第06/11話 ファイト・オン・ザ・トラック➀
胡粉卯美は、スマートホンのディスプレイをタップし続けていた。
リトポンの左隣、数メートル離れた所を、マルーン平穏党のテクニカルが並走していた。牙玖が、「これでも食らえ!」と言い、ハンドルを、ぐるぐるぐる、と左へ回す。
フロントバンパーの左隅が、相手のボディの右側面に、ごつん、とぶつかった。車が、ぐらり、と揺れる。
しかしそれでも、卯美は、スマートホンを操作し続けた。左斜め後ろから、ごしゃあん、という、何かが破壊されるような音が聞こえてくる。
運転席で、牙玖が、「よっしゃあ!」と叫ぶのが、耳に入った。おそらく、さきほどのテクニカルをクラッシュさせることに成功したのだろう。
卯美は、スマートホンのディスプレイの中央部を、たっ、とタップした。それからしばらくの間、表示されている内容を眺めた。「ご主人さま」と言い、彼のほうに顔を向ける。「まずい事態が発生しています」
即座に、牙玖は返事をした。「なんだって?」
「さきほど、スマートホンから、チャコール市に設置されている防犯カメラをハッキングして、映像を確認してみたのですが……どうやら、この道路の先、現在位置から数キロ進んだ所に、マルーン平穏党の部隊がいて、バリケードで道を塞いでいるみたいです」
「マジかよ……」牙玖は、フロントウインドウに視線を遣ったまま、顔をこちらに寄せてきた。「映像、見せてもらえるか?」
卯美は、「はい」と返事をして、ディスプレイを彼のほうに向けた。
牙玖は、しばらくの間、ちらちら、と、スマートホンに視線を遣った。「うーん……高さ一メートルほどのコンクリートブロックを、道路上に並べているのか。頑丈そうで、体当たりしたとしても、撥ね飛ばすどころか、こっちがクラッシュしてしまうだろうなあ。当たり前だが、リトポンがすり抜けられそうな隙間もない。近くに、ジャンプ台として使えそうな物もなさそうだし……バリケードの設置してある地点自体を避けることはできないのか?」
「残念ながら。現在位置からこの場所までは一本道で、途中には、脇道どころか路地の類いすらありません。歩道沿いにある建物の中に突入したとしても、内部を通り抜けて他の道路に出られる可能性は低いでしょうし……後は、Uターンして、来た道を引き返し、十数分前に通過した交差点の所で右左折、という方法くらいでしょうか」
「それは、難しいなあ……」
牙玖は、バックミラーを見た。つられて卯美も、その鏡面に視線を遣る。
リトポンの数百メートル後方には、マルーン平穏党のテクニカル部隊がいて、未だに追いかけてきていた。屋根の上や助手席側ダッシュボードの上などに、ヘビーマシンガンだのロケットランチャーだのを、発射口をこちらに向けた状態で、据えつけてある。
今は、だいぶ距離が開いており、撃ったとしても当たりにくい、とでも考えているのか、それらの兵器を使ってはこない。しかし、もし、何かアクシデントでも発生して、卯美たちが彼らに追いつかれてしまえば、まさしく飛んで火にいる夏の虫で、集中砲火を浴びせてくることだろう。
「うーん……こうなったら、一か八か、近くの建物に突入して、中を通り抜けてみるか……?」牙玖は、きょろきょろ、と辺りを見回した。
左手にある歩道の向こう側には、高さ二メートルほどのブロック塀が立てられている。その上を、ばっ、と、軽トラックが飛び越えてきたかと思うと、リトポンの数十メートル手前に、どしいん、と着地した。間髪入れずに、左折し、こちらの車の前方を走り始める。
「クリムゾン」という名前の車種だ。日本を中心に販売されており、卯美がそこで暮らしていた頃は、町でよく見かけた。キャブオーバー型で、四角いキャビンの後ろに、平たい荷台をくっつけたような形をしている。ボディは白に塗装されており、後アオリには、マルーン平穏党のシンボルマークが描かれていた。運転席は、進行方向に対して右側に位置している。
