【更新無期停止】鈴の音がきこえる

貴音真

あの日の十三年後のあの日

 チリンチリン!


「おっさん!あぶねえよ!」


 歩道を歩いていたら中学生くらいの男の子に突然後ろからを鳴らされた。

 ここは歩道だ。歩行者優先であるべきだ。

 俺は少しだけ憤りを覚えて呼び止めて注意しようと思ったが、若い頃なんて皆こんな感じだと自分に言い聞かせて思い止まった。

 若い頃、皆が世界は自分中心に廻っていると思っている。…皆と言うのは語弊があるかも知れないが、少なくとも俺はある時までそう思っていた。


 中三の夏休み直前、俺の両親は自殺した。

 その理由は十三年が経った今でも全くわかっていない。

 俺の家は裕福で家族仲も良好で何もかも円満に思えた。

 しかし、俺の両親は俺と二つ年下の妹を残して二人だけで自殺した。

 意味がわからなかった。せめて一家心中にしてくれと思ったこともあった。

 俺と妹は両親を恨んだ。

 なぜ俺達を残して二人だけで死んじまったのかと葬式の前に両親の遺体に怒鳴った。


 あれから十三年が経ち、俺も妹も大人になった。

 俺は今年で二十八歳になる。妹は俺の二つ年下だから必然的に二十六歳だ。

 妹は去年結婚した。相手は妹より二つ年上だった。つまりは俺とだ。

 そいつのことは昔から知っている。所謂幼なじみというやつだ。

 幼なじみなのだから、当然、俺の両親の件も知っている。

 そいつはいいやつだ。いや、そいつだけではなくそいつの両親もいい人だった。

 俺の両親が自殺した時、俺の家族とは疎遠だった親戚が家に沢山詰め掛けてきた。財産目当てだった。

 その親戚達を黙らせてくれたのは妹の旦那となったそいつの両親だった。二人は役所と相談して俺と妹のことを色々と面倒を見てくれた。

 俺と妹が二人共に成人するまでは両親と暮らした家で不自由なく生きていけるように取り計らってくれた。


 チリンチリン!


 またベルを鳴らされた。

 今度は四十代くらいのおばさんだった。

 おばさんは優先順位など考えない。この国で一番偉いのは自分だと思っている。

 車道だろうが歩道だろうが二列三列になって並走し、歩行者優先である筈の歩道を我が物顔で走行し、歩道は安全だと信頼して歩く子供達や老人にまで威嚇するようにベルを鳴らす。


「ちょっとアンタ!退きなさいよ!邪魔よ!邪魔!」


 チリンチリンチリン!

 チリンチリンチリン!


 おばさんは怒鳴りながらベルを鳴らし続けていた。

 俺は退くつもりなど毛頭なかった。交通ルールに乗っ取って居直る覚悟だった。


「もー!ホントに邪魔!退けクズ!」


 一向に退こうとしない俺に対しておばさんは罵声を浴びせた。正直、ここまで言われるとは思っていなかった。

 俺は既に注意する気も失せていた。

 ただ、俺はどんなに威嚇されても絶対に退かないと心に決めていた。


 チリンチリンチリンチリン!

 チリンチリンチリンチリン!

 チリンチリンチリンチリン!

 チリンチリンチリンチリン!


「£§@$*&¢%☆▼↓⊆←▲〒※」


 おばさんは狂ったようにベルを鳴らし続け、何か喚き散らしていた。

 恐らく俺と同じ言語を使っていた筈だが、俺にはおばさんが何を言っているのかわからなくなっていた。

 俺の頭の中にはたった一つの想いだけがあった。


 退


 俺は意地になっていた。

 ここを退いてはならないと感じた。


 ジリリリリリリリリ!!!!!


 突然、おばさんの鳴らすベルの音が変化した。

 それは、目覚まし時計の音だった。


「お兄ちゃん……お兄ちゃん……」


 空から妹の声がした。

 酷く悲しそうな声だった。


 ジリリリリリリ!!!!!


 頭の中でまたベルの音がした。

 目覚まし時計の音だった。


 ジリリリ…


「お兄ちゃん起きてよ!!お兄ちゃん!!」


 ベルの音が止むと、目の前に中学生の頃の妹の姿があった。妹は泣いていた。

 顔中から涙を流しているのかと思うくらいの涙を流しながら泣いていた。

 こんなに泣いている妹を見るのは以来だった。


「…なんだ?どうした?お前、何を泣いているんだ?」


 俺は喚くように泣く妹を落ち着かせようとして精一杯冷静な態度で言った。

 普通、瞼を開けた瞬間に半狂乱になっている妹がそこにいたら頭が混乱すると思うが、俺は冷静だった。なぜなら俺はこの妹の姿を覚えていた。

 俺にとってこれは既に経験していたことだから冷静でいられた。

 そして、妹の口は俺の耳に、俺にとって聞き覚えのあるあの忌まわしき言葉を伝えようと口を開いた。


「お兄ちゃん!!お父さんとお母さんが死んじゃったよ!!お兄ちゃん!!」


 気がつくと俺はあの日にいた。

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