十三年後の可能性 ~ロマンセラー~(後篇)

 私がバザーで買った古びた機械は『十三年後にこうなっている可能性がある』未来の自分を映し出すという、普通に考えると絶対にあり得ない機械だった。しかし、私には少なくともそれが絶対にあり得ないとは言い切れなかった。

 なぜなら、その機械が映し出した私の母親に似ている女性は、私の個人情報を全て網羅していて、尚且つ過去に起きた私の経験まで知っていたからだった。

 こんな意味不明な機械の事は誰にも言えるわけがなく、親友には不良品だけど昭和レトロ風の飾りとして置いておくと伝え、私はその機械を毎日のように起動し、段々とその機械が本物であると認識していった。

 そして、この機械を手にしてから三ヶ月ほどが経ったある日の事だった。


 ヂリリリリリ!!!


 土曜日の午前二時過ぎ、一時間ほど前まで親友と居酒屋で呑んでいた私が帰宅したその瞬間、急に激しい鈴の音がした。

 私がまだ機械を起動していないのにも関わらず、その激しい鈴の音は鳴り響いていた。

 こんなことは初めてだった。

 激しい鈴の音は近所にも聴こえるほどの大きさであり、まるで火事を報せる非常ベルの様に鳴り響き、私に緊急事態を予感させた。

 その鈴の音で一瞬で酔いが醒めた私は慌てて機械を起動した。

 初日以来、私はいつでもこの機械を起動出来るように塩と水は常に満タンまで補充していた。塩と水をエネルギーとして動くこの機械は、一度満タンまで補充すると約三時間の起動が可能で、補充した分の塩と水は起動しない限り中身が勝手に減ることはなかったが、起動中はエネルギータンクとなる容器の内部が太陽よりも高い重力となるため、必然的に蓋を開けて追加で塩と水を補充することは不可能となり、連続三時間以上続けて使うことは出来なかった。尚且つ、一度起動すると電源を切った後も重力が元に戻るまでに一時間掛かるため、一度起動すると例え一分しか起動していなくても、再度起動するには最低一時間は間を開けなければならなかった。

 機械を起動して鈴のアイコンを押すと、画面の中には昨日までとは明らかに様子の異なる私がいた。

 画面の中にいる私は何か伝えたい事がある様な表情を浮かべ、憔悴し切っていた。

 私は一瞬で何か最悪な事態が起きたのだと悟った。

 他人の表情で他人の心境こころを推察するのは容易ではないが、目の前にいるのは十三年後に私がなるかもしれない姿をした私自身だ。

 年月により姿形は変わっても、私が私自身の表情からその心境こころをわからないわけがなかった。


 


 直感的にそう感じた。

 そして、私はある仮説が浮かんで画面の中にいる私自身と話をする前に家から飛び出していた。

 靴も履かずに飛び出した私は走って家から一番近い大通りを目指した。ここは真夜中でも早朝でも真っ昼間でも五分に一台はタクシーが通る道だった。

 大通りに着くと、私はタクシーを拾ってすぐに場所を指定した。行き先は同僚であり親友であるあの子の暮らすマンション。

 私は頭の中に浮かぶ嫌なイメージを消し去るように運転手に「緊急事態ですから急いでください」と言い続けた。

 焦るまいとする度に私は焦っていった。


「お金はここから取ってください!」


 目的地であるマンションに着くと、私は運賃としてタクシーの運転手に財布を渡してあの子の部屋がある八階へ急いだ。帰宅して着替えもしていなかった私のポケットには、呑みに行くときにのみ持ち歩く小さな財布が入っていたのが幸いした。

 私はエレベーターを使わず、階段を使うことにした。私にはエレベーターが十階から一階まで降りてくるのを待っている時間はなかった。

 本来、このマンションのエレベーターは午前零時から朝四時までは常に一階に降りているはずだった。しかし、私がマンションに着いた時、エレベーターは九階から十階へ昇っているところだった。

 この時、時刻は土曜日の午前三時過ぎだった。

 金曜日の夜から日曜日の朝までは、この国の多くの会社員にんげんにとっては金曜日へいじつから日曜日きゅうじつに移り変わる日だ。その始まりにして中間の土曜日の午前三時過ぎ、休日に入り始めた日のエレベーターは誰かが使っていた。

