第29話 夏祭り(心寝)
金魚すくいか。
やるの、何年ぶりだろうか。と、普通にやる気だった僕の隣で元気にポイを要求するのはお忍びアイドル心寝だ。どれ、まずはお手並み拝見っと。
「見ててね、田中くん! えいっ!」
と、勢いがいいのは結構なのだが、良すぎて水面が割れ水飛沫が心寝を見事に濡らしたわけで。
「やだぁ、びしょびしょだよ〜」
「馬鹿だなぁ、もっとゆっくりとだな」
「ん〜、じゃ、ミライに教えて? 田中くん」
仕方ない。
「こうやって、ポイを水平にだな」
「わかんないよ。ミライの手を誘ってくれないと」
「全く、顔が可愛いだけで中身は大したことないんだな、心寝は」
「……そうだよ、ミライは普通の女の子だもん」
心寝の小さな手を後ろから腕をまわし握る。距離が近いな。で、甘い香りがする。視線を下げると、
「っ!?」
水で濡れたことで下着が透けている!?
心寝の、——心寝未来の身体に張りついて、その華奢でありながらも凹凸はしっかりとあるボディラインが……目の前に! 心寝のファンだったら、これだけで即死ダメージを負うぞ?
「もっと、しっかり持って?」
「あ、あぁ……えと、こ、こうして……こうだ!」
「わっ! すごい田中くん! 天才だよ!」
「大袈裟だ」
「そんなことない! かわいい〜」
「どうする? もらってく?」
「ん〜、でも、ミライが連れて帰ってもすぐ死んじゃうだろうし、かわいそうだから返すよ」
へぇ、ちょっと意外だな。しかしどうにも距離が近いのだが。僕はあまりグイグイ来るのは苦手なのだが、そんな僕の考えなんて気にせず怒涛の攻めを繰り出してくる心寝。
そんな中、僕は辺りを見回してみる。辺りも暗くなりはじめ人口密度も体感倍近くは増えたように思う。やはり茶子は見当たらない。
本当に帰ってしまったのだろうか。花火まではまだ時間がある。茶子の足だとまだ道中のはず。
——もう帰るもん!
あんな顔、初めて見た。ずっと一緒だったのに、一度も見たことない表情だった。
「田中くん、濡れた浴衣が張りついて歩き辛いよぉ。あ、あのベンチに座って休憩しようよ。そのまま花火の時間まで一緒にい——」
「心寝、悪い。ちょっと行ってくるわ」
「え? 行くって……何処、に?」
心寝と真っ直ぐ目を合わせ、口を開こうとした。その時、蚊の鳴くような声が雑踏に紛れて消えた。
「……ライ……を……み……」
心寝には後で謝ればいい。だから今は茶子だ。こんな夜道をあのような格好で一人歩いていたら危険だ。ただでもエロスが歩いているような存在なのに、浴衣となれば尚更だ。
◆◆◆
走った。来た道をそのままに。しかし見当たらない。まさか、実家に帰った? いや、それはありえない。
暫く走っていると、後ろ姿でもわかるくらいの膨らみが目に入る。薄いピンクの浴衣、茶子だ。どうやら追いついたようだが、そこにはもう一人。
僕は角に隠れ、街灯に照らされた二人に意識を集中させた。話し声が聞こえる。
「そうですか。茶子ちゃん、タマキはあなたの邪魔をする気はありません。しかし、どうしても譲れないのです」
「いいよ、もう。だって、私の力じゃ願いは勝ち取れないし。対価の無駄払いになっちゃうけど、仕方ないよ」
「仕方なくなんて……」
「素敵狛さんは、願い、叶えなよ。絶対に。だって、それだけの対価を払ったんだよね。それだけの願いなんだよね。そして、そのためにはお兄ちゃんが必要なんだよね。だったら、こんなところにいないで、お兄ちゃんとこに行かないと」
「田中くんの……」
「そ、きっと心配するよ、お兄ちゃん、優しいから。はぁ〜願いと対価を話したら何だかスッキリした! ……追いかけて来てくれて、その、ありがと。でも、誰にも言わないでね」
茶子はどこかスッキリした表情で、少しばかりかなしげな笑みを浮かべる。
「タマキの願いは、お父さんとお母さんに、もう一度会うこと」
出た。素敵狛さんの唐突な切り返し。
そしてそれを聞いた茶子は首を傾げる。
「お父さんとお母さんに……素敵狛さん、も、もしかして……」
「お父さんとお母さんは生きてます」
「ん? つまり、遠くに離れているとか?」
「はい、とても遠くに」
一瞬の沈黙を挟み、再び素敵狛さんの声がした。
「茶子ちゃんの願いと対価を知った以上、こちらも明かさないとフェアじゃありませんね」
素敵狛さん?
「タマキの対価は、」
どういう、 ことだ?
意味がわからない。辻褄が合わないとか、そんなレベルの言動ではない。しかし、引っかかっていたものが明らかになった。
素敵狛さんには、お父さんとお母さんと、パパとママがいるということだ。
お父さんとお母さんにもう一度会うために、パパとママを—————————?
心臓の音が、——僕の心音が爆音で脳に響き渡る。まるで、自分自身が心臓になったのかと錯覚するほどの違和感。
見たところ、茶子も意味を理解出来ていない。しかし、その対価の重さに震える。正直、僕も震えが止まらない。
「それではタマキは戻ります。そろそろ田中くんが追いかけて来そうですし」
「素敵狛さん……か、かなしく、ないの?」
「かなしいですよ。だからこそ、この願いは成し遂げないといけない」
「そう、だよね。お兄ちゃんには女の子の日でイライラしてたって伝えてくんないかな」
「わかりました、気をつけて」
二人は背を向け合い、それぞれ別方向に歩く。素敵狛さんは僕の方へ向かってくるわけで。
しかし僕の足は動かなかった。結局、角を曲がった素敵狛さんと鉢合わせる。素敵狛さんは少し驚いた表情を見せたが、すぐにいつものジト目に戻り、低めの視線で僕を見上げる。
「いつから、そこにいたのですか?」
「今ここに到着したところだが」
「なるほど、そうですか。それより、アイドルとのデートはどうしました?」
「すっぽかして来た。それより素敵狛さん、僕と一緒に花火を見ないか?」
「仕方のないデバイスさんですね」
僕は知った上で、——素敵狛さんのことを全部知った上で、彼女の手を握りたい。
「素敵狛さん。僕は君のことをもっと知りたい」
「いずれ話さなければいけないと思ってました。では、花火を見ながら、タマキのことを話しましょう」
こうして僕たちは茶子と別れ、再び隣町の公園へ向かうのであった。
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