凛々しい横顔

「お待たせ。」


 そう言って電車に揺られるひばりの隣に腰かけたのはどうやらひばりの大学の先輩である井上春樹だった。


「お疲れ様です。」


 ひばりは井上の方へ膝を向けて挨拶する。


「学校の外でお疲れ様は言わないでよ。」


 苦笑した井上にすみません、と小声で謝るひばり。


「いいよ。それより今夜何食べたい?」

「この間先輩が言っていたバーに行ってみたいです。」


 井上は指をパチンと鳴らした。


「いいねぇ。でもそこではお腹いっぱいにならないぞ。」

「確かに。」


 口元を抑えてひばりはクスリと笑った。


「そのバーの近くに美味しいお店知っているから、そこに行こうか。」

「はい。」


 電車は新宿駅に着き、先輩は立ち上がった。


「少し歩くけどいい?」

「大丈夫です。」


 井上はひばりの手を取り、広い新宿駅を迷うことなく進んでいく。


「相変わらず、人がすごいですね。」

 

 手を繋いでいても人の波に流されてしまいそうなほど、人は新宿駅内に溢れかえっている。


「手、離しちゃだめだよ。滝川さん方向音痴でしょ?」

「え?なんで知っているんですか?」

 

 雑踏の中、ひばりは珍しく声を張る。


「去年のサークルでのキャンプの時、滝沢さんが一人だけ反対方向に進もうとしていたの、俺見ていたからね。」

「そうなんですか?止めてくださいよ~。」


 もうっ、と怒っている風に頬を膨らませるひばり。人ごみの中を抜け出しようやく二人は落ち着いて歩ける場所までたどり着いた。


「俺が止める前に田口が止めたからな。」

「田口・・・?」


 ひばりは白々しくとぼけた顔をして、右上を見つめた。さっきまで体を重ねていた男の名前を出されても動揺せず、知らないと白を切るひばりの演技力は度肝を抜くほどだ。


「同じサークルの仲間ぐらい覚えてやれよ。」


 未だにひばりは考えている振りをし続けていた。


「あの人ですかね?滅茶苦茶車酔いして大変そうだった人。」

「それは早川だな。」


 早川、そのフレーズにひばりは口角を上げずにはいられない。


「ああ、早川さん。」


 自分に熱烈なラブレターを送ってきたあの男。


「最近早川さん、お見掛けしませんね。」

 

 ひばりは早川の近況が周りにどう知れ渡っているのか、詮索し始めた。


「俺、この間会ったけど。だいぶやつれていたな。」

「彼、元々細い人でしたよね?」

「病的な雰囲気もあって、大丈夫か聞いたんだが薄ら笑いしか浮かべなくて。少し気味が悪かった。」


 歩きながらでも、ひばりは傾聴のスキルは高い。頷いたり表情をころころ変えたり、言葉に抑揚をつけたり。それが日常茶飯事であるが故に、今のひばりの様子をおかしいとは井上は思いもしない。


「そうですか……。早く良くなるといいのですが……。」

「そうだな。」

 

 雑踏を過ぎ去りもうはぐれる心配もないにも関わらず、井上はひばりの手を離さない。むしろひばりの手を握る力を、井上は強めた。


「他の男の話は、いいよ。」


 その言葉でひばりは井上から目を逸らした。井上の角度から見ればそのひばりの反応は羞恥による行動に見えた。しかしそれは男の性への食傷故の行動だった。


 自分の都合の言い様に物事を捉えること、これも又男の性であり負のスパイラルにひばりは陥る。


「そうですね。折角のデートですし。」


 ひばりはそう言いながら、街中に飾られているオブジェに見惚れ足を止めた。


「どうしたの?」


 ひばりの目線の先にあるオブジェを見ながら井上は問うた。


「あのオブジェ、なんか素敵。よかったら一緒に写真撮りません?」


 ひばりは意気揚々とその提案をした。


「おー。いいぞ。」


 井上はなんの抵抗もなく、ひばりとツーショット写真を撮った。


「今日の記念です。」


 ひばりは撮れた写真を嬉しそうに眺めた。そんなひばりを可愛らしく思ったのか井上はひばりの頭を数回撫でた後、またひばりの手を取り歩き出した。


「あ、そろそろ着くよ。」


 しばらく歩いた後、目的地を見つけ、井上は足早になる。そして井上は店のドアに触れるが、ひばりが自分の方を向いてはおらず何もないはずの一点を見つめていることに気が付いた。


「どうしたの?」


 井上のその声にひばりはハッとして、一瞬肩を震わせる。


「い、いえ。」


 井上の顔を見て安堵の表情を浮かべると、ひばりは井上の胸元に触れる。


「最近、ふとした時に誰かに見られている感覚があって。」


 怯えるひばりの肩に触れ、井上は辺りを見渡した。その顔の凛々しさは、男気たっぷりの勇ましい姿だった。井上は辺りに誰もいないことを確認すると優しい笑顔を浮かべてひばりの顔を覗き込む。


「大丈夫、一度店の中に入ろう。」


 井上はひばりを誘導し、二人は店の中に入って行った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る