「新手か……!」牙玖は、こんなときに来るなんて、とでも言いたげな顔をした。
クリムゾンの荷台の中央には、スカーレットが積んでいた物と同じロケットランチャーが据えられていた。それの後ろ側には、男性兵士が立っていた。
顔は、彫りが深く、全体的に整っている。色褪せたシャツを着て、擦り切れたジーパンを穿いていた。腰にはベルトポーチを撒いており、そこには、ナイフが数本、挿し込まれている。彼はランチャーのグリップを握っており、砲口をこちらに向けていた。
牙玖が、ハンドルを大きく右に切るのと、兵士が、トリガーをめいっぱい引くのとは、ほとんど同時だった。一秒後、一秒前までリトポンがいた地点に、弾が当たり、どかあん、と爆ぜた。
「く……!」牙玖は唸るように言った。「今、こいつに構ってる暇なんて、ねえってのに……!」
「いや──ご主人さま! これはチャンスです!」卯美はスマートホンをセンターコンソールに置いた。「あのテクニカルを、奪いましょう! それで、封鎖を突破するんです!」
「そりゃあ、あのロケットランチャーなら、バリケードを破壊できるだろうが……」牙玖は、ちら、と、一瞬だけこちらを見た。「どうやって奪うんだ? クラッシュさせるわけにはいかねえよな……マルーン平穏党の部隊が待機している所まで、運転していかないと」
「わたしがやります! わたしが、あのテクニカルに乗り込んで、乗員をやっつけます!」
「なるほどな」牙玖は、ゆっくりと二回、頷いた。「その手があったか。じゃあ、悪いが……頼めるか?」
「もちろんです!」卯美は、こくり、と頷いた。
その後二人は、クリムゾンを奪取した後の行動について、軽い打ち合わせをした。
「では、さっそくですが……もう少しだけ、テクニカルに近づいてもらって、よろしいですか?」
卯美はそう言いながら、助手席側にあるドアの取っ手近くに付いているボタン類を操作した。数秒後、ういいん、という音を立てながら、ウインドウのガラスが下り始めた。
「了解だ」
牙玖はアクセルペダルを、ぐん、と、底まで踏み込んで、リトポンを急加速させた。どんどん、クリムゾンとの距離を縮めていく。途中、兵士が、ロケットを撃ってきたので、ハンドルを大きく右に切り、避けた。
「このくらいで大丈夫です!」
卯美がそう言ったのを聴いて、牙玖は、リトポンをクリムゾンに近づけることをやめた。軽トラは、こちらの左斜め前あたり、数メートル離れた所を走っていた。兵士は、近くに置いてあるケースから取り出したロケットを、ランチャーに装填しているところだ。
「てりゃ!」
卯美はそう叫ぶと、ぶん、と、右手を、窓の外めがけて、思いきり振った。
ぱっ、と、手を開く。握られていたスタングレネードが、放物線を描いて、ひゅうう、と飛んでいった。さきほど、牙玖が、リトポンをクリムゾンに接近させていた時に、エプロンのポケットから取り出して、ピンを抜いておいた物だ。
兵士は、卯美が手榴弾を投げたことに、すぐに気づいたようだった。ロケットの装填を中断すると、掌を広げた右手を伸ばし、はたき落とそうとする。
しかし、なにしろ、走っている車の上で、兵士の体は、上下に大きく振動していた。彼の右手は、空を切る結果に終わった。スタングレネードが、荷台の中に落ち、ごん、という音を立てた。
直後、手榴弾が炸裂した。びかあああ、という強い閃光と、ぎいいいい、という激しい轟音が、数秒間、辺りに巻き散らされた。
卯美は、荷台から目を逸らし、左右の耳を両手で塞いでいた。牙玖は、視線をまっすぐ前方に向けて、首を右に傾け、左耳は左手で、右耳は右肩で塞いでいた。そのため二人は、スタングレネードの影響を、ほとんど受けずに済んだ。
数秒後、閃光と轟音がやんだ。手を耳から離しつつ、ばっ、と、助手席側のウインドウから、クリムゾンのほうを見る。
ぱっと見たところ、兵士の姿はなかった。もしかして、スタングレネードを食らった拍子に、転落でもしてくれたのでしょうか。卯美は一瞬、そう期待した。
