3F 黄色いカーディガンの先客3

「まぁ、死にはしなかったんだけど。あの人、そこらへんはよくわかってるみたい。いつも生きるか死ぬか、そのギリギリのところで引き返すんだ」


 少女は淡々たんたんと話す。本当に他人事のように話す。わたしは無意識に耳をふさいでいた。しかし、少女の声は容赦ようしゃなく入り込んでくる。

「こうなったらもうどうしようもないよね。もう、どっちかだけ」

「どっちかって……」

 そう言うと彼女はニヤリと笑った。


「死ぬか、殺すか。そのどちらかよ」


「う……」

 その言葉の、あまりの冷たさと彼女の笑みに、私は金縛かなしばりにったかのように、動けなくなる。

 しかし、何より嫌だったのはその言葉を、理解できてしまうことだった。


「私がここに来たのはそれがすべてよ。それで? もういいの、飛んでも」

「ま、待って!」

「何」

 少女は不敵な瞳をわたしに向けた。嫌だ。そんな目でわたしを見るな。自分勝手にもそう思ってしまう。

 静止せいしうったえたものの、そこから先は何も考えていなかった。


「やめて……」


 背中が痛む。腕が痛む。脚が、胸が、頬が痛む。

 もう、駄目だ。

 この子は、わたしを見ているようで、辛い。苦しい。


 屋上での会話はすべて自己対話だった。

 彼氏に裏切られた。けれど、まだ友だちがいるから生きていける。

 その友だちが、わたしを虐げてきた。けれど、まだ家族が待っていてくれるから生きていける。


 今まで、彼女たちに言ってきたのはそういう論理だった。自分を納得させてきた論理でもあった。

 だから、説得というより喚起かんきだった。まだ、居場所はあるだろう、と。あなたたちの存在する理由は、まだあるだろう、と。それなのに、ここから飛び降りようとするなんて、ふざけるな、と。


 飛び降りるなら、わたしより苦しい状態になってからにしろ、と、そう思った。そしてそのコールができているうちは、わたしはこの屋上を自分のにできた。


 しかし、もし、わたしと同じ悩みの子が現れたら? 恋人も、友だちも失い、家族さえ失った、そんな子が現れたら? きっとわたしはその子を止められない。自分が解決できていないのに、他人に喚起はできない。

 そのときがついに来てしまったのだ。わたしは今や、この、唯一の居場所すら失いそうになっている。


「あなた、何しにきたの? 止める気はないって言ってたくせに、やめてなんて」

 もう、懇願こんがんするしかなかった。わたしの最後の居場所を、奪わないで、と。

「やめて……、お願い……」

 この子は決して追い返せない。わたしには、そんな資格はない。

 けれど、今すぐここからいなくなってほしかった。わたしはもう、この子をもう見ていたくない。


「おねがいだから、ここからいなくなって……」

 大袈裟おおげさなため息が聞こえた。あざけるような、失望したかのような吐息だった。


 ザっという、立ち上がる音がした。

 すぐに、わたしの肩先に手が置かれる。思わずわたしはびくっと震えてしまう。


 彼女は、「ふん」と鼻を鳴らして、ささやくように言った。

「じゃあ、今日はやめといてあげる」

 




 一人取り残されたわたしは、彼女の雰囲気の余韻よいんのせいか、身動きが取れなかった。

 どうして彼女が翻意ほんいしたかはわからない。けれど、そんなことはもうどうでもよかった。


「よかった。ここはまだ、わたしの……」


 そんな心の呟きに反して、わたしの心は落ち着いてなどいなかった。

「はぁ……」

 ほぼ無意識にため息を吐いて、屋上の床に倒れこむ。

 いつの間にか、夕陽は沈んでいた。

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