十三年振りの訪問者
カランカラン…
「いらっしゃい。どこでも好きなところに座ってよ。………あら?」
晴れた日の午後、店の扉が開いた事を告げる鈴の音に対して反射的に声をかけた店主の女は、自らの店の扉を
「確かに鈴の音がしたのだけれど…」
扉を見つめながら店主の女がポツリと呟いたその時だった。
「あの…」
店の中から声がした。
それはまるで、テレビの中で動くアニメのキャラクターの様な可愛らしい女の子の声だった。
その声を聴いた店主の女は扉を中心にして店内を見回したが、店内には自分以外に誰もいなかった。
「あのう、こっちです…」
再び声がした。
店主の女はやっと気がついた。その声は店主の女がいるカウンター内からは死角となっている、カウンターの向かい側の椅子の足下から聴こえていた。
店主の女は期待と緊張で
「あっ!?」
店主の女は思わず驚きの声を上げた。
その声はコーヒー豆の匂いが充満する店内の隅々まで響き渡った。
店主の女の覗き込んだその場所には、女の子向けの着せ替え人形の様な小さな女の子が立っていた。
「あ、あの…驚かせてごめんなさい。今、話しやすいところへ行きますから」
小さな女の子はそう言いながらお辞儀をすると、高く飛び上がってカウンターの上に着地した。
そして、小さな女の子は再び口を開いた。
「あの、私のこと覚えていますか?」
カランカラン…
小さな女の子の言葉を聞いた店主の女の頭の中には、店の扉が開いた事を告げる鈴の音が響いていた。
それは十三年前、父親を亡くした中学生の少女が体験した不思議な出来事───
「パパぁ…なんで死んじゃったのよ…ママみたいに勝手にいなくなったりしないって約束したのに……」
一週間前に父親を亡くした少女は、この日から丁度一年前に母親を失っていた。しかし、少女の母親は少女の父親のように死んだわけではなかった。
この日より丁度一年前、少女の母親は少女と少女の父親を置いて失踪した。
夫婦円満、子煩悩な父母、親孝行な娘、近所でも評判の家族だった。そんな幸せな家族に起きた母親の失踪事件に世間は一気に手のひらを返した。
それまでは理想の家族像として評判だったその家族は、その日からうしろ指を指される対象となった。
浮気、育児放棄、借金、根も葉もない噂が世間に流れた。そして、少女の母親の失踪事件は少女の父親による殺人疑惑へと立ち代わっていった。
来る日も来る日も他者から批難される日々に少女と少女の父親は疲弊していった。それでも二人は失踪した少女の母親の帰りを信じてそこから引っ越すことはなかった。
そして、少女の母親が失踪してから一年が経とうとしたある日、少女の父親は少女を独り残して自ら命を絶った。
少女の母親が失踪してから一年を迎える直前に少女の父親は自分で自分を殺した。
『パパはもう待ち疲れました
先にお母さんのところへ行きます』
店に置いてあるアンケート用紙の裏に書かれたそのたった二行の言葉が、少女の父親から少女へ送られた最期の言葉だった。
「パパ…ママ…私も行くからね……」
涙を流す少女は、一週間前に父親から送られた最期の言葉が書かれたその紙を強く握り締め、店内にあるガス栓からホースを外した。
ホースが外されたガス栓からは事故防止のためにわざと臭いを付けてあるガスが吹き出し、店内に充満していたコーヒー豆の匂いを掻き消していった。既に換気扇を消して窓を全て締め切っていた店内にガスが満ちるまで長い時間は掛からなかった。
「頭が痛い……気持ち悪い……嫌だ……死にたくない……パパ……ママ……」
少女は充満したガスにより苦しんでいた。眠るように死ねると聞いていたガスによる自分への殺人行為は、少女の想像していた苦しみよりも遥かに苦しく、遥かに恐ろしいものだった。
「いや……たすけ……て………」
意識を失いそうになった少女が誰ともなく助けを求めたその時だった。
カランカラン…
店の扉が開いた事を告げる鈴の音が響いた。
その瞬間、新鮮な空気が店内を駆け巡った。
ガスの臭いで満ちていた店内は一気に空と街の香りに包まれた。
その香りで少女は辛うじて意識を保ち、よろけながらガス栓を閉じた。
暫くすると少女はガス栓からホースを抜く前の状態へ戻った。
「だれ…誰なの…?」
少女は店内を見回したが、そこには誰もいなかった。
「誰なの?私を助けてくれたのは誰?ねえ?いるんでしょ?どこなの?」
少女は自分以外に誰もいない店内へ声を掛け続けた。
そして、数分間そうして声を掛け続けた少女はそれを見つけた。
「あっ!?」
見つけると同時にそれは声を上げた。可愛らしい女の子の声だった。
少女が見つけたそれは、まるでおとぎ話に出てくる妖精のような小さな女の子だった。
「あなた…あなたが扉を開けてくれたの?」
少女が声を掛けると小さな女の子は店内に置いてある植木鉢の裏へと隠れた。
少女はその小さな女の子を探そうとしたが、自分をガスで殺そうとした影響が出たのか意識が遠退いていった。
───それから十三年が経った。
少女は大人の女性となり、かつて自分を殺そうとした店を経営していた。
経営は決して順風満帆ではなかったが、手直しをしながら世間を見返してやろうと頑張っていた。どんなに辛くてもそこから引っ越すことはなかった。
「忘れるわけないじゃないの……いらっしゃい。私は十三年間、ずっとキミのことを待っていたのよ」
店主の女は優しく微笑みながらそう言うと、小さな女の子にぴったりのサイズのコーヒーカップを取り出した。
「…ありがとね、色々と。…キミ、コーヒー呑める?好きなの言って。何でも作るよ」
そう言った店主の女の視界は霞み、その声は微かに震えていた。
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