3F 黄色いカーディガンの先客

 ある三つ編みの少女は言った。

「運命の人に愛されないなら生きていたって仕方ない。だから屋上に来た」

 けれど彼女は、自分の居場所が、その人の隣にしかないと錯覚さっかくしていた。


 また、ある背の低い少女は言った。

「いじめられて苦しい。だからここにきた」

 しかし、彼女もまた勘違いしていた。彼女にも、確かな居場所があった。家族という味方がいた。


 二人は納得して屋上を去っていった。その後のことは知らないが、きっとどこかで生きているのだろう。


 ほかにも何人か、悩みをかかえた女の子がいた。二人と同じような悩みの子もいたし、ただ漠然ばくぜんと死にたいと思っているような子もいた。

 しかし、たいていは「話聞いてもらったら気が収まった」と言って、帰っていった。彼女たちは、一朝一夕いっちょういっせきの気の迷いで屋上に居場所を求めていたに過ぎなかった。


 今日もわたしはあざあとを隠して屋上へ行く。

 靴を脱ぐ準備はいつでもできている。

 しかし、なぜだろう。わたしがそこへ行くときに限って、いつも、誰かがそこに座っていた。それはこの日も同じだった。



 さびついた扉を開ける。初夏しょかの生あたたかい風を浴びながら柵の側へ向かう。わたしは、思わずため息を吐いてしまった。


(またか……)


 大した事でもないのに飛び降りようとする人が多すぎる。内心そうつぶやいて、わたしは柵の向こう側に座る、黄色いカーディガンを羽織はおった少女に声をかけた。

「ねぇ」

「……」

「何してるの?」

 屋上のへりに座る少女は何も答えず、振り返りもしない。

「ねぇ、聞こえてるんでしょ。こっち向きなよ」

 半ば挑発ちょうはつするようにわたしはたたみかける。季節外れな厚手のカーディガンを羽織った少女はしかし、無反応だ。

「そっち行くからね」

 ここまで言えば、来るなとでも言われるのではないかと思ったのだが、彼女はここですら応答せず、微動びどうだにしなかった。


 おかしい、とわたしは小さく首をかしげてしまう。今までだったら何か抵抗ていこうされるか、萎縮いしゅくして何も言わなくなるかのどちらかだったのに。彼女は私が見えていないのかというくらいだった。

 さくを乗り越えてわたしは、少女の後ろに立つ。夕方の、沈みかけの太陽の方を見つめて少女はたたずんでいる。


「どうしてこんなところに来たの。どうして飛び降りようと思ったの」


 いつものように、声をかける。今までと同じだ。大したことのない理由で、わたしより先に死なせなんかしない。

 ゆがんでいると言われたってかまわない。そもそも、わたしは止めようと思っているわけではない。これはある種のに過ぎない。


「なんか言ってよ。別に、止めようとなんて思ってないからさ」

 すると彼女は、突然、羽織っていたカーディガンを脱いだ。その下からは半袖はんそでのセーラー服がのぞく。


 しかし、わたしの視線はその衣服にはなかった。思わず、はっと息をのむ。


「……それ……」


 カーディガンを置いた少女が私の方に振り返る。

 長い前髪の隙間すきまからのぞく瞳には、寸毫すんごうの光もない。

 そして何よりも。


「その、あざは……」


 彼女の腕には、青痣あおあざが浮かんでいた。それも一つではない。右腕にも左腕にも、それは、ある。


 呆気あっけに取られて、私は何も言えなかった。

 今までなら「やめなよ」と言うところだったのに。


 少女は口元に冷笑を浮かべた。まるで鏡だった、この女の子は。

「もう、いいよ。わかったから。それ着て」

「そう」

 再びカーディガンを羽織った少女は、中空に足をブラつかせた。


 どうしよう。心の中がざわつく。初めてだった。こんなに似た悩みの少女は。

 どうしよう。何を言えば……。

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