった一度の鈴のを聞いてしまったら俺は………


「なんでだよ…なんで俺だけなんだよ……」


 始まりはだった───


 チリン…


「ん?いま何か聞こえなかったか?」


「はあ?なに言ってんだお前」


「ははは、お前やっぱビビってんじゃね?」


 俺は中学時代からの腐れ縁で十年以上の仲である勇次と剛と共にを検証するために鈴代すずしろ神社に来ていた。

 鈴代神社は俺達の地元ではかなり有名な縁結びの神社なのだが、それはの顔であり、ここにはもうひとつの顔があった。

 鈴代神社には縁結びとは程遠い噂がある。


「ビビるわけねえだろうが。大体にしてあの噂自体が眉唾じゃねえか」


「でもそのわりには中二の時もその後もずっと実行しなかったじゃねえか。勇次と俺は高校時代にやったぜ?な、勇次」


「おう。やったやった」


「だから眉唾なんだよ。あの噂が本当ならお前らはもう死んでるはずだろ?なんで生きてんだよ?」


「それは…」


「…おい、着いたぞ。見ろよ、やっぱりまだあるぜ」


 剛が何か言おうとしたその時、勇次の声が目的地に着いた事を告げた。

 そこには鈴代神社に纏わる噂の元凶になった古井戸があった。


「本当にあったのか…」


「たりめえだろ?俺達は一度来たことあんだからよ」


 その古井戸は鈴代神社の敷地内の立ち入り禁止になっている林の中にあると言われていたが、それを確かめた人間は一人もいなかった。正確には確かめたと言った人間は一人もはいなかった。

 尤も、それは噂が真実で尚且つ古井戸の存在を確かめた人間がを実行したという前提に基づき、それをしたせいで誰も生き残っていないという話だ。

 噂によると古井戸の存在を確かめた人間は皆がそのある事を実行し、その日の内に死んだと言われている。ここにいる勇次と剛の二人を除いての話だが…

 その噂の内容と実行すると死んでしまうある事とは、『鈴代神社の林の中心には古井戸があり、その古井戸の中に縁結びの鈴を投げ入れると、投げ入れた者は』というものだ。

 この世との縁が切れるというのは恐らく死ぬという事だろう。

 噂に出てくる縁結びの鈴とは、鈴代神社においての御守りとして販売されている鈴の事で、この鈴を普段持ち歩いている携帯電話や家の鍵などに付けて持ち歩くと鈴の音が運命の人を呼んでくれるという御利益があるらしく、実際、俺の地元ではこの鈴の御利益を信じた人が良縁を結んだという話が絶えないほどに効果こうか覿面てきめんで地元民からの評判はすこぶるいい。ただ、それだけの評判でありながらこの鈴代神社の存在は地元民とその知り合い以外にはほとんど知られていない。

 それはここに祀られている神様が原因らしい。

 この鈴代神社の神様は所謂という存在らしく、とても気難しいと言われている。

 その気難しい神様は極度の人間嫌いで本来ならば神社に祀られている様な存在ではないが、一種のとして鈴代神社が創設されたと言われている。人間嫌いのためあまり多くの人が集まるのが嫌で、参拝者による人伝ひとづてはともかく、大っぴらに宣伝をするとそれをした者を祟るらしく、神主は宣伝行為や面白半分での参拝などを拒否している。

 そのため、訪れた者からの評判のわりに鈴代神社の知名度は低い。これも噂だが、何度か勝手に宣伝した奴がいたらしく、それを行った奴はことごとく切られてしまい、社会生活が困難になって神主に泣きついたらしい。簡単に言うと身内を含めた自分以外の全ての他人ひとと関わりを拒まれ、孤立無援や天涯孤独という状態になってしまったと言うことだ。尚、その泣きついた奴等は鈴代神社の神主の斡旋で神道に入り、鈴代神社と繋がりの深い他の神社で神主見習いや雑用として暫く面倒を見てもらったが、皆が重度の人間不信となっていたため斡旋された神社から消えて音信不通となってしまったらしい。

 この御利益も祟りも効果覿面な気難しい神様はを司ると言われている。音とはつまりだ。音を信じると書いて音信おとずれと読む言葉があり、読み方は変わるが音信おとずれが途絶えた者を音信おんしん不通ふつうと言ったりする事から、この国では音と縁はちかしいものとして伝わっている。