 階段で上がることを決めた時、エレベーターを使うのはそもそもの間違いだと私は気がついた。このマンションのエレベーターが常に一階に降りている時間帯にエレベーターを使用すると、指定した階に着くまで各階全てに停止する設定になっているため、八階まで上がるとなると一階から八階まで計六回も無駄な扉の開閉をさせられ、尚且つ、無駄な停止時間も六回あることになる。

 私にそんな無駄を過ごしている時間的な猶予はなかった。

 階段を上がり始める時、私の後ろでタクシーの運転手の声がした。運転手は何かを言いながら私の後を追い掛けて来ていたが、私は全く気にせずに運転手を置き去りにして階段を駆け上がった。運転手の声は三階を過ぎた辺りで聴こえなくなった。

 八階へたどり着いた私は廊下を走ってあの子の部屋まで行き、ドアノブを握って祈るようにしてそれを捻った。


 ガチッ…


 その扉は開かなかった。

 私の目の前の扉は施錠されていた。


 ドンドンドン!!

 ドンドンドンドン!!

 ドンドンドンドンドン!!


 私は息が上がって呼吸困難になりながらもあの子の名を叫びながら扉を叩いた。しかし、部屋の中からは何の反応もなかった。

 普段運動などとは縁がない私の身体からだは正直だった。筋肉は震え、息が上がり、心拍数が異常に高まっていた。それでも私は扉を叩き続け、声にならない声であの子の名を叫び続けた。

 段々と視界にもやがかかり、まるで真っ白い雪景色の中に立つ私を真っ黒い暗闇が迎えに来るように、私の意識はホワイトアウトとブラックアウトを繰り返していた。

 そして、扉を叩く音と共にヒュウヒュウという自分の呼吸音が私の耳に響いていた。

 それは、呼吸音ではなかった。声を出そうとしていた私の肺は突然の酷使に耐えられず声帯を震わせるのを拒み、ただ空気だけを出し入れしていた。その音だった。

 気がつくと私は多く人に囲まれていた。

 私があの子の部屋の前についてから、恐らく五分も経っていなかった。その短い間で周りの部屋の人をことごとく起こすほどに私は騒いでいたらしいことに気がついた。


 チリン…


 鈴の音がした。


 チリン…


 弱く心許こころもとない鈴の音だった。


 チリン…


 私は鈴の音がした方向を見た。

 そこにはタクシーの運転手が立っていた。


 チリン…


 鈴の音の正体は私の財布に付けていたストラップだった。

 その鈴の付いたストラップは、去年あの子と一緒に行った旅行の記念に買った物だった。


 チリン…


 風もないのに鈴が鳴った。

 運転手が動いたわけでもないのに鈴の音が響いた。

 その鈴の音で私は思い出した。


「かしてください!」


 これが声になっていたかどうかはわからなかった。

 私は自分の財布を運転手から借りると、財布の中のカードポケットの一つに指を差し込んだ。


 チャリ…


 爪の先に金属が触れた。

 私はその金属を取り出すと目の前の部屋のドアノブ付近に空いた複雑な構造の穴へそれを差し込んだ。

 穴は鍵穴であり、金属は合鍵だった。


 カチン…


 鍵は開いた。

 私は勢いよく扉を開け放った。


 ガチンッ…


 その音はしなかった。

 扉にチェーンは掛けられていなかった。


 ギィギィ…


 扉を開けた瞬間、嫌な音がした。

 暗闇に包まれる部屋の中から私の耳に届いたその音は、私の脳裏に嫌な光景を映し出した。


 ギィギィ…


 私は寝室へと走った。

 そして、私は寝室の扉を開けた。


 ギィギィ…


 薄暗い部屋の中、私の目の前には首を吊った親友の姿が飛び込んできた。

「誰か来て!!」、私は大声で叫んだつもりだった。しかし、その声は音として排出されていなかった。

「まだ間に合うかも知れない!!」、そう思って私は親友を助けようと足を踏み出したつもりだった。けど、身体からだからは全身の力が抜けて私は座り込んでいた。


 チリン…


 鈴の音がした。

 それは、薄暗い部屋の中から聞こえた。


 チリン…


 闇の中で鈴が鳴っていた。

 それは、私の斜め上にある親友の身体からだから聞こえた。


 チリン…

 チリン…


 鈴の音が二つ聞こえた。

 一つは目の前の闇で揺れる親友の身体からだから聞こえた。

 そして、もう一つは…


 チリン!


