第42話 機械の温もり


 その部屋に入るやいなや、先生は今まで感じたことのない、本当に様々な感情が交じった渦中にいると思った。

「人の心の中」と言うべき部屋だった。


 部屋には背丈くらいのスーパーコンピューターが、ちょうど将棋倒しにならない間隔で、左右対称に十台ずつほど置かれてあり、正面には、大きくないモニター、きっと村塾で生徒達が見たであろうものと同じくらいのものが据え付けてあった。

コンピューターの横幅は、まるで石でできた詩人の記念碑のようで、その中に、一体どれくらいの人間の情報が入っているのかと、ふと先生は思った。

だがそれ以上に徐々に緊張が高まった。コンピューターからは、本当にごく小さな振動音が聞こえ、それは小動物のうなり声のようだと思ったのは、この部屋に充満しているものが、激しすぎる怒り、逆鱗とでも言うべきものであるとわかっていたからだった。


「おはようございます、ご気分はいかかですか? 」


怒っているとわかっている人間に、先生は穏やかに言った。

この万国共通のような挨拶の言葉を、先生は部屋の主の母国語で言ったので、がらりと、一瞬雰囲気は穏やかなになった気がした。が、鎮めることなど出来はしないことを、了解の上だった。


「君が・・・私を起こしてくれと頼んだそうだな」

年配の男性の声がした。

「はい・・・ご存命であるかどうかまでは、私は知ることは出来ませんでしたので」

「存命・・・私は「消去してくれ」とあれほど頼んだのに・・・」

彼も怒りの矛先を先生に向けるのは正当ではないとわかっている。

研究に協力した上に、約束を反故にされたのだから、こう思うのは当然だ。


「言ったはずなのだがな・・・私を残せば、大変なことになると。

この世界のどこを壊せば瓦解するか、そのことを考える頭脳が無いわけではない。

そういうことに面白みを感じなかったからしなかった。

だが

「完全消去しなかった代償」にやって見てもよいと思っている、

今は」


 その言葉を聞いて、先生は何故か穏やかに微笑んだ。レオナルド・ダ・ヴィンチと同程度と評価された人間が、「悪の権化になる」と言ってわけであるが、このことに全く動じはしなかった。そして


「まずは日本人としてあなたにお礼を申し上げます。あなたは私の国で、本当に多くの子供達を救ってくださった、彼らはみな元気にしています」

「ああ・・・・それは良かった。そういえば男の子・・・雨の日に出会った男の子はどうなったかな」

「緑ですね、今はとても元気です、頭も回る子です」

「その前に会った、小学生のあの女の子は・・・優しすぎて心配だったが・・・・」

「マミです、みんなにママ子と呼ばれていますよ、ママゴトの延長のようなものでしょうが」

「いやいや、それが大事だ、模倣からの創造も重要だ」

とてもうれしそうな声がするとともに、部屋の空気が変わった。彼の心は今、南の島のカクテルのような色の海へと変化していた。彼の生前残したもの、そして死後、人のためにとやったことも、未来へと続く大きな成果なのだ。

しかし、この平和な状態を、先生は、ノアの箱舟の時のような嵐に変える決心を既にしていた。


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