 また、音信おとずれとはおとずれの事でもあると記述されている物もあるので、音が縁というのはあながち間違っていないのかも知れない。

 だが、俺からすれば鈴代神社の全てが眉唾物と思えてならない。なにしろ証拠となるものが何一つとして残っていないのだから信じようがない。勿論、御利益があった人が御礼参りに納めた鈴は相当な数が残されているが、祟られて不利益を被ったという人間は一人も残っていない。

 皆が死んだり音信不通になっていると言われているが、そもそもそれらの人物が実在していたかどうかを知るのは神主しかいないため証明が出来ないし、神主がその辺りの事について一切話さないのも怪しいと思わざるを得ない。

 ただ、それらの事についての真偽はともかくとして、俺の目の前にある古井戸の存在が不気味に思えたのは確かだった。なぜならその古井戸はそもそも使用する目的で掘った物とは思えないからだ。

 古井戸がある林は鈴代神社の敷地の中心部にあり、その林を囲む様にして堀があるが、その堀を渡るための架け橋などは一切存在していない。要するに通常は誰も立ち入る事が出来ない様になっている。

 中心部に井戸、それを囲む様にして林と堀、その外側に神社としての施設があるという作り自体が明らかに異常おかしい。

 俺が祖母から聞いた話によると、鈴代神社は祖母が子供の頃には既にその作りであり、祖母の祖母、つまり俺の高祖母が子供の頃から変わっていないと言っていた。

 本来ならば井戸は人が使うために掘る物であり、出来た後には人を寄せ付ける物だ。それに対して、林はともかく、林の外側にある堀は人を寄せ付けないために掘る物であり、囲っている堀は井戸を使わせないために掘ったとしか思えない。

 人を寄せ付ける物の周囲に人を寄せ付けないための物があるという矛盾が、少なくとも百年以上前から変わらずに存在している。

 その矛盾が俺に目の前の古井戸が不気味な物であると思わせていた。


「…どうする翔、本当にやるのか?」


 勇次が俺に訊いてきた。その声は少し震えていた気がした。


「………当たり前だろ。なんのためにこんな真夜中に忍び込んだと思ってんだ?それに今やらなきゃ次の橋渡しの日は三年後だ」


 鈴代神社には三年一度だけ橋渡しの日というものがある。橋渡しの日とはその名の通り堀の先にある林に橋を渡す日だ。

 その橋は古井戸がある林の木を加工して作られた物で、毎回橋渡しの日には古井戸がある林の木を十三本だけ切り、その内の一本のみを御礼参りの際の返納用の箱として加工し、その他の十二本は社の中で保管される。そして、次の橋渡しの日の十三日前に返納用の箱を解体し、それを含めた十三本分の木材を使用してその年の橋を作る。尚、新しい返納用の箱は橋渡しの日の翌日の午後一時丁度に設置されるため、三年に一度の橋渡しが行われる時期のみ凡そ十三日間、鈴代神社では御礼参りが出来なくなる。

 作られた橋は橋渡しの日の午前一時丁度に設置されるが、その際に橋は固定されずに板を置くように乗っけているだけの状態になっている。設置後、午後一時までは神主を含めたあらゆる人間が鈴代神社の敷地内に立ち入る事を禁じられ、その半日間、鈴代神社の敷地内は完全に無人となる。

 堀の幅は何れの場所も十三尺、堀の深さは湧き水により枯れる事のない水面まで十三尺、水の深さもまた十三尺であると言われている。

 古井戸がある場所へと渡るには橋を使わずとも四メートル以上の走り幅跳びが出来れば可能だが、古井戸がある場所は草木が生い茂っているため助走が出来ず、戻る時には立ち幅跳びで四メートルを跳ばなければならない。

 その為、橋渡しの日以外には神社関係者の目を盗みつつ四メートルの堀を渡るための何かを持ち込んで設置しなくてはならず、橋渡しの日以外に渡るのは難しい。尚、堀の壁は水面から逆すり鉢状となっていて、じ登る際には背中を地面に向けるほどではないが逆さまに近い状態になるため、一度堀に落ちたら一般人が自力で這い上がるのは困難な作りとなっている。この堀は人工的に作られた物らしいが水は湧き水であり、堀に水がある限りは古井戸の中もまた水が湧き続けていると言われている。