 その鈴の音と共に辺りが明るくなった。

 そして、タクシー運転手の声が響いた。

 タクシーの運転手が部屋の明かりでんきの点けたらしい。


「諦めるな!」


 チリン!


 声と重なって鈴の音が聞こえた。

 私はタクシー運転手と一緒に親友の首を締め付ける縄を解いた。

 親友の右手には私と行った旅行で買ったあのストラップが握られていた。


 あれから二ヶ月が経った───


 私の親友は運良く助かったが、殺人未遂という犯罪の被害者となった。

 あの日、親友は首吊り自殺をしたのではなかった。実はあの時、あの部屋には親友とは別のもう一人の人物がいた。

 その人物とは、親友にストーカー行為を繰り返していた同じ会社の営業課の男性社員だった。

 その男性社員はあの日、私と呑んだ後の親友を勝手に作った合鍵で入った部屋の中で待ち伏せて強引に交際を迫ったらしい。しかし、それは当然断られた。

 そして、断られて逆上したその男性社員は親友を自殺に見せかけて殺そうとした。元々腕力が強いその男性社員は親友をに吊るすことに成功し、親友の首に縄が食い込むのを確認して部屋から出ていこうとした。

 ………が、そのタイミングで私が親友の部屋の前へ着いたらしい。

 突然の訪問者に焦った男性社員は咄嗟にベランダへ身を隠し、そこから隣の部屋へ逃げようと試みたらしいが足を滑らせて八階から落下し、地面へと叩きつけられて死んだ。

 親友は、首に縄を巻かれて電気の笠に首を括られてから暫くの間、喉の肉に指を食い込ませて縄が首を締め付けるのを緩和していたらしい。

 しかし、その抵抗も私がドアを叩く直前で力尽き、それから先は自重じじゅうにより完全に首を締め付けられていたらしい。

 ただ、診察した医者によるとそれは二分程度だったらしく、縊死いし未遂による後遺症は残らなかった。

 私はもっと長い間をドアの前にいたと思ったものの、実際は二分未満しかドアの前に居なかったらしい。

 何はともあれ親友は助かった。

 十三年後にそうなる可能性がある私から送られてきた無言のメッセージにより、私の親友に未来への可能性が生まれた。

 ところで、例の機械だけれど、もう私の手元にはない。

 それは、事件の四日後の水曜日のことだった。


 ヂリリリリ…


 その日、諸々の検査や精神的苦痛などから一週間の入院を余儀なくされた親友との面会時間を過ぎてから帰宅すると鈴の音がした。

 私が任意に電源を入れずに鈴の音が聞こえたのはそれが二度目だった。

 私は電源を入れて鈴のアイコンを押した。

 すると、画面の中に女の子が現れた。話を聞くとそれは私の娘だった。

 この機械の法則は全くわからない…

 年齢を知ることが出来ないものの、見た目から年齢がある程度はわかる。恐らく、十歳かそこらだろう。となると二年後か三年後には産むことになる。

 産むことになるはずの娘は映るのに、肝心の旦那が映らない。二十四年間一度も彼氏が出来た事がない私にたった数年で娘が出来るものかと疑いたくなる。

 ………が、どうやら私の未来の可能性が変わったことは間違いないらしい。

 娘が出来るのかはさておき、画面の中にいる私が変化前は一切話してくれなかった親友の話をしてくれた。無論、現在いまの私にとって未来となる話はしてくれないが、私の知る範囲での親友の話は共有出来る。親友の縊死未遂と助かった経緯についても、画面の中の私は当然知っていた。

