2
ベッドの上で恍惚に浸っているとシャワールームからはスプレー缶の金属音や化粧台の開閉音。淡々とした生活音に徐々に感覚が醒めてきた。
俺はヘッドボードに体重を預ける様に半身を起こす。精液の溜まったゴムが枕の脇にだらりと横たわっていた。俺はそれをベッド脇のゴミ箱に投げやりに放り込んだ。
「なんや…もう起きたんか?」
麻薙は上半身裸のままシャワールームからリビングに出てきた。ベッド脇に腰掛けると小さなドライヤーのスイッチを付け黒く長い髪を乾かし始める。
力なく虚空を見上げると壁掛けの時計の短針は既に深夜2時を差していた。
ドライヤーの騒音が消える、俺はふと視線を感じてそちらを見ると麻薙は俺の方をじっと眺めていた。
「なんやねんぼーっとして。まだ効いとるんか?」
俺はいや…と力なく答える。会話すら億劫だった。
明日は仕事だ。もうすぐ、倦怠感の後に憂鬱の波がやってくる。
そうなったら今度はカバンの中に忍ばせてある安定剤の出番だった。
頭の上に麻薙の大きな手の平が置かれた。
「もう今夜はそのまま寝たらええ、麻薙兄さんが大目に見たる」
誰が兄さんだよ…。
俺はその一言に応える気力もなく、んんとだけ唸ってそのままベッドのヘッドボードからズルズルと上半身を崩落させてまたベッドに潜った。
麻薙はそんな俺を赤子を見る様に覗き込んできた。面白がるような視線がすこし癪だったが結局眠気が勝った。
―おやすみ、ジャンキー
耳元で囁かれた声。
微睡みから深い眠りはあまりにも呆気なくやってきて俺の意識は夜闇へと攫われて行った。
・ ・ ・
朝方に俺はキッチンの水道水で安定剤を一錠飲み下すと家主に断りなく部屋を抜け出した。
まだ薄暗い雑居ビルの屋上で煙草に火をつける。時計を見るとまだ早朝の5時だった。
今日は早番だが出勤まではまだ時間がある。軽く風が吹いている。週末明けの憂鬱もほんの少しだけマシになる気がした。
―世界は今日も終わらない
クスリを自分で買う金もない。水道もとうに止まり、家賃は滞納し続けている。
クスリ代を稼ぐために身体を売っていた折、借金の弱みに付け込まれてチンピラの使い走りをさせられていた頃が一番のド底辺だった。
今は大分マシになった。クスリ欲しさにブローカー…つまりはあの麻薙に身体を売ればいいだけ。
俺は徐々に新宿の街の灰色を朝陽が彩るのを眺めている。
ああ、朝が始まる。それで今日も俺はなぜか生き延びている。
―世界は今日も終わらない
そんなことをうそぶきながら通知の鳴動に反応し、スマホをポケットから出すと、思わずスワイプする手が止まる。
メッセージ元は…そこにはもう二度と見たくはなかった名前が表示されていた。
ついこないだまで“得意先”だった男、
俺が過去に人を殺したことを知っている人間。
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