 この堀がある為、俺はずっと噂の検証をしようと思わなかった。

 しかし、ここに来る前に偶然駅前で三人が顔を会わせ、そのまま呑みに行った席で橋渡しの日の話題になり、その時に勇次と剛の二人が高校時代の橋渡しの日に共に彼女を連れてダブルデート代わりに肝試しとして噂の検証をしたとその時初めて聞かされた俺は、その場で思わず「この後やりにいくぞ」と言っていた。酔っていた勢いもあったが、当時の俺がまだ女と一度も付き合った事がなかったのを差し置いて、俺に内証でそんな事をしていたと聞かされたのが少し悔しく、尚且つ「お前にはやる度胸はないだろうけど」と前置きをされたのが気に入らなくて引くに引けなくなっていた。


「そうか…じゃあさっさとやっちゃえよ」


 剛が俺のポケットを見ながら言った。

 俺のポケットには真新しい縁結びの鈴があった。それは俺が自分で買った物ではなく、勤めている会社から支給された物だ。

 俺の勤めている会社では年に一度必ず縁結びの鈴を配っているが、橋渡しが行われる年は橋渡しの日の前日に臨時でもうひとつ支給される。

 神社や神様とかいう宗教的なオカルトを信じていない俺としては正直貰っても意味がない物だが、会社と社員という立場で行われる形式的な事としてそれを拒むわけにはいかず、尚且つ新しい鈴を受け取った際に古い鈴を会社に返すと有給が一日増えるため黙って従うのが利口だ。回収した古い鈴は会社として返納しているらしい。


「………おし!やってやるよ!来年の有給が一日減る分、今度何か奢れよ!」


 俺が縁結びの鈴を取り出して古井戸へ放り込もうとした時だった。


 チリン…


 鈴のがきこえた。


「まただ…」


 俺は思わず呟いていた。

 林の中を進み、古井戸を目前にした時も俺には鈴のがきこえていた。その音は俺が手にしている鈴の放つ音とは明らかに異なり、どこから聞こえてきたのかもわからなかった。


「どうした?やっぱやめんのか?」


「バカ!やるに決まってんだろ!おら!縁を切れるもんなら切ってみやがれ!」


 俺は手にした縁結びの鈴を古井戸に放り込んだ。

 ほんの少しの間をおいてポチャンという微かな音が古井戸の奥底から響き、縁結びの鈴が水の中に入った事がわかった。

 その直後だった。


 チリン…


「ジュウサンカイ……」


「アトジュウサンカイ……」


 勇次と剛が男とも女とも判断がつかない声でそう言っていた。


「おいどうした?つかあと十三回ってなんの事だよ?」


「キケケケケケケケケ!!!」


「イヒヒヒヒヒヒヒヒ!!!」


「なっ!?」


 勇次と剛は突然奇妙な笑い声を発しながら俺を置き去りにしてその場から走り去った。

 走り去る寸前に見た二人が共に無表情で虚ろな眼をしていたのが気になったが、俺はすぐに二人のこの行動が悪ふざけによるものだと悟った。オカルトを信じない俺を脅かして遊ぼうとしているのだ。

 そう思った俺はきびすを返すとゆっくり歩いて橋がある場所へと向かった。

 しかし、単なる悪ふざけでは通じない異常事態が俺に降りかかってきた。


「なんでだよ…ずっと歩いているのに橋どころか堀すら見つからねえ。まるで同じところを行ったり来たりしている様に何も変わらねえとか、こんなのあり得んのか……」


 俺がいくら探し歩いても橋も堀もなく、いつまでも林だけが続いていた。来た時は橋を渡ってから十分くらいで着いたのにも関わらず、俺はもう二十分は歩き続けている。

 そして、それはまた起きた。


 チリン…


 

