八月の彼-3

  八月の彼-3


 春秋の彼岸に盆の迎送。生まれに文句を付けるでもないが、永の別れを悼む行事が多いのには辟易する。参る墓の所在も知れぬとあっては尚のことだ。せめてにと膳を整えてみた事も有ったが、味わって貰えない料理程に虚しい物は無かった。


 通い妻などと言えば聞こえは良いが、正直当時の手腕は然程の物でもない。彼の偏食も手伝って、一から手作った料理を振る舞った機会は片手で足りるだろう。


 此れを盾にするのも言い訳がましいが、予算の都合もあった。義兄が昼食代にと置いていく紙幣一枚で男子高校生二人分、遣り繰り出来るほどレパートリーに幅も無かった。結局は私の未熟だ。


 口下手の彼から味の感想を聞けた記憶もそう多くはない。少食の筈が皿だけは毎度空にして返して来るので、其れで満足していた。付け加えるなら、満腹感其の儘午睡に落ちた寝顔を眺める幸せに勝る報酬も無かった。


 話は変わるが、癇癪持ちと言うのは何処にその琴線が在るか他者には予想が難しい事からそう呼ばれるのだと思う。


 迂闊、でも無いとは思うのだが。其れでも矢張二人のマンションに入り浸っている事はそれとなく御母堂に伝えておくべきだったのではないか。まぁ予想しようも無かったのだ。離れて暮らす息子達に母の手料理を食わせてやろうと予告なく遠路遥々訪れるとは。


 両手に買い物袋を満載に嬉々として玄関を抜けて見れば台所には見知らぬ輩。しかもその日の献立は彼の要望でインスタントの塩ラーメン(野菜マシ)。あろうことかその場で丼引っ付かんで流しに捨てやがった。


 並んでフローリングの上に正座させられ詰問を受けた。お前は誰だ、ウチの息子とどんな関係だ、人様の家の台所を好き勝手するとはどう言う了見だ、しかもこんな不健康な物を食べさせようとするなんて頭がおかしいのか。矢継ぎ早に出るわ出るわ悪口雑言が。隠していた後ろめたさも有るには有ったが、其れ以上に口を挟ませる気のまるでない喋り口に参っていた。


 顔を伏せた儘横目に覗いた彼は呼吸を乱し震えていた。成る程、幼少の時分私より長く遊技場に入り浸っていた根因は此れかと得心がいった。目上の人間が話している時は相手を見ろ、常識が無いと追撃を受けた。


 一頻り吐き尽くしたのか、女は私の首根っこを掴むと玄関に向け歩きだした。剣幕に圧され、抵抗する気概を失っていた自分を今もって許すことが出来ない。



 何年経とうとも、此れが現実である事を受け止められていない。最後に見た彼の姿があんなにも悲痛な物であったと言う事が信じられない。最後に彼が見たであろう私の姿があんなにも情けない物であったという事が認められない。終わりが有った事はどうしようも無かったとしても、あんな終わりで良かった筈がない。もっと穏やかに、互いに幸せであったと認め合いながら終われた筈だった。彼を見届けて「直ぐに後から追い付く」と約束して、有言実行出来た筈だ。一人で行かせなくて良かった筈だ。今に生き苦しむ俺は存在せず、最期まで愛に生きられた俺が「アイツはそう言う奴だった」と誰かに偲んで貰えていた筈だった。「あの二人はあれで本当に幸せだったのだろうね」と、周囲に認めて貰えた筈だった 。筈、筈、筈。誰が其れを違えたのか、思考を巡らせればきっと汚い呪詛で埋め尽くされてしまうと知っていた。だから書きたくなかったんだ。酷い酷い酷い酷い酷い、こんなこと有って良い筈がない。

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