2F 背の低い先客2

 いじめが始まったのは中学生の頃だった。


 小学校時代の友だちは皆、別の学校に通うことになり、私はたったひとりで県央けんおうの学校に通うこととなった。

 不安はあった。けれど、期待もあった。これから新しい出会いがあふれていると考えれば、不安はなくなるように思えた。

 初めは何も問題なかった。少ないながらも、話せる友人が出来た。


「何も問題ないじゃない」

 そう言って少女はさくの向こう側に自生じせいしていたタンポポをみ取って、その綿毛わたげをふっと吹き飛ばした。

「そこまでは、何の問題もなかったんです。でも、二学期になってから、みんな、話してくれなくなりました」

「突然?」

「はい」


 その時こそ困惑こんわくしたが、理由はすぐにわかった。夏休み中に、友人のさそいを断ったからだ。


 無視から始まった。次第に持ち物がなくなることが増えた。

 こんなことになるなら約束を断ったりしなかったのに、と何度も後悔した。



「女の世界は怖いからね」

 彼女は笑う。どこか疲れたような、大人びた笑みだった。


 しかし、少女は「それだけのことで?」と眉をひそめて言うことはなかった。他人なら、普通そう言いそうなものなのに。

「でも、中学生の頃はまだましだったかもしれません。身体を傷つけられることはなかったから」


 中学校を卒業するとき、高校生になれば大丈夫だと思った。

 しかし、そんなものは都合のいい妄想もうそうに過ぎなかった。

「やっぱり、みんな、わかるんですかね。この人は見下みくだしてもいい人だって」


 中学時代に私をしいたげてきた同級生が、同じ高校に進んだわけではない。

 それなのに、私を取り巻く環境は変わらなかった。それどころかさらに悪化した。

 涙がにじんだ。くやしいからではない。あまりに無力な自分がいやで。いつもこんな風に泣くだけで打開策を考えようともしない自分が腹立たしくて。



「さあね」

 少女はぐぐっとびをして言った。

「トイレの中に閉じ込められたこともありました。靴の中に画鋲がびょうが入ってたこともありました。……ほほなぐられて口の中切っちゃったこともありました。その時は本当に苦しかったです。家族に言うわけにいかないじゃないですか。だから、痛みえて無理やりご飯食べたりスープとか飲まなきゃいけなくて」

「……」

なみだこらえてたら、お母さんがどうしたのって聞いてきたんです。……あの時、言えばよかったんですよね。学校に行きたくないって。でも、言えなかったんです。心配かけたくないって。悲しませたくないって、それだけ頭に浮かんで」

「それで、結局通い続けてるのね」

「はい」

「家出るふりしてどっかで時間つぶせばいいじゃない」

 そんなこと、私だって何回も考えた。けれど、そんなことできるわけない。理由は母に現状を言えなかったのと同じだ。

「いずればれますよ、そんなの。そのとき、何て言えばいいんですか。どうやっても、言わなきゃいけなくなるでしょ。私の、現状を」

「うん……」


 いつからだろう。少女の顔から薄笑いが消えていた。相談じゃないと、彼女は言った。その割に彼女は私の話を真剣に聞いているらしかった。

 あごに手を置いて少女は考え込んでいる。話はもう大体終わっていた。


「でも、辛いのに変わりはないから、だから、ここに来たんです。ここから飛び降りたら全部終わるからって」

「そう」

「けれど、私にはそんな勇気さえなかったんです。このまま生き続ける自信もないし、死ぬ勇気もない。そんな私は、いったいどうすればいいんでしょうね」


 ここは生と死の境界だ。

 飛び降りる、すなわち死。引き返す、すなわち生。

 そのどちらを選ぶことも辛いけれど、どちらかを選ばなければならない。



「あなた変な子ね」

「えっ?」

 首をかしげて少女を見ると、なぜか彼女も同じ仕草をしていた。

「何が、ですか?」

 そう聞くと、少女はくすっと小さく笑って言った。

「だって、悩まなくていいことで悩んでるんだもん」




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