協力

 ピンポーン、と来客の存在を告げる音でひばりは小説の世界から現実の世界へと戻る。青葉の滝の水音でわずかの幸福と思案を受託したひばりは、言語からの情報で脳内に映像を作り上げていた。しかしそれもチープな音により崩壊し、ひばりはため息をついた。


 気怠い身体を立たせて、ひばりは扉の前に立った。


「どなた?」

「俺だ」


 ひばりはのぞき穴から来客を確認し、扉を開けた。


「何?」


 腕を組み、壁に寄りかかりながらひばりは苛立ちをあからさまに表情に出しながら言った。


「話がある」


 ひばりはまたため息をつくと、中に入るよう顎で示した。


「すまん」


 そう言って井上はひばりの家に上がる。


「珍しく一人なんだな」


 井上は馴れ馴れしくひばりにそんな口を聞いていた。


「一人の時間を満喫してるところにゴミが入り込んできたのよ。さっさと要件を話して」


 リビングの窓際にひばりは腰を下ろす。辛辣な言葉で井上は自分の立場を再認識し、ひばりの鋭い眼差しにたじろいだ。


「すまん」


 井上はリビングに座る。


「実は、早川の母親が家出して俺のところに転がり込んできたんだ」

「へぇ」


 ひばりは煙草を咥え、ライターで煙草に火をつける。


「あいつが家にいると俺の心は一生休まらない、だから早く家に帰したいんだがあいつはひばりを探そうと躍起になってるんだ」


 灰色の煙を吐いて、ひばりは頭を掻いた。


「それで?」

「俺は早川の父親が早川を殺したことにしようと思っていたんだ」


 ひばりは井上の話には興味なさげに、煙草を挟める自分の指をじっと見ていた。


「それで?」

「ぜひ協力して欲しい」


 ひばりは右目を細め、井上の頭の先から足まで舐め回すように見た。


「それ、私になんか得があるわけ?」

「早川の遺書を早川の父親が書いたことにして早川の想い人であるひばりは、本当は早川の父の想い人だったってことにすれば、お前も恋愛感情を勝手に持たれた、ただの被害者になるってわけ」


 口をへの字にしたひばりを見て、意外にも好感が得られなかった、と井上は焦りを感じた。


「あんたはどうすんの?」

「そう、それが問題なんだ」


 井上はよくぞ聞いてくれた、と言わんばかりに身を乗り出し、ひばりはチッと舌打ちをした。


「俺が早川を自殺に追いやった真相は隠せるが、早川の母親は早川の父親の元に帰らなくなる。俺は早川の母親と縁を切りたいんだ。一体、どうすればいいんだ……」


 自分の額を手で抑える井上。


「牢屋にぶち込めば?」


 ひばりは何の躊躇もなく言った。


「へ?」

「うまく誘導して、早川の母親に早川の父親を殺すなり暴力するなりお金を横領するなりさせて牢屋にぶち込めばいいのよ」


 井上は生唾を飲み、ひばりをじっと見つめる。


「そうか、その手があったか」

「失敗しても私は知らないけどね」


 煙草の煙を天井に向かって吐き出すひばり。その様子は美しくはなかったが決して下品ではない。むしろ見ていたいほどの生々しい生の動きであった。


「とにかくひばりの耳に入れておいて欲しかったんだ」

「そう」

――用が済んだのならもう帰れ。


 そう言いたげなひばりの雰囲気を井上は察知した。千尋と生活することで身に着いた察する能力は、井上の恐怖心を更に強いものにする。


「そう。だから、よろしくな」


 井上はそう言うと立ち上がる。


「帰るの?」


 ひばりは井上を見上げ呟いた。


「長居したら迷惑だろ」


 ひばりは立ち上がり机の引き出しから一枚便箋を取り出す。それに何かを書いて井上に渡した。


「これ、私の電話番号。適当に男の名前でも付けて登録して。気安くは電話してこないでよね」

「ありがとう」


 井上はそれを受け取り礼を言った。そして、成功するかもしれないと言う根拠のない自信を身に着けた笑顔をひばりに見せると、そのまま井上はひばりの家を後にした。


「あの便箋と今日の便箋、同じなんだけど。彼、気が付くかしら」


 一人になった部屋の中、ひばりはポツリと呟いた。


「まぁ、無理よね」


 面白くなってきた、とひばりは井上に渡した便箋と同じ物を机から取り出す。


「私はどうしようかしら」


 ひばりが便箋をじっと見ているとブーッとスマホから通知音がなり、ひばりは便箋を机の上に投げるとスマホを手に取り、意味ありげな微笑を掲げた。

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