虫のいい話
10月10日、ひばりは手紙に記された場所へと向かった。噴水前ではある男が暗い顔をしてひばりを待っていた。
「随分可愛い顔になりましたね、先輩」
ひばりは自分を待っていた井上の元に歩きながら言った。井上は俯いていた顔を持ち上げてひばりを見る。
「どうとでも言ってくれ」
憔悴しきった井上は自分を嘲笑う。
「私の前に二度と現れないで、って約束しましたよね? 約束を破ったって言うことは――」
「ちょっと待ってくれ」
井上は焦ってひばりの両肩に触れた。
「そのことを話しに来たんだ......。俺の話を聞いてくれ」
「触らないでくれます?」
ひばりは井上から離れると両肩を手で払った。
「別に話なら聞きますけど」
ひばりはそう言って歩き出す。
「どこ行くんだ?」
「ここじゃできる話も出来ないでしょ? 私の家です」
振り返りただそれを伝えるとひばりはまた歩き出した。恐れながらも井上はひばりの後を追う。
「どうぞ」
ひばりは扉を上げて井上を玄関に通す。
「お、お邪魔します」
井上は警戒心を強めながらひばりの家の中に入る。バタンっとひばりが扉を閉めると、その物音にすら井上は驚き肩をすくめた。
「別に取って食おうなんて思っていませんから」
情けない井上を追い越しひばりはリビングへと向かう。井上もゆっくりリビングへと向かった。二人はリビングに着くと向かい合わせに座る。
「で? 話って?」
ひばりは煙草に火をつけながら聞いた。煙草なんて吸っていたのか、と思いつつ井上は自分の現状を事細かにひばりに説明した。
「つまり、早川の母親が私の元に来ても自分のことは伏せて欲しい。そういうことね?」
ひばりは頬杖をつき、煙を吐いて言った。井上は頷く。
「虫のいい話だとは分かっているんだ。でも早川の母親はやばい奴だ、真実が知られてしまったら」
「自分が殺される?」
井上の言葉に被せてひばりは言った。
「......そうだ」
「ふーん」
灰皿の上に煙草の灰を落とし、どこか楽しそうにひばりは笑った。
「別にいいんじゃない?」
「え?」
予想外のひばりの言葉に井上は感嘆の声を漏らす。
「そんな気違いな母親なら、あんたを殺して自分も死ぬんじゃない? 元々早川を殺したのもあんただし、当然の報いじゃない。それに心中なんてエロティックで最高じゃん」
井上は改めてひばりの異常さを認識した。
「そんなの、俺は望んでない!」
「望んでなくても引き寄せたのはあんたでしょ」
ひばりの言葉に井上は何も言えない。
「早川の母親が私のところに来たとしても、どうするかはその時の気分で決めるわ。」
「気分って……」
井上は落胆し、はぁとため息をついた。まさかひばりが千尋の元に届いた遺書を書いた張本人だとは井上は思わない。そんな想像力が欠落している井上をひばりは嘲笑した。
「どうしても、ダメか……?」
井上は自分のしつこさを自覚しながらも、ひばりに懇願する。ひばりは灰色の息を吐き自分の爪を見た。
「私は面白ければいいのよ。早川の母親に真実を伝えることが面白いと思えばそうするし、誰かに罪を着せる方が面白ければ――」
白くて細い自分の指をひばりはまじまじ見る。
「つまり、俺以外に痛めつけて面白い人間がいればいいんだな?」
ひばりは頷いた。
「あんたと体の関係を持った早川の母親に真実を伝えるより、面白い新たな真実を作れればいいってこと。まぁ、あんたにそんなこと出来ないと思うけど」
井上はひばりをギッと睨む。
「できるさ」
「あら、それは楽しみね」
ひばりは高らかに笑うと、煙草を灰皿に押し付け火を消した。立ち上がり井上は自分のカバンを背負い、ひばりの家から出て行く。
「ほんと、早く会いたいわね」
一人部屋の中でひばりは呟いた。
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