早く、見つけてね
夏の熱さを忘れるほどの涼しさが、夜に訪れる初秋の頃、ひばりの通う大学では、もう誰も早川の名を口に出す者はいなかった。ひばりは早川の生前と変わらず、猟奇的な遊びに夢中であった。
朝日が昇り明るくなり始めた早朝、ひばりは日課のランニングを終えてシャワーを浴びる。そしてそれも終えると、大学へ行く前の至福の一服を薄着で味わっていた。
窓際に腰かけ片手には太宰治の「トカトントン」という本を持ち、女学生にしては小粋な時をひばりは過ごしていた。煙草を咥え肺に芳醇な煙を充満させた後それを吐き出し、脳内に活字を垂れ流し好みの文字を探し出す。
日本語が好きなひばりは、本を読むとき内容を楽しむほかに自分好みの言葉を探すことも一興としていた。
『偶然、労働者のデモを見ました』
ひばりは煙草を持つ手の平に顎を乗せて頬杖をついた。
『絶望に似たものを感じていたのです』
気に入った言葉たちをぽつりぽつりと口にし始めるひばり。
「今の私と同じね」
フフフとひばりは笑みを零し、煙草の先を灰皿に押し当てる。
「『屍に沸いた蛆虫』私は屍?それとも?」
ひばりは本をパタリと閉じて机の上に置き、立ち上がり半乾きの髪の毛を置いてあったタオルで拭いた。後にドライヤーの風の音が聞こえて来るが5分もしないうちに止んだ。
「ねぇ、どっちだと思う?」
髪にさらさらとした渇きを持たせたひばりは、ドライヤーを仕舞いバスタオルを洗面所に置くと、リビングに戻るや否や整理された机の引き出しから便箋と封筒を取り出した。
机に向かう椅子に腰かけボールペンを筆箱から出して、うーんと考え込み上を見上げるひばり。そして何かを思い出したかのようにニコッと笑みを浮かべて、机の中からもう一枚封筒を取り出した。それはどうやら早川からの手紙らしく、ひばりは早川からの手紙を見ながら、用意していた便箋に何かを書いていく。
5分ほどひばりはペンを走らせた後、満足そうに自分の書いた文字を目で追いペンを置いた。
「拝啓
お久しぶりです、お母さん。お元気でしょうか。この手紙が届くころには僕はもうこの世にいないでしょう」
そこまで読んでひばりはフフっと笑った。ありきたりな遺言の文言に可笑しさを覚えたのだろう。
「早速ですが、僕が命を絶った理由をお伝えします。
僕はある女性に恋をしてしまいました。その女性は魔性の女でした。僕の物には決してなってくれないにも関わらず、僕の心ばかりを奪っていきます。
もしかしたら彼女に腕をもがれ足を切り落とされても僕は幸せだと感じてしまうかもしれないです。それほどまで僕はその人に夢中になり、そして彼女がほかの男の隣に居るだけで憎悪の炎を燃やし、倫理観という義務教育で培われた、この国で生きていく術をも放棄し、軽率に死を選ぶことが出来る価値観の人間になってしまいました。
どんなに美しい言葉でも、彼女の言葉でなければ僕は耳に入れたくもありません。
けれど彼女は一向に僕に振り向いてはくれず今も他の男の腕の中です。僕は、もう生きていたくありません。彼女の本性が分からなくて、彼女を知りたいのに彼女は僕を少しも自分の人生に踏み入れさせてくれないのです。そんなこの世は生き地獄。
最後にお願いがあるのですが、どうか僕の恋した女性を探し出し僕の骨を粉々にして彼女の美しい頭にかけてはくれませんか。どうかお願いします。最後にもう一度僕は彼女に触れたいのです。
彼女は僕と同じ歳でとても麗しい方です。
こんな息子に育て上げたお母さんに、最後のお願いです。どうか、お願い致します。
早川 聡」
ひばりは読み終えると便箋を封筒に仕舞い、宛名を書いて封を閉じた。
そして灰皿に乗った煙草をもう一度吸って、煙を手紙に吹きかける。
「早く、見つけてね」
わざとらしくリップ音を鳴らし、ひばりは手紙に一つキスを落とす。そしてそれを持って近くのポストへ向かった。
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