第2話 治癒(チュウ)魔法


 唐突だが、接吻チュウをしたことはあるかと僕に問いかけていただきたい。

 ——僕は胸を張ってあると答えよう。

 この世に生を受け、早十六年、ここに来て僕は、あると答えられる漢になったのである。今現在、まさに現在進行形で、僕の唇に彼女の唇が重なっている。しかしこれでは、ただのチュウ自慢になってしまうので、こうなった経緯を語るべきだと僕は思うのだ。チュウだけに忠実に。


 ◆◆◆


 僕が変身の負荷で倒れたその日の朝、つまり、気を失って目が覚めた朝、素敵狛さんがエプロン姿で降臨なされていた。残念ながらパジャマの上からではあるが、エプロン姿である。実に神々しい。

 かつてこれほどまでに爽やかな目覚めがあっただろうか。否。なかった! さておき、


「おはようございます中田くん」

「……田中ね」

「冗談です。身体の具合はどうでしょう」

「まだ怠さは残っているが、そうだな、素敵狛さんの顔を見たら元気出た、みたいな?」

「……なるほどです。冗談はほどほどに朝食を用意したので、一緒にどうでしょう」

「……それは冗談ではなく?」

「冗談で済ませてほしいのならそうしますが」


 リビングで待ってますので、と、付け加え天使が部屋から出て行こうと背を向けた。パジャマのショートパンツから覗く白絹が如き立派な太ももが僕を誘惑する。


「あ、あまりジロジロ見ないでもらえますか? ……解体しますよ」

「冗談はほどほどに……」

「今のは本気です」


 ◆◆◆


 それはそうと、リビング広いな。

 無駄に長い立派なテーブルにちょこんと二人で座る。上座を横目に対面で座ると素敵狛さんの猫目と僕の目が合う。素敵狛さんは頬を赤らめ目を逸らしてしまったが、その仕草、実に良いよ満点!


「月の出る夜、敵は現れます」


 唐突だな、素敵狛さん。


「今は亡き変身デバイスさんは言いました。敵は月からの侵略者だと」

「はいはーい、ちょっと質問!」

「発言を許可しましょう」

「その変身デバイスって、僕が食べちゃったんだよね?」

「はい、入学式の日、間抜け面で欠伸をする田中くんの口に誤って飛び込みそのまま飲み込まれてしまいました。壮絶な最期でした。デバイスさんは手のひらサイズの妖精なのですが、目立たないように小さくもなれるんです。そこを田中くんがパクッと」


 食べちゃいました、と思い出して笑う素敵狛さんだが、いや、笑うところ、なのか?

 確かに欠伸をした記憶はあるのだが、何をどう間違えて僕の口に飛び込んだのだろうか。その妖精、相当に馬鹿なのかも知れない。


「食べてしまったものは仕方ありません。ですが、田中くんには責任をとっていただきます」

「……あ、結婚の話かな?」

「違います。タマキの願いを叶えるため、一緒に敵と戦っていただきます」

「……願い?」


 敵って、あの禿げ散らかした鳥みたいな奴が他にもいるってことなのか。


「月からの侵略者を全て倒し、さいごに月を破壊した魔法少女の願いが叶う。デバイスさんはそう言っていました。田中くんと変身するのは心底嫌ですが、背に腹はかえられません」

「わかった、彼氏として見過ごせないし、僕が協力する」

「……田中くんはデバイスであって、彼氏ではありませんが、よろしくお願いします」


 こうして僕は、素敵狛さんと共に月からの侵略者と戦う約束を交わした。


「ところで、まだ身体が少し怠いのだが、その治癒魔法というのをもう少しお願い出来ないかな」

「えっ、あのそのっ、ち、ちゅ、ちゆまほー、ですかっ??」

「あ、ほら、簡単な治癒魔法なら使えるって言ってただろ? 僕が寝ている間にかけてくれていたんだよね?」

「……はぅぁ〜、駄目ですっ! そんな、は、恥ずかしいですよ、こんな朝から治癒魔法だなんて!」


 顔を真っ赤にして慌てる素敵狛さん。何をそんなに慌てているのだろうか。


「頼むよ、身体が本調子じゃないと、いざとなった時に戦えないだろう? うっ、頭痛が……もしかしたらこのまま死んでしまうかも……」

「そ、そそ、それはそうですけど……お、起きてる人になんて、で、出来ません!」

「大丈夫? 顔、赤いぞ?」


 真っ赤な顔をパンパンと両手で叩き首を振る素敵狛さんがめちゃくちゃ可愛いなと眺めていると、崩れてデフォルメされていた表情が一変、途端に恥ずかしそうに目を伏せる。


「わ、わかりました……す、少しだけなら……ですが約束です。目は閉じていてください。開けたら躊躇なく殺します……」


 僕は言われた通り目を閉じた。

 暗転した視界の中、素敵狛さんの動く音だけが聞こえる。気配を感じる。徐々に近付いて来ているのが何となくわかる。

 思わず唾を飲み込むと、ゴクリといつもより大きく脳内に響き、先程までは意識もしていなかった時計の秒針の音がリズムを刻み出した。


「すてこ——」

「黙ってください……」


 近い。これは近い。気付けば素敵狛さんの息遣いまで鮮明に聞こえている。秒針の音、テーブルの軋む音、素敵狛さんの息遣い、僕の鼓動、その全てが重なった時、何か柔らかなものが僕の唇に触れた。

 身体が暖かくなり、疲れが癒えていく感じがする。これが治癒魔法。否、チュウ魔法か。

 目を開けたいが、本当に殺されてしまうかも知れないので我慢しよう。


 これは僕の妄想だが、素敵狛さんはテーブルに身体を乗り出し、治癒魔法を施してくれている。


 本当は治癒魔法が見たかっただけなんて、口が裂けても言えそうにない。と、そんな思考を巡らせながら脳内であれこれ妄想していると、ガタンと音がなり唇がフリーになった。

 目を開けた僕の視界に映ったのはテーブルの上で倒れ息を荒げる素敵狛さんの姿だった。


「す、素敵狛さん!?」


 慌てて肩を揺さぶるが、どうやら意識が朦朧としているようだ。治癒魔法は力の消費が激しいのだろうか、いや違う、素敵狛さんは夜、僕が倒れている間、ずっと治癒魔法をかけていたのかも知れない。そうだとしたら、僕はとんだ馬鹿だ。


 今はとにかく、素敵狛さんを部屋に運ばないと。


 

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