ゆめ

 寒い冬の夜、僕はなかなか寝付けなかった。就寝前に暖房をつけなかったせいで身体が酷く冷え込んでいたのである。


 僕は母さんに湯たんぽはないかと聞いた。母さんは快くそれを探しにいった。暫くしてキッチンからパチンッと火を焚く音が聞こえた。どうやら湯たんぽはあったらしい。僕は有り難くそれを受け取ると布団の中に埋めた。


 なんて温かいのだろう。それはまるで凍りついた身体が氷解していくようだった。ほわほわじんわりと。僕はささやかな幸せに浸りながら眠りにつくことができた。


 僕は白い光に照らされて目を覚ました。気づけばそこは朝だった。ふと無地の天井を見上げた。僕は初恋にも似た気分になっていた。


 それは梅の飴玉みたいに酸味を帯びた甘い味わいだった。しまい込んだ蝋燭に火を灯されるような儚さと純情。僕は夢の中でそれと出会った。


 ある日、僕は屋敷の庭で彼女の姿を追っていた。美しい枯山水とため池のある庭だ。ため池には濃い若草色が反射していた。


 その上を横断する桟橋の先には回転する大きな輪軸りんじくがあった。それは歯車にも似たスポークで穴が二つ空いていた。


 回転するたび、穴の中に出口が見えた。彼女はここに隠し扉があると言った。僕はそこへ入らなかった。


 輪軸りんじくの近くには地下へと続く階段があった。入口から見えるのは昼時みたく明るいパソコン室。中には従業員がいた。僕は手招かれるまま中へ入った。


 蛍光灯に照らされたデスクワークの先には気品あるブルジョワな光景が広がっていた。聞けばその先のラウンジに案内してくれるという。従業員はいつの間にか親友の顔をとっていた。目先には彼女がいた。僕は否応なくついて行くことにした。


 エスカレーターの先には吹き抜けの大広間があった。天井からシャンデリアが吊り下がった豪奢な光景だった。僕達は端の椅子に腰掛けた。


 親友はお手洗いに行くといって突然、姿を消した。僕は彼女と二人きりになった。僕はカメラで彼女を撮らえようとした。しかし上手くいかなかった。


 大広間を見やればまるでホテルに着いたばかりの客のように、群衆があちらこちらを独占していた。僕はそれを見て、自分だけのものではないと悟った。


 一方の親友はいつまで経っても帰ってこなかった。彼女は外へ行こうと言い出した。僕は親友を後回しにして彼女をまた追いかけた。


 辿り着いたのはゲーセンだった。僕はなぜか買い物カートに座っていた。羞恥して降りようとすると、彼女はそのままにしてと言った。僕は言われた通りにした。


 彼女は僕が乗ったカートを押し始めた。ゆっくりと筐体きょうたいの合間を進んでいった。まるでエスコートされているような気分だった。そのまま幾ばくかの時間が過ぎた。


 彼女に押させてばかりでは悪いと、僕は役割を交代した。彼女はカートにまたがると僕はそれを押した。奇妙でとても楽しい時間だった。


 無味な電子の光としか思えない筐体きょうたい。それが今では眩いばかりの宝石に見えてくる。彼女とたわいもない談笑をした。


 車輪に埃でも溜まっているのか、カートの融通は効かないけれど僕はただただ幸せだった。進行方向など、もうどうでもよくなっていた。いつまでもこんな時間が続けばいいと思った。


 夜になった。僕のかたわらには見知らぬ女がいた。その子は彼女と知り合いらしく濃い化粧をしていた。別段不快な気分にはならなかった。さっぱりとした性格の持ち主だった。


 見やればいつの間にか彼女も威圧的な化粧をしていた。嫌な予感がした。


 僕達は城砦じょうさいのような商業施設を歩いた。それは迷路だった。石畳は夜の街路灯に照らされほのかな橙色をしていた。


 広場に出るとネオン文字が光るホストクラブがあった。見知らぬ女はそこへ行くと言い出して姿を消した。彼女はついていくことさえしなかったものの、悪くないと言い出した。僕は心からやめて欲しいと思った。


 しばらくして僕は彼女と別れた。彼女は片手をあげて一頻ひとしきりの笑顔をみせた。僕はそれを見届けると帰路についた。去り際のこと、突然背後を誰かが叩いて走り抜けていった。彼女だった。楽しげにワルツを踏みながら、僕になにかを告げた。そして人垣の中に消えていった。後ろ髪引かれるような思い。これは初恋なのだとわかった。


 夢はここで途切れた。僕は本心を疑わなかった。これは現実なのだと思った。


 布団の中の湯たんぽはまだ仄かに熱を帯びていた。

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