 変化する前の私は恐らく、あの瞬間に親友が殺されるという経験をしていたのだろう。

 この機械が単に未来の自分を映す機械ではなく、という特性上、変化前の私はそれを現在の私に話すことが出来なかった。伝えれば画面の中の私は消えるのだから当然だ。それでもあの瞬間、何かを伝えようとしていたのだろう。

 そして、その想いが新たなを生んだ。存在しない可能性もある未来の私から確かに存在している現在の私へと想いを届けた。

 何かを言えるわけじゃない。何かを直接伝えられるわけじゃない。

 それでもあの瞬間とき、画面の中の私は何かを伝えようとした。

 それが、変化前の親友の命日であり死亡時刻直前であるあの時間に鳴った激しいの原因だった。

 あの時点の画面の中の私にとってはあの日の出来事はまだ確定していないであり、現在いまの私にとってはだった。それは可能性で結ばれた過去と未来に於いての不確定要素であり、伝えることは出来なかった。とは言え、自分自身の抱えている悲しき経験をその身に刻んでいる以上、その経験は決して忘れられない記憶だった。あの瞬間の画面の中の私はその記憶を現在の私にそれを伝えたかった。なんとしても伝えたかった。だからこそ親友の死亡時刻直前にからへ機械を起動させることが出来た。

 ただ、起動しただけで何かを出来るわけではなかった。それでも、変化前の画面の中にいた私は、画面の中にいる自分を見ているに賭けたのだ。

 現在いまここにいる私が、画面の中にいる十三年後の私の可能性の姿を見て異変を察知することに賭けたのだ。

 自分自身の経験、その可能性を変えられるのは自分自身だけだと信じ、機械の持つ現在から未来の可能性を映す機能を逆流させて、未来の可能性を現在に映した。

 それにより私の未来の可能性は変わり、親友の未来の可能性が生まれた。

 そして、事件から一ヶ月後の日曜日に私は例の機械を手放した。


「ふふふ、これを本当に手放すのかい?お嬢ちゃん」


「ん。まあ…なんかムカつくんで」


「ムカつく?」


「うん。ムカつく。こっちからは起動していないのに昼夜を問わずヂリヂリヂリヂリヂリヂリヂリヂリ…夜中もですよ?それで、何事かと思ったら娘の自慢話を聞かせてくるだけみたいな事がこの一ヶ月で何度あったか…まるで未来の自分自身にストーカーされているみたいな状態なんですよ」


「ふふふ、良いじゃないか。未来の可能性を知ることで良いこともあっただろう?」


「………ええ、まあ。物凄く良いことと結構良いことがありました」


「ほう?それは現在の君自身のことも含めてかい?」


「…はい。えっと…耳貸してください」


「ほう!親友を救い、さらにそれがきかっかけとなって人生初の彼氏が出来たか!それもその彼氏がタクシー運転手から同じ職場に転職してきたと!結構結構」


「声でかい!耳打ちした意味ないって!」


「いや、すまんすまん。しかし、本当に良いのか?持っていたらまた何かを変えられるかもしれんぞ?」


「良いんです。私はもう十分に変えられましたから」


「そうか、なら買取りさせてもらおう。三百円ってところだな」


「ちょっと!買った金額の十分の一って安くない!?…まあ別に良いですけどね。差額以上どころか数万倍でも代用出来ないものを貰ったし」


「ふふふ…さて、私はそろそろ次のお客さんの元へ行くよ。達者でな、お嬢ちゃん」


「あ!…待ってください」


「む…どうした?」


「次のお客さんにも…ロマンを売ってあげてくださいね!」


「ふっ、無論だ!私はロマンを売って生きる者。人呼んで、ロマンの伝道師ロマンセラーだ!」


「なにその決め台詞!ダッサ!!」


 こうして、私はバザーで出会った不思議な機械と自称ロマンセラーによって未来の可能性を変えた。

 私にはもう不思議な機械は必要ない。

 私の未来の可能性は私自身が持っている。

 それは、私の可能性の一つだったあの変化前の私が教えてくれた。

 の親友を助けることが出来た事は不思議な機械の力だけれど、その機械の力を使った私の未来の可能性と現在いまの私の可能性の力でもある。

 私は私自身の持つ可能性を忘れずに生きていく。


 チリン…

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