 鈴のがきこえた瞬間になぜか俺の頭の中に数字が過った。

 それから俺は延々と歩き、見つからない出口を探すイカれた迷路の様な林の中を三時間近く探迷さまよっていた。

 その間にも鈴の音はきこえ続けた。

 途中で何度か時間を計ってみたが、鈴の音がきこえる間隔は必ずだった。


 チリン…


 今のが九回目…残り四回。

 時間に換算すれば凡そ一時間半未満しか残されていない。

 それを意識した瞬間ときだった。


「アトヨンカイ……」


 そう誰かに言われた気がした俺は鈴の音から逃げる様にして走り出した。

 しかし、どんなに走っても林の中を抜けることはなく、どんなに逃げても鈴の音は俺の後を追って来た。


 チリン…


 今のが十一回目…残り二回。

 四十三分四十六秒…得も言われぬ不安感が俺の頭の中を支配した。

 どんなに進んでも戻っても林を抜けることが出来ないという事実と、どこまでも追ってくる鈴のが俺に恐怖を与え、恐怖から逃れたくて俺は無理矢理怒りを露にした。


「くそ!ふざけんな!なんだってんだよ!なにがしてえんだよ!くそ!くそ!くそ!」


 俺が見せたその怒りは本能から溢れ出た感情ではなく、恐怖を誤魔化して忘れんがための怒りであり、虚勢だった。そんな俺の虚勢は長くは続かなかった。

 虚勢を張った分、その反動は大きく、俺はついに林の中を進む足を止め、その場に立ち尽くした。

 そして、ある事を思い付いた。


「そうだ、古井戸に戻ってみよう……」


 そう呟いた時には既に走っていた。

 長時間探迷さまよい続け、道もわからない筈なのに俺はなぜか古井戸がある方向がわかった。

 呼吸の乱れも身体からだの疲れも一切省みず、俺は死に物狂いで走り続けた。生い茂る木々が俺の衣服や肌を裂いたが、それすらも俺には些末な事であり、ただひたすらに古井戸に向けて走った。

 そして…


「……なんでだよ…!!?」


 古井戸のあった場所へとたどり着いた俺の目に飛び込んできたのは信じたくない光景だった。


「なんでなんだよ……くそ……」


 俺は呟きながら膝から崩れる様にして地面へと座り込んだ。

 そこにいけば何かあるかもしれない…この状況を打破出来るかもしれない…そんな藁にもすがる様な気持ち、淡い希望を抱いてたどり着いたその場所に

 そこには確かに古井戸があった筈なのにも関わらず、俺の目の前に広がるその場所にはその形跡すらなく、ただ平坦な地面だけがあった。

 その平坦な地面は水ではない何かで濡れているらしく、闇の中でもわかる程のどす黒い染みがついていた。

 俺はその異様な程の黒さの染みの原因がなんなのか確かめるため、地面に座り込んだ状態から這うようにして恐る恐るその場所へ近づき、染みが出来ている地面を触ってみた。


「なんだよこれ…この臭い…まさか……血、なのか…!?」


 地面はほんの少し滑りを帯びていて、そこに触れた手には微かに生臭さがこびりついていた。


「…いい加減にしてくれ…もう嫌だ……」


 チリン…


「っ!!!……くそ…なんなんだよこれ…なんで俺がこんな目に……」


 その音はどこまで逃げても追ってきた…今のでもう十二回目…俺に残された猶予はもうなくなってしまった…あと一度、たった一度の鈴のを聞いてしまったら俺は………


「なんでだよ…なんで俺だけなんだよ……どうすればいいんだよ…俺はどうなっちゃうんだよ……」


 残り一回。

 千三百十三秒を切った…

 最後の時間を意識した俺はという事について考えた。だが、どんなに考えてもその結論こたえ以外には浮かばなかった。


「いやだ…死にたくない…いやだ…死ぬのはいやだ…助けて…誰か助けて………」


 迫り来る最後の鈴のを前に、俺は見知らぬ誰かや一度も信じたことのない神様に助けを求めた。

 懇願するように手を合わせて祈ったが、その行為にはなんの意味もなかった。

 祈っている時、不意に残り時間が頭に浮かんだ。

 百三十秒…

 凡そ二分しか残されていない中でも右腕に着けていた腕時計は頑なに時を刻み続けていた。秒針が動く度に微かに聞こえるカチカチという針の音が俺に天啓にも似た閃きを与えた。だが、その閃きを実行する勇気が俺にはなかった。

 そして時が経ち、再び俺の頭の中に残り時間が浮かんだ。

 十三秒…

 それが浮かんだ瞬間、俺はその辺にある木の枝を両手に一本ずつ持ち、一気に耳の奥へと突き刺した。


 ズリュ…


 痛みと共に嫌な音が頭の中に響いた。

 その音が響いた瞬間、俺の耳は周囲の音を捉える事をやめた。

 木の枝で鼓膜を突き破った事で俺の頭の中から音が消えた。

 四秒…

 三秒…

 俺の頭の中には相変わらず残り時間が浮かんでいたが、音が消えた安心感が俺を包んでいた。

 そして、残り時間がなくなった。


 チリン…


 鈴のがきこえた。

 それは、俺の頭の中で響いていた。

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