1F 三つ編みの先客4

 夕立のような別れをしたその日の夜、私は高熱を出した。きっと傘もささずに雨に濡れていたからだ。


 精神に加え、肉体までもむしばまれ、挙句あげくに悪夢まで見て、私はボロボロだった。


 学校も休んだ。仮に熱がなかったとしても、学校には行かなかったかもしれない。それが許されるかどうかは別として。


 水曜日の朝。熱が引いた。母は、熱がないなら学校に行きなさいと言った。


 「絶対嫌」と言えたならどれだけ楽だっただろう。

 しかし、そう言おうものなら、母はいじめられているのか、などと余計な詮索せんさくをしてきそうなので、何も言わずに制服を着て家を出た。


 幸い、教室に着くまで彼とは会わなかった。彼と私はクラスは違う。だからあとはじっとしていれば顔を合わせずに済む。

「風邪大丈夫?」

 前の席の、友人は私を見るなり、そう言った。

「大丈夫大丈夫。ちょっと雨に濡れちゃって」

「そんなんで風邪ひいてちゃ生きてけないよー」

 彼女はからからと笑った。

「しかたないでしょ。夕子ゆうこみたいに馬鹿じゃないんだから」

「なんだと」

「まぁ、心配かけてごめん」

 そうしているうちに、左隣の席の友人が来た。


「サボってんじゃねーよ」

 冗談めかして言う彼女に私は「サボってないよ」と返事をする。いつも通り笑えているか、少し心配になる。

「ほら、これ二日分のプリント」

「ありがとう実里みさと

「お礼は課題代行でいいよ」

「調子乗んな」


 他愛たあいのないやり取りを前に、山積さんせきした不安がやわらいでいくのを感じる。

 夕子と実里は高校に上がってからの友人だが、ずっと前から一緒にいたかのように気が合い、いつも一緒にいる。気をつかう必要のない友人だ。


 不安から安堵あんどへのり戻しで泣きそうになる。

 もちろん、こんなところで突然泣き出したらさすがの二人もあわててしまうだろうから必死でこらえる。



 しかし、その安心は間もなく、いとも簡単に打ち壊された。

絵美えみが休んでる間にまさかの大事件あったんだよ」

「え、何?」

「3組の北条さんいるでしょ?」

「うん」


 北条さんというのは、この学年で一番綺麗だとしきりに男子がうわさするくらい、見目麗みめうるわしい人だ。私たちの立場からすると手放しですべてを認めることはできないものの、少なくともその美貌びぼうだけは確かと言わざるを得ない。


 その人にまつわる大事件と言えば、なんだろう。硫酸りゅうさんを浴びたとかだろうか。……不謹慎ふきんしんすぎるか。


 しかし、その答えは、想像とは全く違っていた。


「北条さん、ついに男を見繕みつくろったらしいんだよ」


 ざわっと心の奥に細波さざなみが立つ。思えば、これは予感だった。


「……誰と?」


 根拠のない直感を振り払うようにそう聞くと、実里は「3組の……だれだっけ?」と言葉を詰まらせて夕子の方を向いた。


「ほら、絵美と仲良かったあの子だよ」

「あ! そうそう。石橋いしばしくんだっけ。びっくりしたわほんと。北条さんは告白とか断り続けると思ってたから」

「え、でもあれって北条さんの方からだったんじゃなかったっけ」

「そんなことしないでしょ。あの北条さんが」

「あんたが北条さんの何を知ってるのよ」

「いやいや、だってさ……」

 二人は会話を続けていたが、最早その言葉たちは私の耳には入っていなかった。

 石橋くん。それは一昨々日さきおとといにわかに私に別れを切り出した幼馴染の名前だった。




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