しかし、それはすぐに裏切られた。よく確認すると、荷台の上で、彼が左半身を床につけた状態で、悶えているのがわかった。両目を押さえ、何事か呻いている。閃光・轟音自体は、食らってくれたようだ。
「今です! ご主人さま!」
「おうよ!」という牙玖の返事が、運転席から聞こえてきた。
直後、リトポンが急加速した。ぐんぐん、クリムゾンに近づいていく。あっという間に、テクニカルの右隣を、数十センチの間隔を空けて、並走し始めた。
卯美は、助手席側の窓枠の、左辺を左手で、右辺を右手で掴んだ。右足を上げると、がっ、と、下辺を踏みつける。スカートが大きく捲れ上がったが、気にしている場合ではなかった。
「えい!」
卯美はそんな声を出しながら、体を窓の外へと出しつつ、曲げていた右脚を、ぐん、と伸ばした。そのままの勢いで、ばっ、とジャンプする。
一瞬後、軽トラの荷台に、だっ、と着地して、立て膝をついた。すぐさま立ち上がり、左方を向く。
クリムゾンは、キャビンの背面に窓が付いている。卯美は、それの前にいた。ウインドウには、ガラスは嵌め込まれていない。
彼女の前には、例の兵士がいる。未だ、スタングレネードの被害から立ち直っていないらしく、顔を両手で押さえていた。
彼の後ろには、ロケットランチャーがあった。発射口は、車両の進行方向とは逆側に向けられていた。砲身は、軽く前傾した状態で、固定されている。
「ていっ!」
卯美は右足を、力の限り前へと振った。兵士の鳩尾を、どごっ、と蹴りつける。
彼は、わずかに宙に浮きながら、吹っ飛んだ。一秒後、床に着地する。それから、ごろごろ、と転がった後、ランチャーの三脚に、がん、とぶつかって、停止した。
「トドメです!」卯美は、だだっ、と、兵士めがけて駆けた。
それは、二歩で終わった。ばっ、と、左方へジャンプする。
直後、卯美の右隣を、ナイフが通り過ぎていった。それは、キャビンの背面に、がすっ、という音を立て、垂直に突き刺さった。
兵士が、ランチャーの三脚にぶつかって体が停止した直後に、投げてきたのだ。もう、スタングレネードの被害からは、かなり立ち直ったようだ。
立て膝をついている、かと思ったら、ばっ、と両脚を伸ばして、完全に立ち上がった。ベルトポーチから、もう一本、ナイフを取り出すと、右手に構える。
「なかなか、やりますね……!」
卯美はエプロンのポケットから、ばっ、と、ナックルダスターを二つ、取り出した。素早く、両手に装着する。
最初に行動を起こしたのは、彼女のほうだった。だだっ、と荷台を駆け、一気に距離を詰める。
しかし、最初に攻撃を仕掛けたのは、兵士のほうだった。ばっ、と、右手を右上から左下へ動かし、ナイフを振る。
卯美は、ぴた、と急停止すると、後ろに仰け反り、刃を躱した。ナックルダスターを嵌めた右手を、腕を引くことなく、現在位置から突き出す。
拳は、がす、と、兵士の左脇腹に命中した。しかし、何しろ、腕を引いていない。大したダメージを与えられていないことは、相手の反応を見るよりも前にわかっていた。
彼は、こき、と、右手首を捻ると、ナイフの先端をこちらに向けてきた。間髪入れずに、左下から前方へと、卯美の胸部めがけて、突き出してくる。
彼女は、左手を体の前面に移動させた。がき、という音が鳴る。ナックルダスターで、刃先を受け止めたのだ。
兵士は、ナイフを引いた。ぐずぐずしてはいられない。彼はすぐさま、再びそれを突き出して、こちらを刺そうとしてくるだろう。
もう一度、右手で殴りかかるか。いや。腕を引いてから殴っては、間に合わない。それよりも先に、ナイフが刺さるだろう。腕を引かずに殴っては、大したダメージを与えられず、殴った意味がない。どうすればいい。
簡単だ。殴らなければいい。
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